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20歳の頃、「桜の園」を読んだときには知的にとりすましたような印象しか受けなかったチェーホフだけど、年を取ったせいか、この本読んだら泣けてしょうがない。一字一句、ずきんとくる。
生きることの悲しさ、分かり合うことはない、夢は崩れさるとう痛々しい現実。その中でも、何かに希望を見つけて生きていこうとする登場人物達すべては皆孤独だ。
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初チェーホフ!
慣れると思ったよりすらすら読めて驚きでした。
ワーニャ伯父さんの方だと、最後のところが言いたかったんだなと気づき、何だか納得です。
三人姉妹:
登場人物が多くて混乱しましたが、少しだけチェーホフがわかってきたような感じがします。
辛いながらも生きていこうと思うようになっていく登場人物が悲しくもあり、希望でもあるように思いました
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ロシア文学を読むのはとても久しぶり。恐らく去年の夏頃から全く読んでいない。
実は戯曲を読むのは初めてなのだが、中でも"間"の存在が良かった。解説にも書かれてあったが、この存在は大きい。
また、出てくる主人公がみな心に闇を抱えているという点もロシアらしい。そして無駄に涙っぽく、激しやすい。
戯曲なのでこの誇張は必要かもしれない。
ただ、チェーホフの素晴らしい点はロシア文学特有の重さを見事に外した点ではないか。本を読んでいるときのイメージというものが明らかに軽い。そして明るい。
読後もけっして重い気分にはならず、むしろ爽快な気分になれたように思う。
やはり、ロシア文学は素晴らしい。
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『三人姉妹』のイリーナが、イタリア語で窓とか天井をなんていうのか思い出せない、人生は過ぎ去っていって二度と戻ってこないと嘆くところがやたら印象的で、あまりに気に入ってつい原文まで調べてしまった。『ワーニャ伯父さん』も、ワーニャが過去しなかったことについて悔やむシーンを、かなり強烈に思い出せる。どうにもならない現状と過去への後悔がひたすら目に付いて、今ですら気持ちは分かるんだけど、20年後こんなふうに閉塞感と悔恨を抱えて生きてたくはないなって思った。
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「ワーニャ伯父さん」といい「三人姉妹」といい、登場人物すべての背中が重い・・・
「ワーニャ伯父さん」ではソーニャ、ワーニャにスポットがあたり最後のコメントが強烈に記憶に残るが、ワーニャが憎んだセレブリャコフもソーニャが失恋したアーストロフも否、全ての登場人物が幸福になっていない。
「三人姉妹」も同じ。希望が絶望に変わってゆく。
しかも、最後の台詞に強引なる希望のようなコメントではなく、「それでも生きていかなくてはならない。」「私たちの人生、まだ終わりじゃないの、生きていきましょう」と残りの人生片方の翼がもぎとられもう決して飛べないのに「そのまま」生きていこうとするのだ。ロシアだから「バーン!!」とやってしまえば・・・
だが、悔いの無い人生だけではなく思いっきり悔いの残る人生、全く思い通りにならず失敗ばかりし、人に嘲笑され、尊敬されず道端で倒れ誰も助けてくれず死んだとしても「あれもそれも人生だ」と言ってくれているような気もする。
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「女三人のシベリア鉄道」にチェーホフの話が出てきたので急に読みたくなったのだけど、やっぱりわたしは戯曲って苦手みたいだ。戯曲はセリフを言うように読み、行間を読まなくては、と思うんだけど、どうしても普段の癖でストーリーを追うようにざざーっと雑に読んでしまって。
だから、単に、背景がよくわからず、登場人物の対話はかみ合わず、なんかわけわかんないなー、という。
解説を読んで少しわかった。
人生に意味はないけど生きなくてはー(大雑把すぎ)、みたいなチェーホフの非情さには共感したりするのだけれど。
この年になると、もう人生やり直せないし、未来はむなしくても生きるしかない、っていうワーニャ伯父さんの気持ちもよくわかるのだけれど。
それにしても、フツーに読むと、みんな勝手にぐだぐだめそめそ不満を言いすぎだ(笑)。
関係ないけど、
チェーホフの思い出。
・小学校高学年のころ、三人姉妹とか桜の園っていうかわいらしげな題名にまどわされて読んでみたら、まーーーったく意味わからなかった。でも、図書の先生だかなんだかに、もうこんな大人っぽいものを読むのね、とか言われて困った。
・25年くらいも前、芝居をさんざん見ていたころ、青山円形劇場で日本人の小劇場の俳優さんたちが出ていた(と思う)チェーホフのなにかを見て、すごくおもしろかった。
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閉塞感がすごい。当時の体制とか天候とかに由来するのかなぁ。希望がゆっくりと絶望にかわる。それでも人は生きていくんだ。と。その理由が次の世代のため、死後のためってのが文化のちがいなのかなんなのか。
ロシアに関する知識が浅いのが悔やまれる。
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明るい未来が待っている。いまはこんなに苦しくて大変でも…
明るい感じで始まったのに、いつの間にか絶望になっていく。まさに悲劇にして喜劇のおはなし。
姉妹たちの最後のセリフは、深みがあり、生きて行きたいという思いがすごい伝わります。
もう一度がんばる気持ちをくれる作品です。
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「野田ともうします。」の最新巻を読んでいたら「ワーニャ伯父さん」が出てきた。そしてなんとなくチェーホフが読みたくなる。
たとえ劇的なことが人生に起こらないとしても、それでも日々を生きていかなければならない。なんら平凡な日々を過ごすには人生は長すぎる、ということなのか。今回チェーホフの年譜を見ていて、かなり若くして亡くなっている(44歳)ことに改めて驚いた。どこか達観したような人生観をかなり早い時期に身につけたのか。もしくはチェーホフが濃密な人生を送ったということなのか。
外国文学ではどの作家が好き、というのをあまりちゃんと考えたことがなかったけど、チェーホフは好き(あるいは好きになりそう)な作家という気持ちが今になって起こってきている。
神西訳を実家に置いてきたので、そのうち取りに行こう。
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中年文学かぁ……さすがによくわかりませんね。
ワーニャ伯父さんやチェブトゥイキンみたいに、「未来がない!」と絶望する人はチェーホフ戯曲には欠かせないのだろうか。こういう人物をどう見なせばいいのか扱いに困る。無駄口ばかり叩いて自分を嘆いているだけで何の役にも立ちァしない……けどそれが中年の閉塞感であるといわれれば、そうなのかもしれない。わかりません。
「三人姉妹」で飽きるほど出てくるけれど、今の自分たちは最悪極まる生活だけれど200年、300年後には幸せを体現する人々が生れてくるだろう、今できるのは働くこと、とかく働くことはいいことだといった思想は、これ当時のロシアで流行ってたのだろうか。読んでないけどゴーリキイの「どん底」にも同じようなことが書かれているみたいだし。
時代背景としては農奴解放令のあとで、貴族階級の三人姉妹のうちふたりは既に働いていてイリーナも職を得たところで…しかしモスクワとは何を意味するのだろう? 「かもめ」も「ワーニャ伯父さん」も「三人姉妹」も舞台は田舎でみんな口を揃えて「田舎ヤダ田舎ヤダ」と絶望しているけれど、その「ヤダさ加減」を想像するのにどうも知識が足りんようだ。
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中年の文学、そして、中心のない展開、登場人物のコミュニケーション、独り言。チェーホフの戯曲にいつも漂う空気感。
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2016年1月の課題本でした。
http://www.nekomachi-club.com/
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若い姪と二人、都会暮らしの教授に仕送りしてきた生活。だが教授は…。棒に振った人生への後悔の念にさいなまれる「ワーニャ伯父さん」。モスクワへの帰郷を夢見ながら、次第に出口のない現実に追い込まれていく「三人姉妹」。生きていくことの悲劇を描いたチェーホフの傑作戯曲二編。
(「BOOK」データベースより)
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新国立劇場での舞台を観ての記録。
演出はケラリーノ・サンドロヴィッチ
ロシアの閉塞的な片田舎、これといった事件が起こるわけでもなく、終始どんよりとした気配が漂う。結局幸せになった人は誰もいないのか。
段田安則の渋い演技、黒木華の輝きがよかった。宮沢りえは、チェーホフのようなオーソドックスな芝居より個性的な役のほうが合う。
まったくの余談だが、先月舞台で観た池田成志を発見。新宿駅のホームで見かけ、もしやと思ったら、やはり同じ劇場へ。長期にわたる鳥ドクロが終わって一息、芝居巡りかな。
がんてつさい最高でした、と伝えたかったけれど、心の中でつぶやいただけで我慢した~。
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[コメント]
NHK BS「週間ブックレビュー」2010/11/14 10:00-
イッセー尾形氏紹介
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2019年7月26日(金)にMARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店で購入。7月27日(土)に読み始め、8月2日(金)に読み終える。チェーホフを読むのは『桜の園』以来、20年ぶり。寂寥感ただようせつない話ばかり。解説も読み応えがあってよい。