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みんなのレビュー107件

みんなの評価3.8

評価内訳

104 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

これ、誰に勧めるべき?

2009/05/06 14:07

22人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:佐伯洋一 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本当に頭の悪い文章に相変わらず辟易する。前書評がまさに正鵠を射ていて、言っていること自体は簡単で分かりやすいはずだ。しかし、理由づけや前置きが途端に概念付けからスタートし、難解な議論にすり替えてしまう。頭の良い文章とは、難しいことは簡単に分かりやすく説明した文章のことで、それ以外あり得ない。次に良いのが難解なことを難解に説明する文章。最悪なのは、簡単なことを難解に説明する文章。本書は、最悪の文章に属する。こういうのが良いと思うのはただの権威主義である。
 難解さがそのままテーマで許されるのは哲学書の類である。たとえば術語集などは国語の現代文の勉強にもってこいと言われており、その通りだと思う。
 内容的には、日本をどうするかという部分は著者の考え方がよく出ている。重武装理論も理解できる。裁判員制度についても言っていること自体は理解できる。
 とはいえ、裁判員制度が民主主義にどう作用するかといえば、もちろんプラスに働く。しかし、多数派がすべてを決める民主主義において、司法だけは多数派の圧迫から逃れる少数者の最後の砦である。これが立憲主主義の根幹である。裁判員制度は、西部開拓民の歴史的産物にすぎない悪しき制度であり、日本の民主主義には決してよい影響をもたらさない。
 宮台ファンにとっては本書は優しい入門書に映るのだが、宮台ファンでもなんでもない者にとってはやはり読みづらいことは否めまい。「カギ概念」「超越的共同体」「モメント」・・どうしてこんな用語を使う必要があろうか。私も日々論文を精読しているが、馬鹿で無能な者の論文ほど難解で、法学の世界においてことにドイツやフランスの議論にすり替えて喜んでいる傾向が顕著に見られる。経済学においてもマルクス云々をいまだに議論の中心に据えているような輩もいる。
 本書の内容、おそらく主張、理由で簡潔に並べれば新聞の社説程度で済むのではないか。そういう意味では受験生が要約の練習をするにはいやみではなく本当にかなりいい素材である。同時に知識も得られる。ということで、小論文が必要な受験生にお勧めしたい。
 

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紙の本

丸山(眞男)や宮台が指摘する日本の難点とは?

2010/01/02 01:10

12人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:T.コージ - この投稿者のレビュー一覧を見る

宮台の根本にある問題意識は、コレだったのか…
…それは、実をいうと<関係妄想>のことなのだ。

 数行で一つの知見が込められ次のセンテンスとの関連は行間が飛んでるように感じる。柄谷行人のような観念的な行間の飛び方ではなく内容のシフトがあり展開が速すぎるために分かりにくくなっている。宮台の私塾用のテキストがベースのようなので仕方無いかもしれないが、もっと読み安くしてほしかったとはいえる。講義ならば豊富な話題と知見、スピーディーな展開で毎回面白く聞いてられるハズだ。
 内容的には宮台理論の全容が抽象から政策まで、哲学からポリティカルな面まで知ることができるので宮台の研究家?や論破したい人は読破してみるといい。個人的には「はじめに」の10頁分だけでそのポテンシャルが確認できたのが幸いだった。ある意味宮台理論の可能性とそしてはじめて限界(も)が把握できた気がしたからだ。
 丸山眞男が提起した日本の根源的な問題が「はじめに」で示されているが、それは宮台個人の実存の問題(そして多くの日本人の問題)でもあり、吉本隆明だけが理論化してきた問題でもある。その点だけにフォーカスしてみた。

●「日本人が浸されている特別な事情」
 ここでは、日本人が浸されている特別な事情についてだけ述べておきましょう。
 丸山眞男が述べた「作為の契機(人が作ったという自覚)の不在」がヒントです。(P9,10)

 宮台は本書のはじめに「日本人が浸されている特別な事情」を明らかにしている。それは丸山眞男が指摘したという「作為の契機(人が作ったという自覚)の不在」である。この指摘は宮台の認識の基礎となる重要なもので、『吉本隆明のDNA』で宮台が自ら語っている「不可避体験」と対?をなす認識(概念)なのだ。

 「作為の契機」とはカンタンにいえば<他人が(何か)した(する)コト>であり、他人を認識するときの前提でもある。誰でも、この他人の<したコト(するコト)>をとおして他人を認識している。逆にいえば、この<したコト(するコト)>以外をとおして他人を認識することは出来ない。(これは本来、関係のマテリアルであり、唯物論の論拠であるべきもので、マルクスでは生産諸関係等となる。広松哲学ならば他人の行為の物象化だ)

 <不可避体験>とは、この他人による<作為>への認識が亢進した状態を呼ぶ。自分が他人に何かされる(された)、他人が自分に何かする(した)という認識だ。そこには<ワザとやった>というニュアンスで他人の意志がでっち上げられている。他人の意志を無理やりにでも見出すところが病的であり、関係の本質の一端でもある。それが周囲との論理的な整合性がなくなった状態が精神病=関係妄想なのだ。ただし人間(生物)の特徴としてこの<関係の病>は捨象出来ない。正常な閾値の範囲内ではそれは<受動性>として発現する<愛>の受容態でもあるからだ。フロイトはこの受容態の歪みを精神分析の根源としたが、そこから遠隔化した様態と、そこに不可逆で不可換な位相があることを考察しなかった。これがフロイトの限界なのだ。

 宮台はフーコーがこれらの問題を先取りしていたことを示唆しているが、そのフーコーの限界も同じところにある。フーコーと吉本隆明の対談で、すでに自らの『言葉と物』などの方法論の限界を表明していたフーコーは吉本に対して次のように語っている。

  国家の成立に関しては、
  …
  どうにもわからない大きな愛というか
  意志みたいなものがあったとしか
  いいようがないのです。(『世界認識の方法』P48)

 このフーコーの言葉は半分当たっていて半分外れている。「どうにもわからない」というのはそのとおりなのだ。ラカンはこのどうにもわからないものを象徴界と呼んだ。だが、それは「大きな愛」でもないし「意志みたいなもの」でもない。
 「国家」という共同幻想を成立せしめているのは、<愛>から遠隔化する構造そのものであって、<愛>や<意志>の変形ではないし、必ずしもそこから生成するものでもないからだ。ただそこには何でも代入できるために愛も変態もファシズムも可能になるだけだ。そしてそれ基づく関係性はDVから資本主義までさまざまだ、ということに過ぎない。(この認識に立った言説が『ハイ・イメージ論』)

●<する><される>という関係
 ところで「作為の契機」や「不可避体験」で表出する(他人を認知するための具体的な条件である)<する><される>は主体と客体の関係の基礎であり、関係そのものだ。
 それは「主体と対象の<あいだ>」であり「<関係>それ自体」のことである。あの吉本理論で有名な<関係の絶対性>のことであり、宮台は吉本(理論)の特に『心的現象論序説』から影響されたことを認めている。

 統合失調症やうつ病をはじめとする心的現象の根源にある<不可避体験>という関係妄想は周囲の環界との整合性がある限りは常態(正常・健常?)の認識に過ぎない。<病的>や<異常>という定義の根拠は他者や環界との論理的整合の是非とその程度(水準)にしかないからだ。この論理的整合性が非整合に傾いていく過程は『異形の心的現象』『統合失調症―精神分裂病を解く』(森山公夫・ちくま新書)などに詳しい。

 ニューアカのポスモダ論議でさんざんドゥルーズ=ガタリ周辺を引用しスキゾ(分裂症)だなんだといわれながら、こういった主張や指摘はなかった。
 欧米家族の範囲内しかも欧米理論の枠組でしかない『ミル・プラトー』よりも吉沢明歩の『ポリネシアン・セックス』の方が<いきっぱなし(ミル・プラトーとはこの状態を表現した言葉)>という快楽と抑制がまともな象徴界を形成し、まともな人格を育んでいくリアルワールドを知ることができるのは当然だろう。そこには文字通りの<する>と<される>の関係だけだはなく、<待機>という静かなしかし強力な去勢があるからだ。ポテンシャルを育むということは去勢の中でも高度なものではないか? パフォーマティブな<割礼>ではなく、羊水のなかでの微睡みのような<育み>がそこにある。

 宮台が期待する利他的な存在というのは、確かにチェ・ゲバラのような人間だが、それはミル・プラトーとメタフォーされる<いきっぱなし>な状態を提供してくれたり保証してくれる存在でもあるだろう。ポリネシアンのルーツを持つ日本人には比較的に馴染みのあるものでもあるかもしれない。

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2009/05/04 01:04

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