投稿元:
レビューを見る
名前の通り高校中退の実態と中退者のその後の生活を追ったドキュメンタリです。今の日本では、貧困の連鎖にはまると、そこから抜け出すのは非常に難しいと感じました。貧困層が固定化されるロジックが見えてきて、暗澹たる気持ちになりました。
後半部分に貧困の連鎖を断ち切るための提案がありますが、下のレベルの高校については実社会で通用するような職業訓練をメインとすべきという部分は、高校卒業してから40年間食べていける技術というのはなかなかないと思うので、少し違うかなと思いました。
中学、高校で勉強に躓いている人をみると、小学生の段階で躓いている人が多い(九九、分数の割り算など)ように思うので、一律、進級させるという制度を考え直す必要があるのではないかと個人的には思いました。
投稿元:
レビューを見る
親の学力や経済的能力が子供にどう関係するのか、ということを調べる過程で出会った一冊。しかし、子供を取り巻く貧困の実態は私の想像を遥かに超えるものだった。実際に高校中退をした子供たちやその親の声がリアルに描かれている。社会から彼らは排除されていて、実際に私たちが彼らの実態を知らないということが大きな問題ではないかと思う。
投稿元:
レビューを見る
高校中退の現状を知るのに貴重なルポ。特に、「自分が生きていくために、母親が子どもを捨て、男をとる」というルポには、衝撃を受けた・・・。ネットで検索すれば、動画も見れるよ。
投稿元:
レビューを見る
かなりショッキングな内容。
貧困が低学力・生活力の原因となり、しかも再生産されていく。
だが、この負の連鎖をどう断ち切ればいいのか、問題が大きすぎて暗澹たる気持ちになる。
投稿元:
レビューを見る
読んでて切ないね。感じたことを徒然と。
『クズな親が多い』
まぁ、酷いよね。虐待とか、基本的な食事を与えられないとかね。
学費無駄だから辞めさせろとかね。
根本的にはここで、負の連鎖を断ち切るべきなんだろうね。
『中退するやつもちょっと根気なさすぎ』
この本の主題とは違うが、やっぱそう思ってしまう。
つまんないからとか、ついてけないからとかちょっとね。
中退が選択肢を如何に狭めるかってことを感じさせてあげられない環境、頑張ることを認めてもらえない環境がやっぱ問題ってことかね。
全員が全員じゃないけどさ、この子らは結構、暴力事件とか好き勝手やって、ただの真面目な生徒よりも教師によっぽど時間使ってもらってるんじゃないの?それで単純に可哀想って気にはなれない面もある。
『底辺高校に送られる教師も辛すぎ』
大変ですな。
『世の中こういう層もいる』
正直東京に出てきてからは、あんまり接点がなかった人たち。中、高にはそこそこいたかな?
大学の周りとか、学習塾で教えてた子とかとは根本的に違う層。
こういう層がいることを理解出来ないと、こういう層に遡及出来るような打ち手って出ないよなと。
すごく感情で行動するというか、金がなくてもパチンコとか携帯とかは惜しまないそんな人が多いんだろうな。
これからは本当に生まれた環境で本当に2極化する時代になるのかなと。
切ない。
投稿元:
レビューを見る
高校中退し、アルバイトすらできない貧困状態へと落ちていく。もはやそれは教育問題ではなく、社会を揺るがす問題である。知られざる高校中退の実態に迫る。(出版社内容紹介より)
投稿元:
レビューを見る
卒業までに半数近く退学していくような高校がある。退学の理由は「貧困」である。貧困ゆえに、家庭が崩壊し、低学力のまま放っておかれる。読みながら何度も本を膝に置き、ため息をついた。副題が「いま、貧困がうまれる場所」となっている。貧困が再生産される現場としての底辺高。若者に希望がない国に未来はない。国よ、もっと若者に愛の手を、そしてお金を!(高橋節子先生)
投稿元:
レビューを見る
親に資力が無く、酷い状況で高校生活を続けている人がいるのは知っていたけど、ここまで酷いとは思わなかった。高校生なのに「五五」の次の数を言えなかったり、九九を言えなかったり、アルファベットを書けなかったり、本当に凄まじい状況。
いったい、誰の責任でこうなったんだろう。まずは、親かなと思う。ただ、親の責任だけにしたら、この状況はずっと続くだろう。だから、国の責任と見るのが一番だと思う。学力の低いまま、社会に放り出される前に、国が責任をよって一定のレベルまでは保証すべきだ。
そうすることによって、下の層から上の層に行く階段を整備すべきだろう。生まれた瞬間に、下の層で固定化してしまう人生は切ない。
投稿元:
レビューを見る
高校中退の原因の一つにあげられる貧困の問題を、データも交えてきっちりと関連づけている。底辺校の現状は、相当に厳しい。
わかっていることだが、今さらながらどうにもならない日本。
投稿元:
レビューを見る
本書に登場するのは、貧困ゆえに、学校を中退していく高校生たちだ。筆者は、埼玉県の元高校教員。私が、本書を知ったのは、本書を基にした、NHKのドキュメンタリーからだ。お金がないため、昼食を抜く、何時間も歩いて通う、そして、それが続かず、高校を辞めていく生徒の姿が報道されていた。北欧の国々の学力が高いのは、学力の低い層の平均学力が高いから、つまり、格差が小さいからである。本書を読めば、日本がそれとは逆の方向に進んでいることがわかる。「困難を抱える若者の支援」とは、「すべての若者の支援」であり、また、その逆も真である。学費免除率全国最低の土地、静岡県は、全国で恵まれている場所といってもよい。しかし、本書は、そうした高校生たちが、いかに一般的な現象になっているかを描き出している。(YEC 津富)
投稿元:
レビューを見る
高校中退を軸とした若年層の貧困についての良質のルポ。高校中退の増加の主因は家庭の貧困にあるというのが本書の主眼。
進学校に進んだ自分にとって、この本に書かれていることはまったく別世界のことのようだが、これが現実だと思うと慄然とした。
なんとかしないといけないとは思うが、その解決策を考えるのはなかなか難しいと感じた。高校無償化が解決策になるとはとても思えない。底辺校の囲い込みをやめて、学区制の縛りをきつくするのは、学びたい意欲のある生徒にとって迷惑なのは確か。やはり、幼児・小中の段階でなんらかの手をうつことが重要であろう。その点で、保健師や保育士の連携を強めて貧困状態にある家庭を支援するという本書の提言は、即効性はないかもしれないが必要なことであるのは間違いないだろう。
本書は貧困問題や格差問題を考えるうえでの良書であるとは思うが、高校中退問題と新自由主義や学力テストを短絡的に結び付けている傾向があるところは腑に落ちなかった。学力テストを学校間競争に結び付けるのは問題だが、実態を分析するために学力テストは意味のある試みだと思う。
投稿元:
レビューを見る
貧困と低学力の貧困関係については知っていた。しかし、貧困家庭出身生徒の高校中退率がこれほどとは知らなかった。大学で教育を勉強しているのに情けない。
全体的に読みやすかった。長年高校教諭をしていた著者の、苦境に立たされている高校中退者への真摯な目線を感じることが出来た。
僕のいた高校にも中退してしまった子がいる。今頃どうしているだろうか…。
投稿元:
レビューを見る
『ルポ 若者ホームレス』の、その前を読んでいるようだった。毎年、10万人近い高校生が中退しているという。そして、著者は「高校を中退した若者たちの貧困の実態を伝えること」「日本社会の低層に沈んでいる若者たちの嘆き、うめき、悲しみ、なかなか聞こえてこない助けを求める声を、彼らに代わって社会に伝えること」(p.14)がこの本の役割だという。第一部は高校中退の現実を描き、第二部ではその背景を探っている。
「中退した若者たち」の話は、読んでてきつい。「中退したら仕事がなかった」「親しい友だちがやめると、ポロポロ続けてやめていく」「夢などない」―どれが鶏でどれが卵かわからんくらい、学力の低さ、貧しさ、暴力、生活能力のなさ、大人からの期待のなさ、そういったものが絡まりあって、中退に至っている。そして、高校中退は「人生の分岐点」になってもいる。
▼子どもが教育から排除されれば、その後に続く人生の可能性が奪われる。貧困は子どもたちから、学ぶこと、働くこと、人とつながること、食べるなど日常生活に関することまでも、その意欲を失わせている。彼らから話を聞いていくと、ほとんどの若者たちが、経済的な貧困にとどまらず、関係性の貧困、文化創造の貧困など生きる希望を維持できない「生の貧困」に陥っている。それが親の世代から続いている。(p.185)
中学校からの「成績なし」や、入試の面接に欠席でも、入学できる高校。中退は、こうした"底辺校"に集中している。
私は、同期生のほとんど全員が当然のように大学へ進む高校へ通った。自分たち自身、それぞれに将来への期待や希望があったと思う。近いところでは「こんなことが勉強できる大学へ行きたい」、先のことでは「こんな仕事をしたい」というような。そして、そうした将来は努力すれば手に入るのだという雰囲気は十二分にあったし、親や先生など周りの大人からも、その方向での期待の目があったと思う。
進学について、遠方への仕送りはとてもできないが、国公立なら大学の学費は出してやれると親からは言われた。何もかもが選べたわけではないけれど、私には「選べる」経験があったのだと思う。そのことを、ほとんど当たり前に思っていたのだと、今はわかる。
▼「貧しいということは何もできないことです」「何も選べないんですよ。服も子どもの教育も、何も選べないんですよ。つらいのは子どもたちに何もしてあげられないことです。(p.133)
そう話す久子さんは、夫の暴力やギャンブルから逃れて離婚、高校生2人と小学生1人の3人の男の子を育てるシングルマザー。夫とのトラブルと厳しい生活に精神的に病むようになり、精神科に通院中、生活保護で暮らしているが、生活はぎりぎりで、最大の悩みは子どもたちの教育費。
自分が勤めて稼ぐようになって、あらためて教育費の負担の大きさを感じるようになった。高校の授業料はいったん無償になったものの、義務教育もそれ以降の学校も、教科書などの教材費や行事の参加費、修学旅行の積立金など、お金はあれこれとかかる。大学の授業料は毎年のように上がって、国公立といえども私に子��もがいたらとても払えないような額になっている。
私は、学校を終わるまでの途中で、授業料免除や貸与だけれど奨学金を受けることができて、こういう制度があればお金があまりなくても勉強できると思った。でも、その頼みの綱も、予算は限られていて、当たらないことも多くなっているというし、返済のことを考えると奨学金を借りるのも難しいという。私も学校を終わったとき、数百万の借金ができていた。
教育費の私的負担の理屈は、「教育を受けた恩恵は、その個人が享受するから」という受益者負担なのだろうが、この理屈でつくられた教育の場では、そこにとどまる若者も、そこから排除されていく若者も、「共にこの社会を生きるどうし、この社会は自分たちのもの」という感覚は育てにくいやろうなと思う。
『現代の貧困』では、貧困対策は貧困な人たちの権利を守るだけでなく、社会統合や連帯という面を持っている、と強調していた。それは、貧困と富裕、下流と上流といった社会の分裂を防ぎ、同じ社会に生きる人と人とがつながって「私たちの社会」を築いていく際の、もっとも大切な基礎となるもの。
人間は他者と共同し、共感し、互いに励まし合う資質をもつもの、教育は「将来の社会の担い手」を育てるものだと、著者はいう。『We』173号で、李国本修慈さんは「学校をつくりたい」と話していた。「誰にも等しくある存在価値を認める文化や思想」を軸にすえたその学校構想のことを、この『高校中退』のドキュメントを読みながら思った。
投稿元:
レビューを見る
高校中退するとアルバイトすらないきつい話だなぁいかなくてもいいことになっている高校なのにいかなければ 暮らしていけないっていうのは
投稿元:
レビューを見る
高校中退の現実と、対策についての具体論。
大人の援助を受けられなかった子供たちは苦しい思いをし、大人の理解を得られた子供たちだけが幸せを享受している。これを自己責任の一言で片付けず、高校教育の義務化、本当の意味での義務教育の無償化などで子供たちを後押ししようと著者は語っている。