紙の本
「安全の保障がなかったから」救援機を出さなかった日本と、「安全の保障がなかったから」救援機を出したトルコ
2019/08/12 09:01
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投稿者:洗濯の自由 - この投稿者のレビュー一覧を見る
イランイラク戦争の最中にトルコ機が邦人を救出して下さった出来事は、学校教科書に載せて広く隅々まで日本人が知らなければいけない事だと思います。日本共産党の配下にある日教組は自衛隊が海外に助けに行けない事を教科書に載せれば改憲圧力になると思って載せないのでしょうか?トルコでは小学校の教科書にエルトゥールル号の海難事故の際、南紀大島の日本人が69名を救出して親身の看護を行った事や傷が癒えた後、明治天皇のご決断で戦艦「金剛」「比叡」に乗せてイスタンブールまで送り届けられた事を大きく採り上げています。でも日本では、エルトゥールル号の話もイランイラク戦争時の救出劇も本を読んだりテレビや映画を見た一部の人しか知らない事が問題だと思います。
世界中で戦乱が起きているのに、自分たちの仲間が命の危険に曝されているのに、いつまで平和ボケで安穏といしているのでしょうか?海外で様々な活動で貢献している日本人が戦争に巻き込まれた時に、助けに来ない日本はなんて冷たい国なのでしょうか?日本以外の国は空軍パイロットが操縦して救援機を派遣しているのに、憲法9条があるから自衛隊を派遣出来ないというのは平和や安全保障を履き違えているのではないでしょうか?
日本人救出の英断を下したオザル首相(後の大統領)も救出機の機長オルハン・スヨルジュ氏も急逝して、その後を追うように、この本の著者の森永堯さんも若くて急逝しています。この方々が残したメッセージを、私たちは後々まで伝えていかなければならないと思います。
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著者はイランイラク戦争当時に現地で危機を体験しており、日本国民のイラン脱出を助けてくれてなお実直なトルコに対しての日本の積極的な関係強化の働きかけを訴えている。
また、親日国であるトルコと日本は手を携えて非常に良い仕事ができることの事例を踏まえ、両国の関係強化と双方の発展を熱く語っている。読むほどにトルコがますます好きになってくる。
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イラン在留日本人をトルコ航空が救出した際のエピソードはだいぶあっさりと終わって、著者のオザル首相との仲やトルコで行った事業の説明に割かれた部分が多かった。回顧録として捉えた方が良いかも。後半の方が自分にとって有益で、トルコが親日と言われるに至った経緯やトルコ人と日本人が共に働く時の感触がなどが記載されていた。新しく得られる知識も少ないし、自分は金払ってないからいいけど、わざわざ買う本ではないかな。
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近代の日本、トルコの関係や、トルコ人の対日感情が現地駐在し、首相とも交流あった著者によりわかりやすく説明され腹落ち出来る本。恐らく、実態はもっと多様なであり、現時点は日々変わっているのだろうが、入門として良本。
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【概略】
1985年の在イラン邦人を救出すべく飛び立った飛行機、その決断をくだしたオザル首相に対し要請をした日本人がいた。その人物が本書の著者であり、その著者がトルコ滞在商社マンとしての知見・経験を詰め込んだ、新たなトルコ・日本の架け橋となる作品。
2024年03月05日 読了
【書評】
「伊藤忠商事という商社に在籍していたから」とか、「優秀だから」とか、「時代だから」といった陳腐な自分を慰めるための言い訳なんて、本当に意味がないよなぁ~・・・と、関係のない角度から読み進めてしまった。他の書籍で拝見した著者や奥様の周囲への配慮・気配り、現代では合理性やコスパというお題目でどんどん軽んじられる要素の積み重ねが(もちろんビジネスパーソンとしての著者の業績や信頼があったうえだけど)オザル(当時)首相との関係を構築につながったと思う。トルコの方達が持っている国民性や、エルトゥールル号のことがあったとしても、それだけで政治家として決断するものではないはずだからね。
本書で最も刺さった箇所は、日本政府とトルコ政府・・・「政府」というぼかした主語で表現してはいけないかな・・・日本のトップとトルコのトップ、そしてそのトップを(選挙という制度で)頂きにあげている各個人・・・の違いを表している表現、「『安全の保障がなかったから』救援機を出さなかった日本」と、「『安全の保障がなかったから』救援機を出したトルコ」というもの。著者が後日日本側に「なぜ救援機を出さなかったのか?」について尋ねると、(やはり大きな主語だけど)日本側は「航空機の安全の保障がなかったから」という答えが返ってきたそうな。逆にトルコ航空の総裁(オザル首相の決断からトルコ航空に打診しているから、トルコ航空の総裁もやはり深刻な決断をしているはず)は「(現地にいる)日本人の安全の保障がなかったから」が救援機を出した最大の理由だそうな。どちらが絶対の正解でもないと思う。時に後者の決断がより不幸な結果を導き出してしまうこともあるだろうね。ただ・・・やっぱりこれって「自己責任」という言葉で片付けることができない大きさをはらんでると思うし、イチ個人ではカバーできないことを組織、その延長上にある国家が担保するべきだと思う。そしてその担保(国家が国家たりえるために必要なものがあるよね)をしっかりとしたものにするために納税をはじめとして国民としての義務があるような気がする。さらにその義務を機械的なものにしないために信頼というものがあるような気がする。
さてさて、トルコという国についての著者の言及について。長年滞在していた著者の視点からのトルコそしてトルコ人の国民性・・・2024年4月に遠征する自分としては、トルコにお邪魔することが本当に楽しみになってきたよ。各年代の歴史が交錯する国ってことは(元々、世界史専攻してたから)触れてたけれど、やはりナマの声は本当にありがたい。第2ボスフォラス橋一つとっても、この本のおかげで、きっと現地で目にする姿は違って見えると思う。日程的に(イスタンブールに滞在する期間が超絶短いから)橋を��にすることができるかは難しいけれど。
最後に、今の自分は(50歳になる)49歳。もう大きな企業に勤める機会も資格もない立場になってる。自身で会社を運営しているけど、その業種上・概念上、個人事業主の枠と言ってもいい。「喜餅」という要素が取っ払われた途端、その存在が消失してしまうという点では、株式会社の形態をとっていても、個人事業主なんだよね。今の形態に至った決断を、自分は後悔していないし、昨今の個人主義というか、逆に組織を悪というかネガティブなものと捉える傾向があるのもわかる。でもやはり、組織でしかできない大きなことってのも、ダイナミックな仕事ってのも、あると思った。退職せずに辛くてもずっと耐えろとか、そういうことを言いたいのではないよ。所属する組織の大きさを鼻にかけず、プライドの肥しとせず、自身のやりたいことを組織で実現させる・・・そういったことができるかもしれないってのも、アリだよなぁと思ったね。逆に組織の側、企業の側は、今回の著者のようなバイタリティーをうまく尊重して、且つ企業倫理やルールを守りながら、バランスよく存在して欲しいなとも思った。
商社のような大きな企業に勤めることができる若者達よ、皆さんが携わっている仕事は、大袈裟かもだけど、日本を、いや地球を背負ってるかも知れないよ?なんて思いながら読んでしまったよ。