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37歳独身、学生時代に出会ったチサトと共同経営で古着屋を営むハナは、恋人のタケダくんに「ちゃんとしてやんなきゃ」と唐突に結婚を宣言され、喜べない自分に気づく。むしろ「なんかつまんねえや」という思いをかき消すことができず、結局タケダくんと疎遠に…。
やりたくないことはやらない、そうやっていたら結局何も持っていない、そんな自分を持て余しもがくハナ。チサトの結婚で一人取り残されてからキリエと急速に親しくなるものの、キリエたち独身女性のトークにも違和感を感じる。
ひとつひとつのハナの心の浮き沈みがやたらリアルで、自分とまったく立場の異なるハナなのに、妙に共感してしまった。どちらかといえば、たとえば妹のナエであったりチサトであったりのほうが近い部分があるのに、分かる分かる、と思えるのが不思議だ。
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主人公のハナのように、したくないことはしないで、好きなことだけやっていれば自由で良さそうですが、ハナとは生活環境が違っていても、ハナの気持ちに共感できる作品でした。
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かなり好き。
ハナちゃんのグズグズした煮え切らない所とか。
何年かしたらもう一度読みたいと初めて思った本。
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年を無為に重ねる恐怖をひしひしと感じた。欲しいものは何だろう、誰が持っているんだろう、なんで自分は持ってないんだろう。
誰かと一緒にいなければ孤独が不安になるけど、誰かといても物足りない。
どちらも恐い。
ただ、それは悪いことじゃないし、もっとのびのびと色んなことをしていいんだよね、と最後は思える、怖くもありほろ苦くもあり、けど胸に迫る優しい物語。
主人公ハナの母が亡くなる場面。冷蔵庫に眠るケーキの材料と、和室にたくさんの子供服。
誰もがそんな思い出って持ってる。
絶対に戻れないからこそ大事な、母と幼き自分。
おそらく作品のテーマの本筋とは違うかもしれないんだけど、私はこの母のエピソードが一番好き。
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収まれない、かといって夢を追いかける情熱があるわけでもない。「いい歳して何も持っていない自分」というのがとても刺さった。37歳になったらまた読み返したい。
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誇りを持てる仕事をもち確固たる居場所を社会の中で築いたハナ。他方、フィアンセ?のタケダ君はというと今ひとつパッとしない。独りよがりと空回りは何とも悲しく滑稽。迷いなく一直線に飛び込んでいける男とはとても言えない。結婚への揺れる思いが手く掬い上げられている1章。2章以降は、仕事、家庭、友、親子、自己、さまざまな関係性が重層的に絡みながらハナを苛む。いずれも世相を反映した社会の象徴的断面。自分は一体何をしたいのか。何か残せたのか。共感をもって自問した。
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37歳、独身、下北沢で古着屋を経営するハナが、不安を抱えながら自らの生き方を模索する物語。私はハナとは一回りも年齢が違うけど、もやもやしたハナの思いに共感できた。
元彼のタケダくんに、「したくないって言い続けてたら、そこにいるだけ。その場で駄々こね続けるだけ」と言われ、共同経営者のチサトが昔2人で嫌っていたブランドの販売を始め、母が倒れ、そんな中でハナは、古着で作る絵本を始めてみたり、自分の道を模索する。
結局先の見えないままで物語は終わったけど、ハナが最後に、「なんにもつかみとっていない、なんにも持っていないーーそれはつまり、これからなんでもつかめるということだ。間違えたら手放して、また何かつかんで、それをくりかえして、私はこれを持っていると言えるものが、たったひとつでも見つかればいいじゃないか。それがたとえ六十歳のときだって、いいじゃないか。」という言葉に幾分か救われた気がした。
まだまだこれから、だよね。
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売れっ子作家の角田さんは明らかに「持ってる」側の人なのに、何でこんなに上手く書けるのかなぁ?だから売れっ子なのか…。
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なんだかなあ、ひどく共感した一冊。なんか自分に似ている気がして、
自分もきっとこんな風になってしまうのかもなあと思った。
P203〜浦島太郎が開けた箱の蓋を、私もまた開けてしまったような気がした。時間が経ったようには感じられないのに、私たちは今、まったく異なる場所にいる...。
どんどん前へ前へ進むチサトと、変わらなくていいとその場にとどまるハナ。そこでハナは前述のような思いを胸にする。
私自身もハナと同じく、今まで(22年)生きてきて、時間が経ったという感じはするが、成長したかと言われたらそうでもない。そしてまたハナと同じで、私の友人はアクティブな人が多くどんどん前にすすんで成長していくが私はそこにとどまったまま、みんなが前に進んで行くのを見ていっている気がする。進んだとしてもかなりゆっくりだ。だから、ハナと同じような考えを将来抱くんじゃないかと思ってしまう。どんどん先を進む友達を見て、自分も何かしたいと思いながらもそれがなかなか友達のようには上手くいかず、いじけてしまうような気が。
そんな時チサトはハナに「その人はその人になっていくしかない。」と言うが、それは本当にその通りで、私は、小さい頃から、多少は変わってきたと思うが私のまんまなのだ。私が覚えてる限りずーっと一緒。多少は違うかもしれないけれど根底は一緒。違う自分になりたい〜と思ったことも(おしとやかになりたいとか...)あるけれど(今もある)比較して落ち込んでも何も変わらないし、まあ自分は自分なんだししょうがないや、と思って生きている。
10年後、私は何をしているんだろう。10年後と言ったら32歳である。ええ、あと10年でもう30代になっちゃうの?早いなあ。と書いた後に思った。そしてまだ22歳と言っても、もう22歳なんだと思ってしまった。まだ子どもだと思ってたのに、もう大人の年齢ではないか...。友達は、どんどん前に進んでいき、私だけみんなが昔いた場所にずっととどまっているのではないだろうか。。
ハナは強要されることが嫌いで、したいことしかしたいとは思わない。
だけどタケダくんは「ちゃんとしよう」と思い、したくないことをしたいにひっくり返し、チサトは「したくないことをしなくちゃなんないこともあるよ」と言う。
私もハナとチサト同様、古着が好きで、高校〜大学2年までよく古着屋に行っていた。母にはハナと同じように煙たがられ、人の悪い念がついているとばかり言われていた。
私はだんだん古着屋には行かなくなったが、
大人になっても、ずっと1つのこと(古着)に没頭し、自分の好きなことを仕事に出来ているハナはすごいと思う。
でも、したいことばかりを選んでそれをしていくとどんどん道は狭まっていく。
最初に述べた”その場にずっと残されている”感はなくならないだろう。
そんな時、したくないこともして道を広げていくのもたまにはいいんじゃないか。
それで前に進めていくんじゃないか。
それに気づいたからタケダくんは「ちゃんとしよう」と思い、したくないことをしたいにひっくり返しバイトから社員に昇格したり、結婚をしようとしたり、チサトは「したくないことをしなくちゃなんないこともあるよ」と言い、中古ブランドの店を始めたんだろう。
ハナは仕事が好きである。そういう女の人が、結婚について「つまんないもんだ」と否定的に思うのも無理ないかもしれない。私も仕事したいと思っているが、別にハナみたいに「したくない」わけじゃなく、わからない。だって結婚ってしたことないからどういうものかわからないし、それは自分達で作り上げていくものでしょう。だからたぶん、気づいたらしているんだと思う。そんな重苦しく考えることでもないんじゃないのかなーとも思う。ただ、結婚制度の、結婚=男が仕事、女が家事というのが、そして夫のお金で生活をすることが世間一般でほぼ普通、ということが疑問なのだ。なぜ男の人だけが働かなければならないのか、なぜそれが普通なのか。なんか男女共同参画社会を訴えるような人になってしまったが...。私も仕事して、自分のお金は自分で稼ごうと思っているからそう思うのだろう。なんだか私は相手と平等でいたいのかもしれない。でも働きたいが、子どもと夫と一緒に、河原の芝生の上を3人で手をつないで散歩なんて、のんびりした日常も過ごしたいと思っている。まあ、要は欲張りなのかもな。仕事と家事を両立したいだなんて...。
人が大人になることは、年齢と関係がないんだな、とハナは思っている。
私は、今すぐ大人になりたいと思っているが、結局自分を客観視するとまだまだ子どもだなあと思う。
いくら自分が大人になりたい、と思っていてもハナ曰くそれはいつ来るかわからないのだ。
本当に早く大人になりたいなあと思っているが、そう言われると私にとってそれは
20年、30年先の、未知なることのように思える。
ハナは新居に、自分の気に入ったものしか置かないと決めるが、2ヶ月経った後も部屋は段ボールだらけのままである。その部屋はまるでなにも持っていない自分のようであると彼女は述べていたが、最後は「そうだ、空っぽの部屋を嘆くことなんかない。だってこれから、いくらでもものを満たしていける。(中略)なんにもつかみとっていない、なんにも持っていない—–それはつまり、これからなんでもつかめるということだ。間違えたら手放して、また何かつかんで、それをくりかえして、私はこれを持っていると言えるというものが、たったひとつでも見つかればいいじゃないか。それがたとえ六十歳のときだって、いいじゃないか」と言っている。
私もなにも持っていない。でも、それはこれから掴んでいくことが出来るということなのだ。
私は、今、「これを持っていると言える」ものを何か1つでも探そう、掴もうと躍起になっているところがあると自分でも思う。躍起になってはいいかもしれないけど、もしそれで間違っていても落ち込まず、それを繰り返して、生きているうちに見つけられたら上々なんじゃないかなあ、そしたらちょっとでも前に進んでいけるんじゃないかなあなんて思ったのでした。
いろいろ考え、むしろ考えすぎて頭がごちゃごちゃになってしまった一冊だった。
でも、大切なことを学べたような気がする。
最後に、母についてのことがあったが、私はあのエピソードを読み泣いてしまう。私に似ている気がして。
母に思春期の頃は反抗するが、やっぱりすごいと思ってしまうんだよなあ。
親孝行しよう、と思ったことである。
でも、まだまだ思春期。(22歳なのに...)恥ずかしいけど出来るかな。
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79 発展も後退もない金太郎飴のまんなかみたいな状態に耐えられない
98 アルバイトになるということはいつ解雇されるかわからない用なしとイコール
107 なんで合コンなんてしたんだろう。知らない誰かとあって、こんな風に話せるまでには途方もなく時間がかかるのに
108 どこにも属さないなんて、価値のあることじゃない。それだけ。超簡単。したくないことでしか構成されてない。それでは前に進めない
115 わざと声をあげて泣いた。そうすることで、自分が何か持っていたような気になれた。
123 私が知りたいのは病状じゃなく、死んじゃうのか生きているのかだった
163 みっともないとかやりたくないこともやらなきゃいけないときはあるよ
168 ボランティアは見返りを求めない
169 言いたいことがたくさんあって、間違いを糾弾したくてーそれがうらやましかった
178 タケダくんと過ごした日々は、今思い返せば、きれいだった。未練でも後悔でもなく、ただそう思った。
193 いろいろありがとう、という言葉は、感謝の言葉には聞こえなかった。本当にさようなら、と聞こえた。
222 結婚が、ひとりで引き受けることだと気づいていれば、あのとき結婚できたかもしれない。結婚は共同作業のような気がしていたけど、何歳の誰と結婚したって、それは一人の決断、作業、責任。チサトはそういうものを全て受け入れているようで、大人に見えた。
223 結婚は手品のように幸せを取り出したりはしない、誰だってひとりずつで参加しなくてはならないのだ、人生というものに。
258 この騒がしさ、愚かさこそ、母が手に入れたいと願ったものだ
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少しずつ変化するハナの気持ちにどれも共感できたので
成長とは進んだり後退しながら長い目で見て少し進むことかもと感じた
母が娘に同じ道を強要するのは自分の人生肯定のためというのはわかる
ハナも結婚して子供がいるナエでさえもその強要に反発心を持ち
“自分以外のだれかのために、自分の生活を変えるという発想がまったくない”
自分が肯定されたくて同調を求めるのと同じように、母が娘に肯定してと乞う
わかる、それでも、理解と受け入れることは違う
母親というものに対して期待が過度だときっと心は嫌だというんだろう
母は与えてくれるもの、娘は与えられるもの 笑っちゃうほど甘ったれている
タケダ君の一言が厳しい
“あんたやおれの話って、したくないってことでしか
構成されていないんだよ。したくないって言い続けてたら、
そこにいるだけ。その場で駄々こね続けるだけ。”
自分を鼓舞しているだけと蔑むことで自己防衛しないといられない位、辛辣
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自分にできないもの、無いものに対して、批判する、そして、比較する。
人は、そうして、自分を確かめる。
人間は、そんなに強くないものということを感じました。
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いつまでも同じままの状態ではいられないってことなんですよね。きっと。
切ない。でも、仕方のないこと。
タケダくんのようなプロポーズは絶対ナシだ。
ケーキかクッキーかはたまた何か、久しぶりに作ろうかな。
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37歳古着屋経営、独身。そんな本当にいそうな女性、現代において等身大でありそうなハナちゃんの視点は常に迷っていて、たまにふっ切って、また迷っての繰り返し。結婚という、社会から押し付けられた幸福論に反発し、また「幸せにしてやる」と上からの物言いの彼氏にも反発し、そして共に古着屋を経営する親友の向上心や野心に対しても反発する。しかし、だからと言って自分は何がしたいか、何ができるかと言われると、彼女は何も言う事ができない。そんな情けない自分にまた反発する。
周囲の人や社会の「こうあるべき」という言葉にどうしようもなく反発してしまう気持ちはとても重なるものがあった。良い学校に行って、良い会社に入って、30歳前後で結婚して2人くらい子どもを作って幸せな家庭を築いて老後はゆっくりと過ごす。そんな幸せのモデルケースに対して、魅力を感じられず反発して、もっとオリジナリティのある幸せを掴んでやるんだと息巻いていた自分と。そんな社会への反抗期を通り過ぎて、普遍的な幸せの価値に気付いて大人になっていくのだろうか。
そんな事を考えました。ちょっぴり切なくて、それがしっとりと身に沁みるお話。
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宙ぶらりんな気持ち、なのかなと思った。
自分が何をしたいのか分からないし、変わりたいとも思えないし。前に進んでいく(ように見える)友人達が羨ましくない訳では無いけど、同じようになりたいかと問われればそうでもないし。
付き合う友達が変わっても、どこか居心地の悪い気持ちは消えず。
自分の居場所ってどこなんだろう。
ハナは、これから自分で作っていけばいいんだ、って思えた所で話が終わったけれど。
宙ぶらりんな気持ちと共に、これからも試行錯誤と葛藤を繰り返しながら、生きていくんだろう。