投稿元:
レビューを見る
悩ましき分類学の本。
日頃余り馴染みのない学問ではあるが、誰でも日常生活を送る中で、常に何かを分類しながら生きている。
その以外に身近な場所から出発している学問の過去を辿り現在についてまで、分類学者たちの悩みと論争を丁寧に追っていく。
文章そのものは難しくはないが、専門的な用語や知識が散見し、全く馴染みのない者には少々理解しにくいところもある。
読みやすい本とは言えないが、「分類する」という考え方のプロセスそのものにハッとするような面白さもあるので、時間のある時などにじっくり読んでみるのもお勧め。
投稿元:
レビューを見る
<種>概念
普通、モンシロチョウ、イリオモテヤマネコという生物の<種>が存在すると思っているが、実は、存在しないのだ。<種>自体は人間の心の産物である。人間はなにを実在とし、どのおように分類してきたのだろうか。博覧強記の物量で読者をねじ伏せようとする著者。
先達たちが営々と築きあげてきた知の迷宮を心ゆくまで回想するには、優れたガイドブックである(日経新聞書評)
投稿元:
レビューを見る
分類学による分類の仕方マニュアルとか、主な分類項目に関する解説書のような雑学の本を期待して買ってみたところ、そもそも分類するとはどんな行為かというところから問い直す科学哲学の本だったのでびっくりした。
少なくとも大学で生物学を専攻する学生に分類学の教科書として提示するならありかもしれないけど、難解すぎておいてけぼりをくらう読者が多そうな気がする。
分類学者が絶滅の危機だと強調されているのに、種なんか実在しないって言っちゃうと余計に人が集まらなくなるのではと心配してしまう。
投稿元:
レビューを見る
分類思考と銘打って中をめくると妖怪の絵があったので、咄嗟にこれは京極夏彦派に違いないと思ったら案の定だった。
分類という行為の認知心理学的な側面、生得的に本質主義的である人間の性質など、興味深い話題が豊富。
決して読みにくい本ではないが、論理学をきちんとやってから改めて読み直せばより面白さに気づけそうだと思う。
投稿元:
レビューを見る
特に第4章に興味をひかれた。分類体系と言えばシネクドキだと思っていたのだが、フランスの生物史学者パトリック・トールが1989年に『分類する理性』で、分類はメタファーとメトニミーのあいだを行ったり来たりしてきたそうだ。ここに心理学的本質主義という言葉まで登場して、これはえらいこっちゃ。アブダクション(abduction)も要注意。
投稿元:
レビューを見る
僕のように分類/カテゴライズという行為自体について興味をもって読む人には、物語調がかったるく感じるのだろうけど、分類学自体に興味をもった人にとっては、その歴史がこと細かに記述されている本書は、かなりの良書だと思う。
時空⇔力 の関係と、視点を軸にとった多次元空間、メトノミー/アブダクション的思考法について、一応の解釈を得られたので、今後しばらくの思考に活用しつつ、発展させていこうと思う。
投稿元:
レビューを見る
分類学というものの歴史を語ることが中心になっているが、もう少し全体のテーマをはっきりさせて欲しいと思った。少々読みにくい。
投稿元:
レビューを見る
話はいろいろなところへ。それが楽しい。いろいろな話の背景にある文献リストにコメントがついているのも見もの。
投稿元:
レビューを見る
2010 5/23読了。ACADEMIAで購入。
実際は『系統樹~』より先に買ったのだが、『系統樹~』を読むまで読み控えていた。その順で読んで良かったと思う。
これまた『系統樹~』と同じく、生物学の本だと思って買ったのだが(だって帯紙もそうだし)、中身は科学哲学のみならず哲学や形而上学等も入り乱れる本だった。
第8章では偶然別目的で読み進めているポパーの『開かれた社会とその敵』の話も出てきたりして驚いたり。
思わぬところでつながることもあるものだ。
投稿元:
レビューを見る
「思考」とはあるが、自己啓発的な考え方の本ではなかった。科学がいかにして「分ける」ことに心血を注いできたか。そういう学問の本。読み終わってもあまり内容は頭に入ってこなかったけど、メタ学問的なスケールの話だったと思う。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
この世の森羅万象を体系化して理解しようとするとき、私たちは名前をつけ、分類する。
しかしそこには長年、生物学者たちを苦しめ続ける難問が潜んでいた。
人間の「知」の根源に迫る!
[ 目次 ]
生まれしものは滅びゆく(二〇〇六年オアハカ、メキシコ)
「種」に交わればキリがない
「種」よ、人の望みの喜びよ
老狐幽霊非怪物、清風明月是真怪
真なるものはつねに秘匿されている
いたるところにリヴァイアサンあり
プリンキピア・タクソノミカ
実在是表象、表象是実在(二〇〇七年ニューオーリンズ、アメリカ)
一度目は喜劇、二度目は茶番
つながるつながるつながるなかで
ナボコフの“ブルース”
目覚めよ、すべての花よ
時空ワームの断片として
「種」よ、安らかに眠りたまえ
滅びしものはよみがえる(二〇〇八年トゥクマン、アルゼンチン)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
人間は世界を理解するために本能的に「分類」をしている。そもそも分類された「種」というものは存在するものなのか、もしくは人間がそう認識するだけなのか。
実はその手の種問題については現在も決着がついておらず、その様子を生物分類学の歴史を取り上げることで解説している。むしろ生物分野以外の人にお勧めの本だと思う。
投稿元:
レビューを見る
豊富な図版に惹かれて手にした一冊。
生物を分類する行為はかくも過剰に理系的かつ文系的な作業とは思わなかった。
多様な分類思考を横断的に語っていくスタイルなので、芋づる式に他の書籍にあたってみると理解を深めることが可能だろうが、さすがにそこまでは…。
投稿元:
レビューを見る
何が言いたいのかよくわからんかったが、読ませるし読んでいて楽しい。著者の「芸の肥やし」の広さが味わえる作品だな。系統志向の方も読んでみようと思ふ。
投稿元:
レビューを見る
要するに、生物学哲学論争史で、それなりに知識もつくが、そもそも分類行為の最初である民族分類について、きちんと書いていない点が不満である。著者の論点は「種」(spieces)は存在せず、生命の流れがあるだけだが(これを「スーパーワーム」というけど、実質はベルクソンの『創造的進化』と同じ)、人間は分類したがる生き物だから、分類がなくなることはないという点につきる。これを中世の普遍論争や、マイヤーの生殖隔離論、論理実証主義の影響やら、ルイセンコ論争やらいろいろ引いてくるものの、ほとんどが脱線である。『ピーター・ラビット』の著者が菌類学者だったとか、『ロリータ』を書いたナポコフが昆虫学者でもあったとか、雑談は魅力的だが、とにかく明快さに欠ける。民族分類の思考法については、別の著作を読まねばならない。『系統樹思考の世界』の方がいいし、著者もこっちの方が好きなのであろう。