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不況日本に暮らす現代人にこそ知ってほしい、倉島泉の人生を。
新たなるドキュメント・フィクション。
かぼちゃは馬車になる?
本当の幸福とは?
中高年にぜひオススメの不思議なメルヒェン。
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シンデレラの生き方って本当に幸せだったの?
継母や姉に復讐しただけなんじゃない?
という疑問から始まる、リアル(本当の)シンデレラ物語。
縦糸がしっかり通っていて最後までブレない。読み進むごとに横糸が織り込まれていって、地味な主人公が鮮やかに浮かび上がります。主人公泉(せん)の生き方や周りの人々に、気高さや美しさの本当の意味を考えさせられました。
ナッチャコパックも出てきて懐かしい。
伏線も多いのでもう一度読みたくなります。
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「シンデレラ」は女性のあこがれの物語だというが、果たして本当にそうなのか?
両親にないがしろにされ、表舞台からひっそりと遠ざかる位置にいる主人公の“泉”。
そんな彼女のことについて、関係者からの話でまとめあげています。
魅力的でないような、しかし魅力的な不思議な人。
意思がないようで、ないような表現しづらい彼女についての物語に、なぜか引き込まれました。
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幼い頃から自分以外の人の幸せを願い、控えめに、目立たぬように生きてきた泉(せん)。彼女を知る人が著者の取材に答える形で、彼女の人生を描いた物語。ラストの展開がなんとも・・。姫野カオルコ氏の公式サイトに掲載されている後書きより~「「美しく清いものは、美しく清い。けれど、あまりにも美しく清いと、その愛しさ(かなしさ)に涙してしまうのも宿命である」
ベルギーの箴言です。~
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ある国では美人とされる人が、別の国ではまったく・・・
かように主観であるはずの美醜・幸不幸といった概念は、集合体の中ではあらかじめ最大公約数としての価値観として用意されており、共有を強制されている。そこから自由であろうとする独立した個は、自覚なきいびつな共犯意識をつきつける存在として糾弾される様を作者らしい筆致で描き出している。
姫野カオルコ版幸福論。
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富み善き美しきお姫様の物語。というと御伽噺のようではあるが此処に人伝てで紹介した女性の生き様は感動を通り越して驚嘆。三つのお願いだってそんなことある?とびっくりしてしまうほど。やっぱり御伽噺だ。
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心の底からこんな願いができるのかなぁ。
でも自分も他人も幸せに…って思ったらこの願いが一番なのかな。
でもちょっとくらい自分のためだけのお願いだっていいと思う時点で泉にはなりきれてないね(苦笑)
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◎第143回(平成22年度上半期)直木賞候補作品。
2010年8月16日(月)読了。
2010−64。
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よく女性の成功や幸せを俗にシンデレラストーリーと呼ぶけれどシンデレラって本当に幸せだったんだろうか?
本当の幸せとは?
そんなことをじんわりと考えさせてくれる深いいお話しでした。
物語は小さな編集プロダクションで有名な童話を翻案小説にしてムック本として出版する企画の中で「シンデレラ」ってどうなん?彼女って本当に幸せだったんだろか?ってところから始まります。
そのプロダクションの社長が言いました。「おれ、幸せっていうのは・・・・、泉(セン)ちゃんみたいな人生だと思うんだよな・・・」
泉ちゃんとはその昔プロダクションを立ち上げたときに会計をしてた人の義理の姉らしい。
社長のひと言で泉ちゃんの一代記を書くことになり筆者は取材を始めることになった。
筆者は取材を進めるうちに倉島泉(クラシマセン)に強い興味を覚えこんな人もいたんだと多くの人に伝えたいと思った。
話しは筆者が取材した様々な人の視点をとおして泉ちゃんの人生が語られます。
泉ちゃんは長野県諏訪温泉旅館の長女として生まれました。
彼女が生まれる前日に母親の父が死に生まれた夜に母親の母が死んでしまい、母親はわが娘ながら不吉な子だと思ってしまう。
そして一年後に妹の深芳が生まれます。 深芳は生まれつき身体が弱かったのですが母親にそっくりな美人で聡明な少女に育ちます。
母親は深芳を可愛がり自分にまったく似てない泉に冷たくあたります。
妹の深芳は「倉島さんところのあのきれいな・・・」と言われ、泉は「上の、きれいじゃないほうの・・下とは違って」と周りからは揶揄された。
大人になっても女将の長女なのに旅館の従業員からは「あの畑女」「あの掃除のおばちゃん」と言われるセンチャン。
昼間は畑を耕し、夜はラジオを聞きながらわらじを編んで、毎日をもくもくと生きていくセンチャン。
なんか読みながら僕の頭の中では宮沢賢治の〝雨ニモマケズ〟の詩が浮かんでました。
不器用で自分の感情を表にだすことが下手で鈍感だと言われ、いろんな人に誤解されてしまう。
それでも周りの人の幸せを願い健気に生きていく〝センチャン〟の人生。
こういう風に書いてたらセンチャンのどこがシンデレラでどこが幸せなんだろうって思われるでしょうが、でも確かにセンチャンは幸せだったのです。
うまく説明出来ませんがそれはこの作品を読めば誰もが納得することができると思います。
幸せって他人の目から見たもの見えるものじゃないんですよね。
人の目からは不幸にしか見えない人生でもその人が幸せなんだと感じたらそれは幸せなんです。
この作品はそんな幸せの価値観についてを読み手に教えてくれます。
センチャンが小学六年のときに秘密基地で会った貂(テン)に似た人に三つのお願いをします。
ラストでその三つ目のお願いが明らかになった瞬間、鼻の奥がツンとしました。
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えええええーーっと言う感じ???
もしかしたら難解かもしれない。でもそうではないかもしれない。
どこまで実話なのか、まるっとフィクションなのかも分からない。とても不思議なお噺でした。
でも、倉島泉という主人公の、不思議な、朴訥で方言丸出しで口調が固くて、誤解を受けやすいのだけど実はとても心がきれいで、人の幸せをわがことのように受け取れるその素晴らしい感性。
あれだけ(母)親に疎まれ、誤解をふりまき、縁に薄いのに、それは読んでいるこちらの胸が重くなるのに、当人は実にさらっと微風のようで圧倒される感じすらします。
読後感は悪くない。トライしてよかったです。
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主人公・倉島泉の生き方を読んで、自分自身が心に持つ嫉妬、猜疑、欲望などに気づかされる。
読後、「こんな人、いるわけないじゃん」と鼻白んでしまうか、感動するか、真っ二つにわかれるような気がする。
読者自身を試されているようなコワイ小説でもあるなーと思った。
感想としては、泉の生き方を素敵だなと思いつつも、現代の女性に多いオタ女子のさきがけなのでは、という印象が。独特の「~だ」という話し口調が、少し前に読んだ東村アキコのマンガ「海月姫」の尼~ずたちや、月海のイメージにぴったりで。
おとぎ話のシンデレラと、蚊取り線香の馬車に乗っていったリアルシンデレラ。どちらが本当のファンタジーなのだろう、と読後、心にジーンと残るものがあった。
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一気読み。そして数日後、再読。
真意が他人にはまったく理解されずにひとり生きる泉。
物語の最後の方に登場した男性が唯一理解しようと努力し続けてくれたことが救いになった。
泉が子供のころ泣き場所にしていた秘密基地で、ある人物に三つの願い事をする場面があり、
物語の最後に三つ目の願いが明かされた。
その瞬間、私は言葉にできない感情をどうしていいのかわからなかった。
深夜、わあわあ泣いてしまった。
現実には泉のように生きることは難しすぎるけど、憧れる。
僻まず、妬まず、羨まず、生きる。
どんな人生でも自分自身が幸せとしたならば、それが本当の幸せなんだ。
きっと何度も読み返すと思う。
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これまで読んだ姫野さんの中で一番よかったです。だから星5つ。
信州の温泉旅館の元女将のお話です。女将といってもほとんど畑仕事や布わらじ作りをしていて、裏方に徹した女性です。夫に愛人ができるとさっさと彼女に女将の座を渡し、自分は粗末な離れで暮らします。
その女性がどういった環境で育ったかを周囲の人への取材を通して浮かび上がらせるというドキュメンタリー仕立てにしています。姫野さんはこうした凝った手法をよく使いますね。
美人の評価にしても、地域によって異なるのですね。周りを気にしてばかりいては本当の幸せはつかめないというわけです。
こんな風に要約しては作品をつまらないものにしてしまいますね。読んで損はしません。お勧めです。
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「自分の周りにいる自分じゃない人にいいことがあったら、自分もうれしくなれるようにしてください」馬車の蚊取り線香立てを持っていなくなってしまった倉島泉の生きざまに引き込まれてしまった。
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主人公 泉という女性とは結局どういう人物だったのか、私には掴めないまま読み終わってしまった。
泉は蚊取り線香の馬車と共に、何を想いながら何処へ旅立っていったのか・・・