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まぁ面白い。
対談形式、案外読みやすい。
松岡正剛に興味がある人向けかな。
多読術、書かれている内容としてはあまり目新しくない。
松岡正剛という人、初めて知りました。いやお恥ずかしいながら。
面白い、興味あり。
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この人のように深く、たくさん本がよめるようになりたいものだ
・目次読書法・・・先に目次をみて中身を想像してから読む
・読書はコラボレーション・・いろいろなものを一緒に感じる
・少し読んだら本を閉じ、その内容を追想し、頭の中でトレース。
・読書した内容を独り占めしないで、他人に提供
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珍しく新刊を読んだ。
やはりセイゴオさんの読み方はすごい!
ほかの読書術には全然納得できなかったのだが、彼の「二回読む」というのには深く頷ける。
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そういえば、内田が松岡のことを「自分のフレームワークを強化するために多くの本を読む人」と批判していたよ。
自分のフレームワークを壊すためにこそ、ホントの出会いがある。
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○「読書の楽しみ→未知のパンドラの箱が開く」○読前「目次読書法」「感読レセプター」読中「マーキング」読後「マッピング」○キーブック○三冊屋○トレーニング ☆イシス
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【著者はこんな人】
「千夜千冊」というインターネット上でブックナビゲーションを公開している。
【だいたいこんな本】
読書の達人による多読のコツを伝授してる本
目次より
1)多読・少読・広読・狭読
2)多様性を育てていく
3)読書の方法をさぐる
4)読書することは編集すること
5)自分に合った読書スタイル
6)キーブックを選ぶ
7)読書の未来
【読んでみて、こう感じました】
この本の言い方で表すと 「荒読」
実は、この方が「千夜千冊」というブックナビゲーションで
有名だということを知らないで購入し、読み始めました。
この方を知っている、千夜千冊ファンだったらとても興味深く読めたと思いますが
私は全く知らないかただったので
かなり飛ばして読みたいところだけ読みました
印象に残った一節
’実は「好み」というものは細部においては極めて多様で、複雑だということです。
(中略)「好み」は非常に多様で、バラエティに富んでいるのです。
それが個性というものを成立させている。’
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■人が何を読んでいるのかはわかっても、人がどのように読んでいるかはわからない
■本というのは、長い時間をかけて世界のすべてを呑み尽くしてきたメディア
■本って実は背表紙を見ているときから読みが始まっている
■読書って二度するほうがいいんです。同じ本をね。というのは、読書にはその本のこととはべつに、いつ読んだのか、どんな気分で、どんな感受性のときに読んだのかということが、密接にかかわっている
■書物には「人」がくっついている
■本にはたくさんの「人の出入り」がある
■本というものは1人ずつに、なんと異なる読後感をもたらすんだろう
■授業はつまらなかったので、教室ではそれに関連する別の本を読む。先生が哲学や生物学や社会学の講義をしているあいだ、その先生の本と関連図書とをもちこんで、授業を聞きながら読むので、一種の「多重感覚読書」のようなことができるんです
■ぼくは自分がつきあったり、師事してみたくなった人の本は必ず読むということを徹底するんです。これも実は多読のコツかもしれません
■場所を思考や表現の下敷きにしていると、二重進行が可能になるんだとわかった
■「意識の流れ」と「実景描写」が二重進行している。場所を思考や表現の下敷きにしていると、二重進行が可能になるんだとわかった。これは、読書法のほうから言い換えれば、読書をするときに「場所」を下敷きにしながら読むという「二重引き出し読書」
■雑誌が読めれば本は読める
■やっぱり読書の頂点は「全集読書」
■読書というのはね、そもそもがマゾヒスティックなんです。だから、「参った」とか「空振り三振」するのも、とても大事なことです
ヘッドラインはそのメディアの歌い文句をあらわしている。歌でい
うなら「サビ」の部分なので、それが気にくわなければ読まないほ
うがいいでしょう(中略)また、ヘッドラインにふさわしい記事内
容になっているかどうかも、判断基準です
■読書には、守りの読書と攻めの読書があるんでしょう。それが「守読」と「攻読」
■本によって感じるレセプターのようなものを分けたり、連結させたり、とばしとばしにしていたり、ときにはオフっているからなんです。いわば「感読レセプター」
■読書というのは、書いてあることと、自分が感じることとが「まざる」ということ
■「読む」という行為はかなり重大な行為。単立した行為ではなく、複合認知。
■読んだ本が「当たり」とはかぎらないし、かなり「はずれ」もある。しかし、そこが読書の出発点。
■読書というのは、読む前に何かが始まっている。本はわれわれが読む以前から「読む本」になっている
■読書によって読み手は新たな時空に入ったんだという実感を持つこと
■こちらが無知だからこそ読書はおもしろいわけで、それに尽きます。無知から未知へ、それが読書の醍醐味です
■マーキングが読書行為のカギを握っている。マーキングの印をいろいろ決めておくといい。人名と概念を分けるとか、同意マークを分けるとか、著者の強調箇所と読み手が気になった箇所とに、別々のマーキングをするとか。なぜマ��キングするといいのか。すこぶる有効なことがあります。ひとつは読みに徹することができるということ、集中しやすいんですね。もうひとつは、再読するときにやたらにスピードが上がるということです
■メッセージが途中で変化しているのに、それでもコミュニケーションが成立すると思えるのはどうしてか。それは、社会のどこかに必ず「理解のコミュニティ」があるからです。そういう”理解の届け先”をそれぞれが想定しあっているからです
■「本をノートとみなす」
■本というのは著者の「ナマの姿」ではありません。「文章著者という姿」。著者は「文章著者」ですから、そこには文体があって、なんらかの「書くモデル」というものが動いている。それをズバッと見るのが読解力のための読書のコツ。
■執筆も読書も「双方向的な相互コミュニケーション」著者と読者のあいだは、なんらかの「コミュニケーション・モデルの交換」がおこっている。
■コミュニケーションでは「メッセージが通信されている」のではなく、「意味を交換するためのエディティング・モデルが動いている」
■人類が黙読ができるようになったのは、おそらく十四世紀か十六世紀以降のこと。それまではほとんど音読。
■人類の歴史は音読を忘れて黙読するようになってから、脳のなかに「無意識」を発生させてしまったのではないか
■「本は三冊の並びでつながっている」極端にいえば、自分だけの”三冊つなぎ”を作りあげるべきなんです。そこにこそ多読術が始まっていく
■どういう「ながら読書」をマスターするか
■読書は「わからないから読む」
■「読書は毒でもある」
■読書するにあたっては、書物に対してリスペクトをもつことも必要。馬鹿にして物事を見たら、どんなものも「薬」にも「毒」にもならない
■誰かに薦められた本は読むべき。その意味が十年後でもわからずとも、三十年後にわかろうとも
■読書はジグザグ運動で、ネットワーク読書活動
■書物を「良書」と「悪書」で分けるのだけはやめたほうがいい
■出来事や社会や世界を見るための視点は二つある。ひとつはオムニシエントな視線で、俯瞰的にその世界を眺められる「鳥の目」もうひとつはオムニプレゼントな目によってその世界に入っていって見る「足の目」
■コンピュータ・ネットワーク上のテクノロジーとコンテンツをいかに読書行為や編集行為と適合させていくかということは、その使い勝手がこれからの大きな課題。
課題?多くのソフトでは、知識や情報はピンポイントに引っ張り出されるために、自分がどのように「知の構造」と向き合っているかはわからない
課題?ピンポイントに検索しているということは、いちじるしく私たちの連想力を落としていることなんだということが、気づきにくくなっている。
■「知」には必ずアドレスがあり、「場所」があり、つまりは「来し方・行く末」がある
■本を贈りあう文化が日本に足りない
■欧米では子供の教育は「多読」と「討議」においている。
■読書は他者との交際
■読書の3R
リスク、リスペクト、リコメンデーション
■類書や似たような本はなるべく一緒に読むか、近い時期に読むかによって、想像以上に���く読めますし、アタマにも入りやすい
■そもそも思考や表現の本質は「アナロジー」であり、「連想」である
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本って奥が深いですね〜。
こっちに書評ではないですがちょいちょい書いてみました。
http://takeyas.belinko.net/2009/05/25/tadokujutsu/
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松岡正剛自身の読書体験を入り口に、読書の楽しみ方・耽り方・向かう姿勢(と書くと身構えちゃうかな(汗))、そして「読書」と「本」の向かう来し方、行く末を対話方式でまとめた本。
自分自身の読書体験や読書の面白さが重なる部分もあり(一つの本からいろんな方面に興味が拡散していき思わぬ所へ読みたい本が変わってしまうこととか)、また新たな発見もあり(本にマッピング-書き込み-する方法とか。これはワタシはあまりしてこなかったのですが、マッピングの方向性を視野に入れれば後から役に立つマッピングが可能なことを知ったのがなによりでした)。
また、どうしても「個人的な体験」になる読書を、どう「他者と共有する体験」に発展させるかについて、改めて考えさせられました。
欧米での「ブッククラブ」の存在や、「本をギフトとして贈る」習慣なんかも、貴重な情報でした。
(「本をギフト…」っていうのは、ワタシにとっては子供の頃からの最高のプレゼントだったのですけどね。…いまでもそうか(笑))
読書の他者との共有する体験にするための「場」について、都会ではなく自分の住んでいる田舎でどういう形で可能なのかな…といろいろ考えてみたりしました。
ワタシの住んでいる町は、「図書館」と呼べる施設はあるけれどもほとんど利用できる本がなく、「書店」も隣町に行かねばなく(でも松岡正剛の本などを購入しようとしたら、110km離れた札幌に行かねばならなかったりして)、つねづね危機感を感じていたので。
実際、「ほしい本」はネット通販という方法があるにはあるけれども、それだとターゲットポイントの本しか入手できなくて、本屋のような両隣の本との出会い、「こんな本が出てたんだ」という新鮮さを味わうことができなかったりしていて、そういう個人的な不満や焦燥感みたいなものに、この本は一つの方向性と可能性を与えてくれたような気がします。
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■本の内容・特徴
「千夜千冊」サイトを管理する正岡氏の人生で読書がどのように関わってきたのか、また正岡氏の読書論について、インタビュー形式でまとめられた本。
■目的
多読の必要性を知る。(シリーズ第3弾)
■感想
あまり満足できませんでした。私がこの本に求めたものとは違っていたので、満足度は★3つにしました。
しかし正岡氏の読書に対する思想を知るにはいい本です。インタビュー形式なので話が多岐にわたり、幅広く知ることができます。彼の本の読み方をモデルにして、ぜひ真似をしたい盗みたいと思う方には満足できる本ではないでしょうか。
私が参考にしたいと思えた部分は、「読書は編集」と「キーブック」についてでした。
■こんな人にオススメ 正岡氏に興味のある人
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最近感じていた、読書に対する自分の姿勢が、これを読んで少しかわりました。
そんなに肩肘はんなくていいんだ、って気持ちがすぅっとラクになりました。
むしろ、なにをそんなに凝り固まっていたのだ、自分よ、という感じ(笑)
読みたい本が多すぎて、でもそれに対する自分の読書量が追いつかない。
そのことにどこか苛立っていた自分。
苛立つ必要なんてないですよ。自分のペースで読むしかないですよ。
ってかそれでいいんですよ。 っていう当たり前のことを再認識。
もっと自由に。読みたい本を読みたいときに。ね。
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それぞれの生活シーンとそれぞれの読書。
とりあえず、朝から晩までの、それぞれの読書のスタイルを決めてみた。
本の3R
リスク・リスペクト・リコメンデーション
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【読書は”無知から未知へ”向うものであり、読前・読中・読後が存在する】
「読前」
―目次読書法
【目次を見て、ごくごくおおざっぱでいいからその本の内容を想像する。それによって自分と本との間に柔らかい知のマップのようなものを立ち上げる。知のマップが立ち上がると、内容が頭の中に入りやすくなる】
「読中」
―マーキング読書法
【読んでる最中に何を感じたかも、マークしておく。読書によって新たな時空に入ったということをリアルタイムに感じることが読書の醍醐味】
―マッピングで本を整理する
【引用ノートを用意して気になったフレーズやセンテンスを、“論理の面白さ””知的ジョーク”等の項目別に写す】
→【情報や知識は記憶構造に入れておくべきではない。頭の中に編集構造(場のようなもの)を入れていくように、自分なりのノートにマッピングしていく】
「読後」
―本は二度読む
【本は二度以上読まないと読書じゃない】
「読書の心得」
【本はわかったつもりで読まないほうがゼッタイにいい。読書は”伏せられたもの(書物)が開いていく(読書)”という作業】
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1).目次
1 多読・少読・広読・狭読
2 多様性を育てていく
3 読書の方法を探る
4 読書をすることは編集すること
5 自分に合った読書スタイル
6 キーブックを選ぶ
7 読書の未来
2).筆者の主張
・多読術とは、ロジカルなものではない。
・読書というものを生活体験と連動させ、本の意味の市場の中に位置づけ、読書行為を生活的な重層構造と捉える。
・読書プロセスには、読むだけではない。、読み手と売り手の間であり、読前、読中、読後を分断することなくつなげた。
・読書を神聖なものと思う必要はない。有意義なものとか特別なものと思わない。もともと多様なものであり、薬にもなるし毒にもなる。読書は常にリスクを伴うものと思ったほうがいい。
・本の責任は、著者3割、読者3割、製作販売3割、偶然1割である。それゆえ、読者自身が自分の得意な作法に照らし合わせ、会得しやすい柔軟な方法を身につけるほうがいい。
・人が何を読んでいるかはわかっても、人がどのように読んでいるかはわからない。ふつう読書体験は人にはわからないが、自分は千夜千冊として体験記としてつづっている。これは書評ではない。
・世界の本の総体は圧倒的な文字量になっており、言葉と意味が飛び交っている。人間と動物を区別するものが言葉と意味だとすれば、人間的なるものの源泉は、その大半が本にあると考えていい。読書をしようとして読書量を増やそうとしのたのではなく、そういうふうに記憶され、記録された世界と付き合ってきた。「
・読書って二度する本がいい。なぜなら、読書は本当は別に、いつ、どんな気分で、どんな感受性の時に読んだがに密接にかかわってくる。初読時の感想を今日の時点で眺める視線が必要。実際にかなりの開きがある。再読のきっかけは、読んでいるのに中身を思い出せない本がたくさんあったから。
・本は気分転換で読んでいい。
・雑誌であればヘッドラインを読んでみるといい。
・本の内容が頭に入らないのは、全力で読もうとしているから。
・本を読むときは、?良書、あった本を読む?じっくり読了する?自分のペースで読む。ただ、こういう助言は大体役に立たない。理解できなくてもいいからどんどん読む。読むということは、いろいろなものと自分とを一緒に感じることである。
・マーキングすることで、再読するときにやたらスピードが上がる。すでにテキストが入っているノートである。
・読書体験は消してはいけない。
・書くのも読むのもコミニケーションの一つである。
・似たものを読むのが速読術である。
・本を読むときには、書物を読んだら、本を閉じて頭の中でトレースしてみる。読書した内容を独り占めしないこと。
・読書はわからないから読むので、わかったつもりで読まないほうが絶対にいい。無知から未知へ。読書は何だって役に立つ。読書hが水たまりであり、見え方によって違ってくる。
・本から本へ、何かキーブックを探す。
・さまざまな読書をまぜこぜにしながら、遊びや息抜きを混ぜていく
・いい本に巡り合う確率は低い
・読書するときには、鳥���目と足の目の両方の視点から見る必要がある。
3).個人的感想
・自分の読んでい本と著書の読んでいる本の内容が違いすぎると感じた。千夜千冊の中で現時点で自分の読んでいる本はほとんどない。
・古い本や真面目そうな本が多いので、自分の読んでいる本とはずいぶん差があると感じる。もっとまじめな(?)な本を読んだほうがいいのではないかとも思う。まじめな本と考えるのではなく、多くの言葉と意味を知り、人間的なるものの源泉を探すために本を読めばいいのか?ただ筆者も言っているが、読書は多様なものでどんな本を読んでもいいはず。まずは一冊一冊、自分が読んでいく本を大事にしていこうと思う。ただ、最近の本やノウハウ本に傾注しすぎてはよくない。バランスよく本を読んでいくことが大事だと感じた。
・多読術とは、たくさんの類似した本を読むことで、キーブックを見つけることで、自分の知らないことを知っていく過程ということではないか?読む際には自分なりに理解し自分の考えを知っていくことではないか?
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「無知から未知へ」が読書の醍醐味。速読術やなんかとは全然違う切り口で読書について語られてますが、読書について語りながら同時に、人間や世界や文化についての様々な未知を覗かせてくれます。