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こじつけ、というのが正直な感想。
全てを進化に紐付けて人間の行動を語るのは無理があるだろう。
例えば、個人の権利が認められたのは、そうした方が為政者にとっても長期的に利益があるから、というのはあまりにも楽観的、ご都合主義。短期的に自らの懐を温めた方が為政者は得をするだろうし、実際そうしている為政者がたくさんいる現実を看過することになるだろう。
理系の知識(進化)を使った倫理学だ、と科学ぶっているが、全てを進化に照らして考えようとするところが、大雑把過ぎる文系の議論に見える。科学的だと言いたいなら、ゲーム理論など人の行動のインセンティブを捉えた分析をした方が説得力が増すだろう。
とはいっても、「相手のためは全て自分のため」「国家は集団間競争によって生まれた」など、納得できる考えもいくつか見られる。1つの考え方としては知っておいても良い。
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怪しすぎて買ってしまったけど、やはり怪しかった。
特に真新しいことでもないのに、なんでこんなに大げさに書くのか分からない。
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進化ゲームからの考察を通して倫理学を構築しなおそうという試みなんだろうが、人間を動物としてとらえてそこから先に進めない。こんな下品な倫理学があるもんか。曲学阿世かよ。
著者は基本的な進化生物学も理解していないともいえる。批判的に読めばおもしろいかも。
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とても、興味深い話であった。
何が、「快」「不快」を後天的に決められることが、特に興味を持った.
【重要箇所抜粋】
進化論は弱肉強食ではない。
「環境への適応」である。
ex) 昨日まで、相撲で競争していた者同士が今日からは将棋で競争することになったというような状況が進化では常に起こる。
劣った物が淘汰されることで世界がよくなるとか発展するとかいう話ではない。
そもそも人間は理性では行動しない。
行動を決めるのは感情・感覚的な「快」「不快」である。理性がするのは、補助にすぎない。
基本的に自分が生存・繁殖する上で利益になる物に対して「快」そうでない物を、「不快」を感じるようになっている。
(※応用的には、個人個人の経験や成育環境によってかわる。?)
このことにより、人間は自動的に自分の利益に向けた行動を自然と起こさせる仕組みになっている。
(つまり、自らが意識している以上に「利己的」生き物である)
?について理由
人間は、自分がとりまく環境条件にあわせて感情・感覚を調整して、多様な環境に適応して生きていける。
(しかし、ある人の中には、自分の生存・繁殖に反する、不利益な感情反応や行動パターンが形成されてしまうことがある)
愛情とは、「自分の利益」にかなう行動を自らに生じさせるための内面装置である。
好き嫌いは、相手への利他行動を喚起/抑制する機能にすぎない。
友情は、「好き」な相手との関係がある程度継続し、利他行動の交換実績ができたとき感じる感情
(実績のある相手とのちょっとしたことで、互恵関係をこわないようにするための感情)
同情、何らかの事情で苦境にいる人、助けを必要としている人に注意をめて、それに対して自分から利他行動をしてあげようという意欲を生じさせる感情。 だから、自業自得の相手には同情は感じない。
他者から互恵関係を結んでもうらうには、「こちらに積極的に利他行動をしてくれるひと」と思われることが絶対条件
他者に利他的に振る舞う必要があるために、そもそも「自分の利益」を無意識化する。(良心 思いやりの心)
このような内面の仕組みによって行動することで、自分は利他的な性質を持っていると自分で思い込むことができ、より積極的に利他行動ができるようになる。
道徳は、短期的利益に流されず、より大きな長期的利益にかなう行動がとれる
ここの「利己的」な個人の人間にとっての「あるべき」社会とは、何よりも自分が利益を得られる社会
■TIPS
生物は「種の保存」本能を持たない。
こちらがおくったのに「お返し」をしてこない相手には、次回から送るのをやめる
人権 = 自由権 + 社会権
自由権とは、資源獲得のための活動が自由にできる権利
社会権とは、一定の資源獲得条件を保証すること
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人間は自分の利益のために行動する。
長期的利益で見たら、善は得、悪は損。だから困っている人がいたら助けてあげよう。
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なぜ道徳はあるのか、もしくは社会や人間の「善」「悪」は何を基準にしているのか、という問題について「人間行動進化学」に基づいて丁寧に解説した本。
ちょっと解説がしつこいきらいもあるが、新書ならこんなものか。最後に社会の正しさについての章で、身分社会が資源配分のための効率的なシステムだと論じたのが面白かった。
それ以外は、昔から自分が漠然と考えていたことをそのまま学問の領域にのっけて筋道立てて論じてくれた感じ。頭の中で考えるのと、それを言葉にすることの大きな差を痛感。
ただ、この議論にはなんとなく突っ込みどころがいろいろある気がするのだが、ほかの分野に時間と労力を割きたいのでそれを考えるのはもう少し後で。
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「愛情は人間が進化の過程で備わった感情だ」
すごい名言。月9の決め台詞に使えるな。
ここで「進化」について突っ込まなければ。
脳の発達に関しても進化の一部と言う考えが、新鮮でした。
考えてみれば、そこにも進化の法則が当てはまるのは
当然と言えば当然なんですが。
内容は全てが利己的なのが正しい。
最終的には全部自分の利益なんですよ。
という話なので、最初に書いた一文は、実は夢のない話。
個々を尊重して生きていくことが、自分の利益になる。
自由と平等は違う。自由であることは平等でないことだし、
平等であることは自由ではない。
ボランティアですら個々の利益にためであって、
利他的な行動は全て利己的である。
それは利他的な行動には、自分も他の誰かの利他的な行動を受けて、
利益を享受出来るから、という考えである。
個人で生きるより集団で生きる方が、生存率や効率はあがり、
その中で発生した、云わば「進化」なのである。
なので基本的にはどんな人間にもあてはまる。
=進化なので、人間が備えて生まれ持ったもの。
それは種の保存ではなく、個の保存を原則としてる。
利己的なのとただのわがままは、時間軸にあり。
わがままは、短期的な利益しか見込めず、
長期的には損することになる。
例)人の財を盗む。
利己的とは、長期的に利益になる行動をとる。
例)遊びの誘いを断って勉強する。
同僚の仕事を手伝ってあげる。
まぁそんなことが書かれているわけです。
納得できない部分も一部あったんだが、
概ね理解できて、考え方の柔軟性が得られるかなぁ。
変に現実的な考えも備わるけど。
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道徳や善悪の起原を進化に求める考え方を平易に解説。メタ倫理学では道徳の基準について客観説,主観説が対立。進化倫理学では要するに「情けは人のためならず」が倫理・道徳の根拠だとする。
それぞれの生物種において,生存・繁殖にプラスとなる特徴が子孫に受け継がれて広まっていく,というのが進化の基本的仕組み。突然変異は偶然に左右されて起きるが,そのときの環境の下でより有利な形質・行動をもつ個体が多く子孫を残す。この自然淘汰で進化が起きる。
実はこれってかなり素朴な考え方で,実際には生存に有利不利とは無関係に進化が進むということも確かめられてきているのだけど,この本はその辺の事情は一切抜きで分かりやすさ重視で話が進む。
少し自省してみると分かるように,人間は,理性よりむしろ感情・感覚の「快」「不快」によって行動する。我々は基本的に自分が生存・繁殖する上で利益になるものに「快」を,不利になるものに「不快」を感じるようにできている。そうなるように進化してきたといえる。
体のつくりや特徴といった形質だけでなく,行動の特性も,同様に進化してきたんだよ,というところがポイント。人は基本的に「快」をもたらす行動を選択する。逆に「不快」をもたらす痛みや苦痛は,それを避ける行動を喚起する。その行動が生存・繁殖の利益につながるからだ。
血縁者や異性に愛情をもつのも,その感情に基づく行動(生存のための資源を分配する等)が,自分と遺伝子を共有する者の利益になるがために,獲得された性質。反対に嫌悪や憤怒も,それに基づく忌避,攻撃という行動が,自己に有利であるために,自然選択されてきた感情といえる。
愛情とか嫉妬に関しては,配偶者防衛というのが面白い。哺乳類では,オスにとって配偶者の子が自分の子である確実な保証がない。子の養育にオスが資源を投入する種では,生まれた子が実は他のオスの子だったという事態を避けるため,配偶者防衛の行動が生じる。人間もこれにあてはまる。
自分の利益に必ずしも直結しない互恵的利他行動というのも進化してきた。サルの毛づくろいのように,自分でできないことをしてもらって,自分もしてあげる。つまり利他行動の交換。人間では「おもいやり」とか「同情」という感情に基づいてこの種の行動が行なわれる事が多い。
見知らぬ人に対してなど,必ずしも見返りが期待できない場合にも,「おもいやり」や「同情」は芽生えるが,これは「利他性質の広告」としてやはり自己に有利な行動であると解釈できる。どんな人にも利他的に振る舞うという一般的性質を周囲に知らせて,互恵関係の可能性を広げられる。
また道徳は,誰の立場からも要請される「利益獲得の方法・セオリー」として社会的に進化してきた規範である。「人を殺してはいけない」という道徳は,殺人が相手側との互恵関係を損ない,周囲一般との互恵関係構築が阻害され,不利益となるために成立する。
人間は個体が一人一人ばらばらでは生きられず,役割分担して社会に依存せざるを得ないから,道徳とか善悪という概念が,そのようにして進化してきた。そしてさらにその道徳を法が補完して,現代社会は成り立��ている。
なかなか面白い考えだ。本書は人間を中心に書いてあるが,そうすると,動物にも少なくとも快不快の感情はあるような気もしてくる。どんな動物も刺戟に対して何らかの行動をとるわけだが,それは快を追求し不快を回避する行動になっていると考えるのが自然だ。
その快不快が,嫌悪とか愛憎とか道徳とか正義とかに「進化」していったのは一体どういうわけだろう。というかそもそもそれらの違いって何だろう?どこにもはっきりした線は引けないような気もする。本書は「入門」ということだが,進化倫理学ではもっと深い研究がされているのだろうか。
進化論の分野では,本書の前提するような超素朴な進化論はもちろん,20世紀後半に主流だったネオダーウィニズムも克服されつつあるようだが,そのあたりと進化倫理学の関係も興味があるなあ。巻末に関連書の紹介があったから,日本語のを少し読んでみようかな。
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これは最近読んだ中でベストの一冊。
これぞ学問。
なぜ「人は嘘をついてはいけない」と子どもに教えるのか
なぜ人は寄付やボランティアをするのか
一見取っつきにくい道徳倫理の疑問を人間行動進化学とそれに基づく進化倫理学の観点から
誰にでも分かりやすく解説してくれる一冊。
「道徳や善悪は、利害損得以外の何かではなく、われわれ自身の利益から成立している」
中身を見れば納得ですが、この『「利己的」なのが結局、正しい』
というサブタイトルも素敵です。
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法哲学・倫理学の研究者で、いままでその分野でなされてきた議論を知っているなら、こんな不 用 意 でい い 加 減 な記述はしない。
愛と利益の関連についての部分とか、ほんとうにドーキンスやピンカーを読んだのか? 無視してるのか? 研究史を無碍するような記述が続出してとても不可解である。
「嘘も方便」とかいう気持ちで書いたのだろうか(ほんとうにこれでいいと思ってたら日本の研究界の悲劇ですらある)。
進化倫理学は、もっと繊細で綿密な議論でありえるはず。
新書の形式で進化倫理学に触れられるはじめての本なのに、あまりにももったいない。
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人間の遺伝子や生物的特徴に視点を向けた、新しい倫理学を唱える一冊。
結論から言ってしまうと、自己矛盾している点が多すぎる。生存本能から利己的な行動を取る、という理論を貫くのだが、人間には生存を捨てて道徳を取るという選択をすることができる。著者はこれを「利益を考えた結果の勘違い行動」という捉え方をするが、そもそも生存本能を見失っている時点で、この人間の行動は進化倫理学の枠を超えてしまっている。
こうした自己矛盾が起こってしまう原因として考えられるのは、著者が(あるいは進化倫理学が)存在と当為をごっちゃにしている点にある。「人間には利己的な遺伝子があるのだから利己的になるのは当然だ」という存在(~である)が、「故に利己的であるべきだ」という当為(~すべき)になる根拠はどこにもない。
人間が利己的な行動を取る、道徳的に見えて実は利益を本能的に考えている、というのは事実(存在)として認められるだろうし、そうした人間の行動が遺伝子や生物学的な視点で妥当されたというのは画期的な発見だろう。だがその上で、そうした遺伝子に影響されない人間の価値観はどこにあるのかを模索していく必要があるのではないだろうか。
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利己的なのが結局正しいというサブタイトルがついている。筆者は、人間の利他的な行動も、結局は利己的な理由付けができるとして説明している。
しかし、例えば見知らぬ他者へ「匿名で」寄付する行動に対する説明がされていない。結局、ホッブズ的な利己主義、快楽主義の正当化が成功しているとは思えない。
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私はこの本が初めて読む倫理学の本だったので、専門用語が勉強できたという点ではプラスだったが、倫理学に詳しい方が読むのであれば恐らくもっと良い本があるのではないでしょうか。
筆者の主張は納得できる部分もあるが、全体を通して見ると自己矛盾や不適切な決めつけが多々見受けられます。
【納得】
・道徳の基は利益にあり、善をなすのは得、悪をなすのは損である。嘘をついてはいけないのは嘘をつくと損だから。
・愛情は利己的な感情であり、愛情から生じる相手のための行動は自分の利益と合致する範囲に限定される。
・他者の利益は長期的な自分の利益なので、他者の為に行動すべきだ。
【不満】
細かい表現で気になる部分が色々と出てきて、文章がすんなりと頭に入っていきませんでした。
・利益が客観的な根拠であると述べているが、人によって何が利益かは変わってるくるはずなのでこれを客観的というのは正しいのだろうか?(俺が間違ってるのか?)
・それが進化倫理学というものなのかもしれないが、金銭・時間・肉体・精神面等のコストを考慮して「子供を作らない」ことを「不利益行動」と断ずる等、作中を通して「自分の遺伝子を残すこと」が最上位の利益であるかのような論調で書かれており、そこが全く納得いかなかったです。
個人的にはマクロな視点で見れば人類も恐らくそのうち滅びるだろうから、遺伝子を残すことが必ずしも最上位の利益だとは考えません。その判断は個々人に委ねられるものだと思います。