紙の本
<中国人>の境界とは
2009/07/25 21:58
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投稿者:梶谷懐 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は新書ということを差し引いてもその記述がいささか荒っぽく、先行研究の記述にそのまま乗っかっているところも多いが、現在に至る中国の異民族支配の矛盾を歴史的観点から理解するには手ごろな一冊だ。
清朝を倒して近代中国の礎を築いた革命派のスローガンは「排満興漢」であった。そこでの中国人はほぼ「漢民族」とイコールであり、そこに満州人やモンゴル人やイスラム教徒は含まれていなかった。それら異民族を徹底的に排除する「韃虜の駆除」さえ唱えられた。それに対し、異民族をも包括した「大一統」という概念に基づき<中国人>を定義しようとしたのはむしろ梁啓超などの維新派である。ここから中国のナショナリズムは異民族を排除(「華夷之弁」)する国民国家的なものか、あるいはそれらを包括した「帝国的ナショナリズム」か、という二つの極の間で揺れ続け、そのたびに<中国人>の境界も変化した。
その「揺れ」を体現したのが孫文の民族観である。「華夷之弁」を唱える革命派の領袖でありながら、一旦中華民国が成立すると「大一統」の系譜につらなる「五族協和」をスローガンとして取りいれ、さらには同化主義を前面に出した「中華民族の創設」へ、さらには民族自決を掲げたコミンテルンとの政治的妥協と、この「革命の父」の<中国人>観は、麻生総理も真っ青なくらい大きくブレ続けた。
中国共産党自体も初期の陳独秀のころはコミンテルンの方針に沿った民族自決・連邦制路線を踏襲していたのが、その後よりプラグマティックな民族区域自治へと大きく転換し、中華人民共和国成立後は清朝の版図を引き継ぐ「大家庭」に各民族が属する、という図式を自明にするにいたった。単純な同化主義=大漢族主義を戒める費孝通の「中華民族多元一体論」が公式見解として確立した現在でも、その枠組みに異を唱えるものはダライ・ラマやラビア・カーディルのようにいとも簡単に<中国人>の枠外に追放される。
このような状況は、小熊英二氏が『単一民族神話の起源』『<日本人>の境界』などの仕事で達成した、<日本人>という境界の恣意的な設定をめぐる問題群と基本的に同一線上で理解できるだろう。<国民>をめぐる境界が揺れ続けることは、その境界線上にいる人々に大きなストレスを与え、無意識のうちに追い込んでしまう。同化しても、反抗しても、どちらも自分を傷つけてしまうからだ。たとえば、戦前、台湾人や朝鮮人を誠実に「同胞」として扱う日本人は決して少なくなかった。しかし、その誠実さも「境界」が揺れ続ける帝国的ナショナリズム支配に組み入れられたものである以上、たとえ無意識であったとしてもマイノリティに対する抑圧的な振舞いからは逃れられない。
現代中国においても基本的な構図は変わらない。いかに少数民族やその居住地に対するアファーマティブアクションやバラマキが行われようとも、それが<国民>の「境界」が絶えず揺れ続ける帝国的ナショナリズムの文脈で行われる限り、それは悲劇を再生産する役割しか果たさない。2008年以来のチベットや新疆ウイグル自治区での騒乱は、そのことを明らかにしたのではないだろうか。
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[ 内容 ]
近現代史から読み解く中華思想と民族問題!
孫文、蒋介石、毛沢東といった中国近現代史における重要人物の民族問題に関する発言を丹念に検証。
中国の異民族支配に通底する中華思想を読み解く。
現代中国を理解するための必読の書。
[ 目次 ]
第1章 「華夷之辨」と「大一統」-排外と融和の中華思想
第2章 革命派対変法派-清朝末期“二つ”の中華思想の闘い
第3章 辛亥革命と五族共和-排外に始まり融和に終わった革命
第4章 コミンテルン、共産党と国民党の確執-民族自決と中華思想
第5章 蒋介石の国民政府の時代-構造不変の中華帝国
第6章 共産党の民族政策-それは解放なのか?
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目 次
はじめに
第1章 「華夷之辨」と「大一統」―排外と融和の中華思想
(1) 「異民族」から「少数民族」へ
(2) 「華夷之辨」の歴史
(3) 「大一統」の歴史
第2章 革命派対変法派―清朝末期“二つ”の中華思想の闘い
(1) なぜ「韃虜」なのか
(2) 革命派は「華夷之辨」を強調
(3) 最高級の知識人が夷狄の野蛮さを糾弾
(4) 「九世の讐に報復する」
(5) 中国人とは、「中華」とは何か
(6) 立憲君主制の変法は「大一統」を堅持
第3章 辛亥革命と五族共和―排外に始まり融和に終わった革命
(1) 武昌起義
(2) 「五族共和」の登場
(3) 「五族共和」の否定と「中華民族」の登場
(4) 外モンゴルの独立とチベット
第4章 コミンテルン、共産党と国民党の確執―民族自決と中華思想
(1) 共産党の民族政策
(2) 孫文=国民党の見解
第5章 蒋介石の国民政府の時代―構造不変の中華帝国
(1) 蒋介石の登場
(2) 中華民国から切り離された辺疆地域
(3) 新疆―東トルキスタン独立運動
第6章 共産党の民族政策―それは解放なのか?
(1) 毛沢東の登場
(2) 共産党の「民族区域自治制度」
(3) チベット―「解放」か、「侵略」か
(4) 「大家庭」による「中華民族」の強調
おわりに
後記
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清朝末期から中華人民共和国に至るまでの中国少数民族(主にチベット、モンゴル、ウイグル)の支配構造について史料を多く用いて解説した本。昨今のチベットやウイグルの動乱に関心があったので読んだ。
近代中国の民族政策は「華夷之辨」と「大一統」という二つのイデオロギーの目まぐるしい変遷から見ることができる。「華夷之辨」とは中華(漢民族)以外は野蛮な夷狄と見なす排外的思想で、清朝末期の革命家たちが掲げた。一方「大一統」は「一統を大ぶ(とうとぶ)」というもので、中国がさまざまなモンゴル、チベット、ウイグルなど少数民族を包括しようという思想である。
中華民国(国民党)
革命運動時には清朝を支配していた満洲人を打倒するという風潮が濃厚だったためか、「華夷之辨」が主流だった。
革命が終わって中華民国が成立すると楊度ら立憲派が主張する「五族共和」がそれに取って代わった。少数民族の中でも数が多く、自分たちの国家の独立を狙っているモンゴルやチベットを警戒してのことだったのであろう。皇帝を称した袁世凱を打倒する第二革命が起こる頃、孫文は五族共和を否定して漢民族優越の「同化論」を唱える。
共産党は華夷を峻別して少数民族の主体性を回復させるため「自由連邦制」の方針をとった。孫文の後継者である蒋介石はこれに反発し、内モンゴルや新疆を国の直轄の省とする。
中華人民共和国(共産党)
共産党が国民党との内戦に勝って政権を掌握すると、自由連邦制も直轄制も否定して、自治は認めるが独立を認めない「民族区域自治制度」を実行する。こうして内モンゴル、チベット、新疆ウイグルは自治区となり、「大一統」が標榜されるが、そこでは民族優劣差別主義を拭うことはできなかった。昨今のチベットやウイグルを巡る問題もこの流れで起きている。
中国政府のチベット介入について、中国側は「和平解放」のためだと主張し、これに対してチベット側は「武力侵略」だと強く非難している。中国側は「進んだ我々が遅れたお前たちを救ってやる」と言いたいのだろうが、これは19~20世紀の欧米諸国の植民地支配の論理そのものである。
本音は地下資源だろう。最近話題になっている新疆ウイグル自治区も石油の産地である。エスニシティ(民族性)の尊重がされるようになるには… いかに寛容さを軸に置いた政治システムを構築するか… 問題は山積みである。
特に真新しい内容ではなかったけど、勉強になった一冊です。
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うーん
やっぱり近代史は難しい(´・ω・`)
微妙な思想の違いとかもわかってなかったから勉強にはなったんだけど、やや混乱。
でも世界史勉強している時に読んでおけば良かったかも。
これから勉強する人は是非(*・ω・)ノ
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清朝末期から現代にいたるまでにおいて、
中国、ひいては漢民族が国家における民族観を
どのように認識し、国づくりを行っていったかを解説する一冊。
漢民族が持つ満洲民族に対する意識や、
中華民国が必ずしも最初から清朝における版図を全て掌握することを
目指したものではなかった等の内容が新鮮だった。
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2009年刊。著者は明治学院大学法学部教授。清朝末期から中華人民共和国までに亘る、時の政権と中国内の少数民族との関係性に関し、所謂「中華思想」の内実から解きほぐそうとする書。一気読み可能な簡明さ。一方、孫文ら所謂清朝末の漢人知識人層において、他民族への蔑視感が根強く包含されている指摘は蒙を啓かれた。そういう意味で、あえて単純化すれば、漢民族優越を前提とする五族共和ないし漢への同化が、時期による色あいの差はあるにせよ、現代中国にまで及ぶとの解釈は腑に落ちる。少数民族からは「共和」は隷属と同値なのだろうが…。