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(2009.10.14読了)
下村脩さんは、2008年度のノーベル化学賞受賞者です。
早いもので1年が過ぎてしまいました。2009年度は、日本人のノーベル賞受賞者はないようです。
この本は「ノーベル化学賞受賞記念 下村脩講演会」をまとめたものです。
下村さんのノーベル賞受賞理由は、「緑色蛍光たんぱく質GFPの発見」です。
下村さんは、十種類以上の発光生物を科学的に研究したのですが、その内の一つ、オワンクラゲの発光物質の研究中に、「副産物として」GFPを発見したのです。
長崎薬専を卒業後、長崎大学薬学部安永俊五教授の実験助手を4年勤めた後、名古屋大学の分子生物学者、江上不二夫教授に紹介してくれるというので、名古屋へ行ったのですが、江上先生は東京に出張中だった。安永先生は、もう一人の知人の平田義正教授へ挨拶に寄ったら、下村さんに私のところに来てもいいですよと言われたので、平田先生のもとで、天然物化学を研究することになった。
平田研究室では、ウミホタルの青い光のもとであるルシフェリンを精製して、結晶を作ることを命じられた。
ウミホタルの青い光は、ルシフェリンという化合物とルシフェラーゼという酵素の反応によることが分かっていたが、ルシフェリンの構造決定のためにルシフェリンを精製し結晶化することができていなかった。
いろいろ工夫して結晶化を試みたがうまくいかなかった。ある時、実験途中のまま、続きは翌朝やるつもりで、放置して帰って、翌朝来てみると、結晶ができていた。
(白川さんも、田中さんも、失敗によって見つけたものが、ノーベル賞受賞につながったようですが、下村さんも似たようなことで、ノーベル賞につながる道に一歩踏み出しています。)
ルシフェリンの結晶化の成功のおかげで、プリンストン大学から誘いがきた。
アメリカでは、オワンクラゲの発光物質の抽出を行った。
当時は、すべての生物発光は、ルシフェリンとルシフェラーゼの反応で起きると考えられていたので、オワンクラゲでもルシフェリンを抽出しようとしたが、見つからなかった。
他の発光物質があるに違いないと考え、教授の反対を無視して、独自に抽出作業を行った。
抽出方法を考案し、上手くいくようになり、偶然からカルシウムが発光を引き起こす原因ということも分かった。
発光物質の精製ができ、イクオリンと名付けました。イクオリンの精製中に緑の蛍光を放つ物質を微量発見したので、ついでに精製した。これが、緑色蛍光たんぱく質GFPです。
(GFPは、ついでだったのです。)
1979年に、GFPは遺伝子を使ってクローンできる可能性があることが分かった。
1992年にダグラス・プラッシャーがGFPのクローンを作りました。
1994年に、マーティーン・チャルフィーがGFPを生きた生物中に発現して、光らせることに成功しました。このことが、ノーベル賞受賞につながりました。
著者 下村 脩
1928年、京都府福知山生まれ
父が軍人のため佐世保、満州、大阪、諫早と転居
1944年9月1日、諫早中学へ登校、勤労動員で海軍航空廠
1945年8月9日、長崎に原子爆弾投下
二年間浪人
1951年、長崎医科大学附属薬学専門部卒業
1955年、名古屋大学に国内留学(平田義正研究室)
1960年、米プリンストン大学研究員(フルブライト奨学生)
1963年、名古屋大学助教授
1965年、米プリンストン大学上席研究員
1982年、米ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員
2001年、同研究所退職
2006年度朝日賞受賞
2008年、ノーベル化学賞、文化勲章受章
(2009年10月20日・記)
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とにかく読みやすく取っつきやすい本、下村先生の人柄が偲ばれる。科学的な表現は少ないので、エッセイのように読みすすめるのがお薦めかもしれない。
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ノーベル化学賞を受賞した下村脩氏の実績を称賛する書籍である。ノーベル賞自体が素晴らしいのは言うまでもないが、その研究の実態を伺うことができるのが本書のいいところだ。
発光する生物の仕組みを追究するために徹底的に実験にこだわり、何度失敗してもくじけない態度は見習うべきだ。奥さんの献身的な協力や研究者仲間に恵まれたことも成功の鍵となっているが、それもご本人の人柄のなせるわざと察した。
研究のはじめが長崎の被爆を傍観したことにあったということも印象的だ。ノーベル賞受賞式でもこの間接的被爆体験を述べられたという。戦争で死ななかった分、研究に没頭したというのは戦後の人間の典型的な心性だったのではないだろうか。
博士のように打ち込めるものが無いまま馬齢を重ねた己を恥じるとともに、好きを追究し続ければ何かが得られるかもしれないという希望を与えてくれる内容であった。