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P46「寝ないようにする」
P52「意識と実景の二重進行」
P69「無知から未知へ」
P114「引用ノート」
P117「三冊の並び」
P129「江戸の私塾の読書法」
P166「負の想像力」
P172「悪書は良書」
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久しぶりの良書。
大学の先生のブログを見ていて気になったので購入した。
印象に残っている箇所を3つ。
1、読書は二度する方がいいという点。なぜなら、いつ読んだのか、どんな気分で、どんな感受性のときに読んだのかが密接に関わっているからだ。その本について「今日この日」に書いているのだから、初読当時の感想を今日の時点からあらためて眺める視線が必要。とのこと。
2、「無知」から「未知」へという点。「読書の楽しみ」とは一言で言えば、未知のパンドラの箱が開くということ。「無知」がるから「未知」に向えるとのこと。
3、読書は「わからないから読む」という点。旅と同じ。「無知から未知へ」の旅。効用もそこにある。
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つんどく法・・・同じ分野の近い話題本を積み上げておき、ある程度たまったら一気に鉛筆とメモをとりながら要点を描写していく。これにより未知の分野から概要を要領よく掴むことができる方法が印象的で実践してみたいものだった。
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購入
キーブックの見つけ方が参考になった。
本って実はずっと小さい頃から読んでいて、
そりゃあ私より読んでいる人はたくさんいるけど自分なりに本とはちゃんと付き合ってきたので
大体こういうHOW TO本はもういいよ〜って感じなんだけど、流石巨匠でした。
気づかされることがまだまだたくさんありました。
本を読んでいて歴史の捉え方がもっとうまくできそうだ。
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書評ブロガー鹿田尚樹の「読むが価値」で何度となく紹介されていたブログ「千夜千冊」。
その著者である松岡正剛氏。
気にはなっておりました(-.-)フ
ボブの浅識のため、一度もセイゴオ氏の著作を読んでいなかったが、これを読んで一気にファンになってしまった。
読書に対する姿勢、読み方、考え方…
参考になります。
自分の「好み」を作るには読書していくしかないわけで、ボブもまだまだ修行が足りません。
≪日々是実践≫
また。
書棚へのこだわり。
分かります。
自分の蔵書は、手元に置いておきたいし、皆に読んでもらいたい(知ってもらいたい)…
自分の頭の中を見せているようで恥ずかしい面もありますが、これを機にアドヴァイスやらトークやらを展開できれば本望。
そんなスペース(書斎)を作りたいなぁ、と思うボブなのでした。
「第一には読書というものを生活体験と連動させ、第二には本を『意味の市場』の中に位置づけ、第三には読書行為を知的な重層作業というふうに捉えた」
「読前・読中・読後を分断することなくつなげた」
「本は『薬』にもなるが『毒』にもなるし、毒にも薬にもならないことも少なくない」
「読書を愉快にさせるのは、読み手次第」
「あとがき」からの引用ですが、ぜひ本文を読んで感じていただきたい。
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読書の楽しみを知れば、自然と本はたくさん読めます。著者の読書遍歴を振り返り、日頃の読書の方法を紹介。本書を読めば自分に適した読書スタイルがきっと見つかります。読書の達人による多読のコツを伝授。
参考にはなりましたが、ちょっと世界が違う感じがしました。
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松岡正剛さんがどのような人物なのかはよくわからないまま購入。
読書の達人であるらしい。
本をノートとみなして、マーキングしたり、
書き込みをしてしまうというのは、
よくある話だけれど改めて参考になったかな、と。
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まぁ面白い。
対談形式、案外読みやすい。
松岡正剛に興味がある人向けかな。
多読術、書かれている内容としてはあまり目新しくない。
松岡正剛という人、初めて知りました。いやお恥ずかしいながら。
面白い、興味あり。
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この人のように深く、たくさん本がよめるようになりたいものだ
・目次読書法・・・先に目次をみて中身を想像してから読む
・読書はコラボレーション・・いろいろなものを一緒に感じる
・少し読んだら本を閉じ、その内容を追想し、頭の中でトレース。
・読書した内容を独り占めしないで、他人に提供
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珍しく新刊を読んだ。
やはりセイゴオさんの読み方はすごい!
ほかの読書術には全然納得できなかったのだが、彼の「二回読む」というのには深く頷ける。
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そういえば、内田が松岡のことを「自分のフレームワークを強化するために多くの本を読む人」と批判していたよ。
自分のフレームワークを壊すためにこそ、ホントの出会いがある。
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○「読書の楽しみ→未知のパンドラの箱が開く」○読前「目次読書法」「感読レセプター」読中「マーキング」読後「マッピング」○キーブック○三冊屋○トレーニング ☆イシス
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【著者はこんな人】
「千夜千冊」というインターネット上でブックナビゲーションを公開している。
【だいたいこんな本】
読書の達人による多読のコツを伝授してる本
目次より
1)多読・少読・広読・狭読
2)多様性を育てていく
3)読書の方法をさぐる
4)読書することは編集すること
5)自分に合った読書スタイル
6)キーブックを選ぶ
7)読書の未来
【読んでみて、こう感じました】
この本の言い方で表すと 「荒読」
実は、この方が「千夜千冊」というブックナビゲーションで
有名だということを知らないで購入し、読み始めました。
この方を知っている、千夜千冊ファンだったらとても興味深く読めたと思いますが
私は全く知らないかただったので
かなり飛ばして読みたいところだけ読みました
印象に残った一節
’実は「好み」というものは細部においては極めて多様で、複雑だということです。
(中略)「好み」は非常に多様で、バラエティに富んでいるのです。
それが個性というものを成立させている。’
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■人が何を読んでいるのかはわかっても、人がどのように読んでいるかはわからない
■本というのは、長い時間をかけて世界のすべてを呑み尽くしてきたメディア
■本って実は背表紙を見ているときから読みが始まっている
■読書って二度するほうがいいんです。同じ本をね。というのは、読書にはその本のこととはべつに、いつ読んだのか、どんな気分で、どんな感受性のときに読んだのかということが、密接にかかわっている
■書物には「人」がくっついている
■本にはたくさんの「人の出入り」がある
■本というものは1人ずつに、なんと異なる読後感をもたらすんだろう
■授業はつまらなかったので、教室ではそれに関連する別の本を読む。先生が哲学や生物学や社会学の講義をしているあいだ、その先生の本と関連図書とをもちこんで、授業を聞きながら読むので、一種の「多重感覚読書」のようなことができるんです
■ぼくは自分がつきあったり、師事してみたくなった人の本は必ず読むということを徹底するんです。これも実は多読のコツかもしれません
■場所を思考や表現の下敷きにしていると、二重進行が可能になるんだとわかった
■「意識の流れ」と「実景描写」が二重進行している。場所を思考や表現の下敷きにしていると、二重進行が可能になるんだとわかった。これは、読書法のほうから言い換えれば、読書をするときに「場所」を下敷きにしながら読むという「二重引き出し読書」
■雑誌が読めれば本は読める
■やっぱり読書の頂点は「全集読書」
■読書というのはね、そもそもがマゾヒスティックなんです。だから、「参った」とか「空振り三振」するのも、とても大事なことです
ヘッドラインはそのメディアの歌い文句をあらわしている。歌でい
うなら「サビ」の部分なので、それが気にくわなければ読まないほ
うがいいでしょう(中略)また、ヘッドラインにふさわしい記事内
容になっているかどうかも、判断基準です
■読書には、守りの読書と攻めの読書があるんでしょう。それが「守読」と「攻読」
■本によって感じるレセプターのようなものを分けたり、連結させたり、とばしとばしにしていたり、ときにはオフっているからなんです。いわば「感読レセプター」
■読書というのは、書いてあることと、自分が感じることとが「まざる」ということ
■「読む」という行為はかなり重大な行為。単立した行為ではなく、複合認知。
■読んだ本が「当たり」とはかぎらないし、かなり「はずれ」もある。しかし、そこが読書の出発点。
■読書というのは、読む前に何かが始まっている。本はわれわれが読む以前から「読む本」になっている
■読書によって読み手は新たな時空に入ったんだという実感を持つこと
■こちらが無知だからこそ読書はおもしろいわけで、それに尽きます。無知から未知へ、それが読書の醍醐味です
■マーキングが読書行為のカギを握っている。マーキングの印をいろいろ決めておくといい。人名と概念を分けるとか、同意マークを分けるとか、著者の強調箇所と読み手が気になった箇所とに、別々のマーキングをするとか。なぜマ��キングするといいのか。すこぶる有効なことがあります。ひとつは読みに徹することができるということ、集中しやすいんですね。もうひとつは、再読するときにやたらにスピードが上がるということです
■メッセージが途中で変化しているのに、それでもコミュニケーションが成立すると思えるのはどうしてか。それは、社会のどこかに必ず「理解のコミュニティ」があるからです。そういう”理解の届け先”をそれぞれが想定しあっているからです
■「本をノートとみなす」
■本というのは著者の「ナマの姿」ではありません。「文章著者という姿」。著者は「文章著者」ですから、そこには文体があって、なんらかの「書くモデル」というものが動いている。それをズバッと見るのが読解力のための読書のコツ。
■執筆も読書も「双方向的な相互コミュニケーション」著者と読者のあいだは、なんらかの「コミュニケーション・モデルの交換」がおこっている。
■コミュニケーションでは「メッセージが通信されている」のではなく、「意味を交換するためのエディティング・モデルが動いている」
■人類が黙読ができるようになったのは、おそらく十四世紀か十六世紀以降のこと。それまではほとんど音読。
■人類の歴史は音読を忘れて黙読するようになってから、脳のなかに「無意識」を発生させてしまったのではないか
■「本は三冊の並びでつながっている」極端にいえば、自分だけの”三冊つなぎ”を作りあげるべきなんです。そこにこそ多読術が始まっていく
■どういう「ながら読書」をマスターするか
■読書は「わからないから読む」
■「読書は毒でもある」
■読書するにあたっては、書物に対してリスペクトをもつことも必要。馬鹿にして物事を見たら、どんなものも「薬」にも「毒」にもならない
■誰かに薦められた本は読むべき。その意味が十年後でもわからずとも、三十年後にわかろうとも
■読書はジグザグ運動で、ネットワーク読書活動
■書物を「良書」と「悪書」で分けるのだけはやめたほうがいい
■出来事や社会や世界を見るための視点は二つある。ひとつはオムニシエントな視線で、俯瞰的にその世界を眺められる「鳥の目」もうひとつはオムニプレゼントな目によってその世界に入っていって見る「足の目」
■コンピュータ・ネットワーク上のテクノロジーとコンテンツをいかに読書行為や編集行為と適合させていくかということは、その使い勝手がこれからの大きな課題。
課題?多くのソフトでは、知識や情報はピンポイントに引っ張り出されるために、自分がどのように「知の構造」と向き合っているかはわからない
課題?ピンポイントに検索しているということは、いちじるしく私たちの連想力を落としていることなんだということが、気づきにくくなっている。
■「知」には必ずアドレスがあり、「場所」があり、つまりは「来し方・行く末」がある
■本を贈りあう文化が日本に足りない
■欧米では子供の教育は「多読」と「討議」においている。
■読書は他者との交際
■読書の3R
リスク、リスペクト、リコメンデーション
■類書や似たような本はなるべく一緒に読むか、近い時期に読むかによって、想像以上に���く読めますし、アタマにも入りやすい
■そもそも思考や表現の本質は「アナロジー」であり、「連想」である
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本って奥が深いですね〜。
こっちに書評ではないですがちょいちょい書いてみました。
http://takeyas.belinko.net/2009/05/25/tadokujutsu/