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BSブックレビューで、中江さんが年間ベストに選んでいたので、
迷わず買いました。とてもステキな一冊でした。
「ステキ」とカタカナで評価するのが相応しく思います。
内容とは関係ありませんが、
回想と語りでフォントが違いました。
こういうのは、電子書籍では味わえない良さなんでしょうね。
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何年待っただろう。長編で復活。おめでとうございます。
主人公「泉」の、はたから見れば一生灰かぶり姫的な生き様。
泣いた。ただまっすぐに生きる。お願い事の三つ目がもうダメだ。
人を妬まない人なんていないって。何度も読み返したい。
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2011.03.08. 泉(セン)は素敵な人だと思う。きっと美人(時代によるね)で、でも中身は朴訥で真面目でいい人なんだろう。人の記憶とは、曖昧なモノだ。読んでて、けっこう勇気づけられた。特に引用部分に。電車で読むのに、表紙がちょっと…という時があった(カバーかけろよ、という話だけど)。
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8月-5。2.5点。
旅館経営した、一人の女性の物語。
戦後から、1980年代まで。奥ゆかしく、我慢ではない。
共感出来なかった。ラストもえーって感じ。
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ちょっと表紙がアレなんだけど(笑)
泉(せん)という、地味な地味な女性のお話。
彼女を知ろうと、いろんな人をインタビューし、
関わった多くの人たちの言葉から、泉の信じられないほど清い人格が浮き彫りに。
こちら側の視点で読み進めていくので、
なんと崇高な魂!とか思うんだけど、
彼女が実在し、近くにいたなら、やっぱり変人としか思えないかもしれない。
妹や、夫の愛人たちが一様に感じる「不気味さ」は、女だから感じるものだろう。
(その証拠に、男たちは逆に、泉を「美しい」とさえ思うのだから)
女たちは、この無条件に清い精神を理解できない。
裏があるに違いないと思う気持ちは、非常によくわかる。
けっして、泉は幸せだったとは思えないが、
「一人宗教」とも言えるような、自分の中で昇華できるものを持っていたことは、
私のような薄汚い人間にとって、
とてもうらやましく思える。
だからこそ、最後の「三つ目のお願いごと」に涙してしまうんだ。
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「幸せ」の定義とはなんなのか。
安定した収入を得ること。会社の利益を伸ばすこと。庭付きの一戸建ての家に住むこと。
一般的な幸せ像というものがあって、それを求めることも間違ってはいないと思う。
しかし、この物語では「幸せ」というものが、誰かがこうであると教えてくれたものとか、世間一般がいうものではなく、自分で決めるものなんだと教えてくれる。つまり、何が幸せかは自分の判断でどうとでもなる、ということ。
今ここで幸せ、というのであればそれでいいのだ!
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あっ、と声をあげそうになる。言葉にならない思いが取り残される。その正体を見極めたいと思い、懸命に心のあちこちを覗きこんで見るけれど中々焦点が定まらない。難解な数学の証明問題を前にした時のように、何となく取りつく島がなくて茫然としたような気持ちになる。こんな時には問題集の後ろに付いている模範解答(ああ、それはなんと無機質な響きのする言葉だろう)を見てしまいたくもなるけれど、そんなことをしてもモヤモヤとした気分が収まる訳ではないことも解っている。
じたばたとしている内にぼんやりと像を結ぶ言葉に行き当たる。「わだかまり」。そうだ、きっとそれがこの気分の出所、心の中に巣くうものの正体だ。
この物語はどこへも行きつかない。読む者も登場人物と一緒に過去に戻る。過去へ戻ることにそのものに特段の怖さはない。しかし過去から帰ってくることが適わないことは途轍もなく怖い。そんなところへ読む者を引きずり込んでしまっていいのだろうか、そんなわだかまりがきっとあるのだと思う。
そう言葉にしてみて、もう一度ジタバタしそうになっている心持ちが残っていることにも気付く。今度の正体はなかなか見えてこない。そして漸く解る、この物語の中に気持ちが取られてしまっているということが、自分で気に食わないのだ、と。
どこへも行かない、そして大団円でもない。それなのにその不確かな結末が何か悲しみとも幸せともつかない気持ちをざわつかせる。何かを託したくなる気持ちを湧き立たせる。それが依頼心の表れではないだろうか、と自分は訝しく思う。騙されないぞ、という気分になる。しかし、それが本当にこだわるべきことなのかどうかが解らない。
自分の中に響き返すものがないこと、それが不安の種なのかも知れない、とぼんやり思う。この物語に同期する長さの弦が自分の中にはないのに、何故か発せられた音だけがむやみに鳴っているのを聞くような心持ち。訳のわからないものに絡め取られてしまうことに抵抗できない自分のありように茫然となる。
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淡々としていて、読み進めるのに、勢いはなかったけど、題名からして、最後に何かあると期待していたのに、期待に応えてくれるラストではなかった。途中、泉の3つ目の願いには、少しグっときたけど、この表紙は頂けない。。
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最後の3つめの願いで、≪えへへ。我ながら名案だったずら。他の人のラッキーポイントも自分のポイントカードに加算されるずら。≫といった泉が切ないけれど、幸少ない泉にとっては名案と思える。私は、そんな生き方はできないけどこういう人はいたかもしれない。
児童虐待のニュースが多いだけに、両親に邪険にされる泉と重なる。そして本当は、愛されない子は、愛がほしくてほしくて人の幸せを喜ぶどころじゃない。
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長野県に親戚、友人が多くいるので、登場人物の名前が土地に多い名前だと気がつきました。リアルドキュメントの如く、よく調べて書かれている証拠でしょう。
主人公の泉は可哀相なのか? 不幸なのか?
段ボールの秘密基地で泣いていたくだりを読むと可哀相・・・と思うが、人と違う感じ方、表現の仕方を不幸と思えば不幸。個性と思えば光輝く。
なので泉の三つの願いの三つ目には、ちょっとガッカリしました。
他人の光で輝くのはお月様、シンデレラは最後はハッピーエンドがいいなー、そうなったのかなー?
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行間を読み切れなかった感が否めない。イントロの矢作氏のセリフ「おれ、幸せっていうのは……、幸せっていうか美しいっていうか、善きことっていうか……そういうのって、泉ちゃんみたいな人生だと思うんだよな……」…要するに、継母や継姉の不幸を顧みもせず、自分独りが幸せになる結末を何とも思わないのでなく、他人の幸せを自分の幸せと心から感じる人格に本当の意味の「シンデレラ的幸せ」を感じる、ということだろうけど。まぁ深読みせずに、これがそのまんま著者が描きたかったことだ、ということにすれば、それはそれで納得の読後感なのだろうけど。なんか、ちょっとちゃうよなぁ。しかも、この結末は何なんだろ。姿を消すのはどういう意味なのよ???
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やっと図書館の順番が回ってきました。倉島泉という女性の一生、というほど単純ではなく、シンデレラをモチーフにした話というほどなぞってはいない。ちょっと昔の時代で、都会ではなく地方で農村ではないが拓ききってるわけでもない町、という設定というのが絶妙で、遠すぎず近くもない世界として読みました。美しく病弱な妹がいつも主役、後回しにされてばかりの長女・泉は反抗したりひねくれることもなく、母親に邪険にされても黙ってその運命を引き受けて自分の役割を果たしていた。そうしないと生きられないし、消えてしまうような選択肢すらなかったのかもしれない。そして暮らしの中でささやかな喜びを見つけてはそれを支えに生きていった。この不遇の少女時代が読んでいてどうしてもつらくて共感もできず、いつかあの意地悪な母親やわがままな妹に不幸が訪れてくれないか、と思ってしまったがそんなわかりやすい設定でもなかった。大人になった泉はおしゃれもせずに目立たず、まわりからはちょっと変わり者と思われていたが本人は意に介さず。仕事にはまじめに取り組み彼女のアイディアで傾いていた家業(旅館)が持ち直していったのに、小さな頃からそうだったからか、ここでも正当に評価されない。やっと泉が認められる、輝く場面だと期待したが見当違いだった。大人になっても嫌なことはちゃんと待っていたのだ。それでもなぜか腐ることもなくますます清らかな芯を感じさせる女性になっていく泉。そしてやっと彼女の魅力にひきよせられる人が現れたり、彼女なりの穏やかな時間があることがわかり読んでいて少しずつ期待するのですが・・・。読み終わるころになってシンデレラを思い出させる描写にはっとして、でもその頃にはラストでした。最後にどうなるのか、泉がどんなことをしていてどう思われていたのかなどは書けませんが、とにかくものすごい劇的というのではありません。でもはっとさせられ、一気に読み終わってから泉を探してまた読み返し、どうしようもなく切ないような気持ちになりました。まだ気持ちがまとまらないし簡単にはすとんと落ちてこないような本。たなぞうでの評価もまだ少ないし好き嫌いが分かれるタイプかもしれませんね。またいつか読み直します。
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好きなんです、この作家が。だからちょっとおまけの★5つ。地方都市では誰もが妹の練習台、できそこないといわれた泉、でも妹を知らないよその人たちから見れば美しく魅力的な泉。幼い頃からの育ち方なのか、自分の幸せに一見無関心な泉。多分彼女は一般的な意味での欲望とは放れている存在として書かれている。魅力的だ。あちこちに姫野流の哲学が書かれている。少し抜粋多数決というのは引き算だ。強い要素は排除される。強い要素はある人を強烈に惹きつけ、あるひとを強烈に反発させる。多数決では反発のないものが残る。人は不審の念をクリアに抱いたときにクリアな動作で電話帳の興信所欄を開くのである。愛されて育った者は、他人の、一抹の気遣いにさえ敏感に気づく才能が培われる。愛されて育たなかった者は、愛されて育った者を頭ごなしに妬み怒ることが多い。だがまれに、愛されて育った者の才能を、遠くから憧憬する者がいる。・・・・だから、「「他人の事故に対する気遣いに敏感に気づく才能」への敬い」は、換言すれば、淋しい才能である。しかし、愛されて育った者には、その才能が怖い。当然といえば当然である。愛されて育った者には、さびしさに対する鈍感さは、切っても殴っても倒れない強靭さに映るからである。泣いてしまいそうなフレーズだ。この姫野節があるから星5つになってしまう。特に後半はそんな文が多くてこの本を手元においておきたいと思うのだ。確かに泉は幸せだった。誰もが泉に好意を持っている。泉がもっと「標準的なガール」の要素を持ち合わせていたらいつでも一般的で標準的な誰もがすんなり認める幸せな姿を手に入れていただろう。そうではない、そんな必要がない泉という女性に私は惹かれる。この小説のプロローグに「シンデレラ」の物語はエグイ合戦物とある。姫野のそういう感じ方が好きだ。そんな人が書いた短くても幸福な人生を生きた女性なのに、三つ目の願いは悲しいなあ。追記翌日後半をもう一度読む。泉は幸せだったのか。3つ目の願いを考えた泉はどんなに辛かったか。「標準的なガール」の幸せを望まなかったのではない。ずっと早くから自分に対して諦観しかなかったのでは。泉をキレイと感じた人は内面を見る事のできた人たち。内面が美しいことは悲しい。やはりこの小説好きだなあ。
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シンデレラが、継母達と同じ土俵で意地悪合戦をしているとすれば、泉は同じ土俵に立たず、身も心も綺麗だったということですかね。語り手の視点が複合的だったので、綺麗事で終わりそうな話が、謎解きみたいで面白かった。最後ハシバミの実の粉をたっぷり振りかけた泉が、都会で幸福に暮したと思いたい。
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考える本。
ただ、文章の進め方が興味を薄れさせてしまって
読み始めの勢いがなえて、最終的には読むのが面倒になってしまった。
童話のシンデレラについての記述が可笑しかったです。
シンデレラという代名詞は、素敵で優しいお姫様じゃないって
周知のことだと思っていました。
特に目新しいことを訴えているわけでもないので
この本を高評価する人は、純粋な人なんだろうなぁ。
とにかく、表紙の意味が分からん。
( ・_ゝ・)<幸せは自分次第。それも周知のことでしょ。