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運転手も運転経験が乏しいなら、乗客たちも命令して監視する経験が乏しい。運転手のミスや乗客たちの頓珍漢でバスはあちこちにゴッツンコ。
その都度の目的やルートを適切に指示できない「自分自身」に、嫌気がさした乗客たちが、全てを運転手のせいにして、頬被りをしかねない。4
それどころか「考えないで、俺に任せろ」という馬鹿な運転手に、再び「丸投げ」しかねない。5
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官僚が、大臣、副大臣、政務官の間にお互いのコミュニケーションがないことを前提に、徹底的に情報を分断するんですよね。
ダイレクトに電話しちゃうと、頭越しで誰かの顔潰したという話になっちゃうわけね。109
役人が手練手管に長けているので政治家が手玉に取られているというのではなく、むしろ、自民党の派閥政治的な仕組みに官僚制が適応して、ある種の最適化を行った結果、役人のハンドリング能力が上がっている点にありますね。114
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「慣れ親しみ」の中に埋没しがちなこうした傾向を、丸山眞男は「作為の契機の不在」と呼びます。「慣れ親しみ」を害するものに否定的に反応しがちなものの、環境が変わってしまえば、やがて新しい環境に何事もなかったかのように「慣れ親しんで」しまう。207
でもね、結局のところ、ゲームはいつかは変わるんです。今までもそうだったでしょう。207
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「緑を使った国土再建」こそは、遠い将来にわたって、最後の、そして最大の……。254
ダムにもいろんなダムがある。護岸にもいろんな護岸がある。想像力を豊かにすることで、公共事業を、従来とは比較にならない「良きもの」にもできるのですね。255
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潜在フレームを書き換える程度のことで人格は変わらないからです。人格を含めたリソースの使い方が変わるだけ。分かりやすく言えば、自信がつくことと人格が変わることとの間には、何の関係もないのです。
非常時のパフォーマンスを上げるべく、平時のリソースをどう組み替えるか。だからこそアウェアネス(気づき)の訓練と呼ばれるのです。256
意識的に選択できるものの領域を拡げる訓練です。それが日本では「人格改造」として受け入れられてしまった。
改元観念に象徴されるような「空気の一新」「丸ごとの変化」という祝祭と結びついた原初的観念が支配しやすく、かわりに「リソースを組み換えてパフォーマンスを上げる」という戦略的観念がなじみにくいのです。
日本社会が使えるリソースはこれから大して変わらない。でもリソースを組み換えられる。組み換えればパフォーマンスは一変する。257
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崇高なるものへと統合されることによる尊厳。自由に物が言えて行動ができる中で自分自身の試行錯誤で培った自己信頼としての尊厳。どちらが強力かといえば、圧倒的に後者だというんですよ。259
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民主党政権が誕生して1ヶ月を経た頃におこなわれた、社会学者の宮台真司と、外務副大臣(当時)の福山哲郎の対談です。新しい政治がはじまるという期待に満ちた二人の言葉が随所に見られるのですが、安倍政権が高い支持率を維持している現在読むには、ややつらいものがあります。
本書の冒頭で宮台が、市場主義対談合主義、権威主義対参加主義の二つの座標軸で構成される大枠を示して、民主化とは権威主義から参加主義へと移行することを意味するのであり、そのさい、個人を社会的に包摂することがめざされなければならないという見解が示されています。それにつづいて、二大政党制そのものよりも、民主化への移行が重要だと主張しています。ただ、自民党の一人勝ちとなった現在から見ると、政治参加を含む個々人の社会的包摂を実現するフォーマットとして、二大政党制を確立させるというのも、重要だったのではないかという気がします。
もうひとつ気になったのは、民主党政権が打ち出した「東アジア共同体構想」です。宮台もこのころしきりに「亜細亜主義」を語っていましたが、本書ではその境界設定問題が取り上げられ、境界設定は恣意的だが任意ではないという主張が提示されます。ただこれも、現在の安倍政権が中国封じ込めという、まったく政治的に反対の立場に沿った境界を設定して、アジア・太平洋地域における実のある外交を展開しているのは、皮肉な事実だという気がします。
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自民党から民主党への政権交代を果たした直後の興奮と、その後の凋落を知る立場からすれば、まさに虚しいばかりの宮台真司と福山哲郎による対論。
ここで変えようとしていたものが、なぜ変えられず、それどころか退行してしまったのはなぜなのか、改めて考えないといけません。次の政権交代のために。
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民主党の外交・環境政策のプロデューサーである福山と、彼と親交のある実践派社会学者・宮台との対談形式で、現在の民主党政策のココロを知識層向けに解説する。
現役の政府メンバーである福山は、マニフェストを外れる野放図な発言はできない。ほとんど宮台が喋っていて、福山は相槌が多い。
・自民党の小泉の「権威主義」−「市場主義」は行き詰まった。民主党は「参加主義」−「談合主義」を目指すべき・
・マニフェスト実現に向け当初は躓くこともあるだろうが、技術論細部よりも日本の方向性を早く立て直すことが肝心。
・低炭素社会をキーとする世界的な「ゲーム」に乗り遅れることが国益喪失につながる。
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今の民主党がベストとは思わないが硬直化していた自民党政治にノーを突きつける意味で民主党が政権を担った意義が大変大きかったことがよくわかる。福山氏のような政治家が増えてくればよいと思った。
また同感したのはマスコミの政治報道のレベルが低いことへの批判について。八ツ場ダムにせよ温暖化問題にせよ思っていたことを代弁していた。世の中の主流がこちらだと信じたい。
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もうずいぶん前のことのように思えるけれど、民主党政権ができて鳩山首相が誕生して割と直後に行われた福山×宮台対談。
福山氏は至極まともなことを言っていると思うし、新しい時代の幕開けを想像させる語り口に満ちている。ただそれは当時のことで、今は民主党は下野し、党自体がなくなった。これだけの内容が語られていながら、なぜ民主党はあっという間に下野したのか。それを考えながら読むと面白い気がした。
民主主義がどうのこうのと対談しているというよりは、民主党が政権をとったというのは、日本に何が起こったからなのか、何を期待されて民主党が政権を取れたのかという論点であるように思う。
中身はとても面白い。一方で、繰り返しになるがこれだけの哲学と使命感を持った政権がなぜあっという間に下野したのか。それをセットで考えながら読むべき一冊。
特に民主党が力を入れていた「マニフェスト」についての箇所は面白かった。「与党は実績で、野党はマニフェストで」なんて、言われたら当たり前だけど言われないと「ああそうか」とならない。まだまだ勉強が足りないと痛感した。
「宮台 アンソニー・ギデンズがいうように、『包摂』は福祉国家へのぶら下がりと違って『参加』抜きでは成り立たない。企業のように競争に耐える工夫に『参加』せずに地域主権化は無理です」(位置No.1201)
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今エネルギー問題で日本でもEVシフトが進んでいる状況であるが、2009年のこの対談の時から、環境問題は政治問題でいち早くそのゲームに参加することが重要だと訴えられていたことに驚いた。
14年遅れでなぜ日本がCO2削減やEVへ舵を切る必要性が高いのかを理解できた。