投稿元:
レビューを見る
わたぶんぶん…おなかいっぱい
・あんだぁ…豚の脂身を煮詰めてつくった脂(これが沖縄料理の命といえる)
・てぃあんだぁ…おかあさんの手の脂=手料理が料理をおいしくする
・あじくーたー…濃い味
・がちまやー…食いしん坊
・すばジョーグ…沖縄そば好きの人達のこと・・・
沖縄料理の一皿に込められた著者のエピソードはあたたかく、しかも濃い。とても真似できないけれど、私も自分のてぃあんだーをもっともっと育てたい。読んでよかったさぁ~~~
いちばん食べたいと思ったのは「じーまみ豆腐」、おいしいじーまみ、出会いたい。
投稿元:
レビューを見る
タイトルの「わたぶんぶん」は「おなかいっぱい」のこと。もくじにずらり並んだ、「ソウミンプットゥルー/ぽうぽう/ビーフン/うからいりちー/みぬだる/すば/じーまみ豆腐/らふてぇ/上海蟹/刺身/アーサ汁/ぐるくん/ひーじゃー汁/マンゴー/いかすみ汁/鶏飯/くうぶいりちー/ごぼう巻」……見るだけでおなかが空いてきます。
新宿成子坂下にあった沖縄料理の店「壺屋」のおばちゃんをはじめ、著者につながるいろいろな人たちの思い出が食べものとともに紡がれ、あとがきにあるように「料理の記憶とは、ひとと過ごした時間のこと」だと読み手にも伝わってきます。
投稿元:
レビューを見る
エッセイや小説は、全体であじわうもので、数値分析はむずかしい。
「考える人」編集長のメールマガジン
http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/mailmag_html/588.html
を読んで。
表現がきれい。エッセイは文が心に沁みるかどうかで好みを決めている気がする。
・ぽうぽうもちんぴん(柔らかいクレー部のようなもちもちしたおやつ)も、丁寧にゆっくり焼き上げる。あわててつくってはなめらかな口ざわりにならない。思い出すのは、夏の日曜日の午後、うるさい兄や姉が外に遊びに行って、狭い長屋のわが家でさえのんびりとした空気がただよう時間である。五人きょうだいの末っ子のわたしは父にとくべつにかわいがられていたから、父がわたしのためだけにつくってくれるお菓子なのである。兄や姉にはナイショにしておこう、と十歳のわたしが優越感にひたるときでもあった。
縁側に腰掛けて足をぶらぶらさせていると、台所から甘い匂いとあぶらのかおりがただよってくる。わたしは「茶飲みばあさん」とあだ名されていたほど日本茶好きの子どもだったのだけれど、お湯がたっぷり入った急須も用意して、父がつくるぽうぽうを待っていた。
…ぽうぽうという音の響きはその味のように甘くやさしい。父のようにわたしを愛してくれるひとはこの世にほかにいない、そのことをわたしは知っていたと思う。
・奄美の島唄は、沖縄の民謡とはまったくといっていいほどことなる。沖縄の民謡が浅く遠い海に届くものとすれば、奄美の島唄は深い森のなかに響くような感じがある。
旋律としても、奄美群島の徳之島までが日本の民謡音階で、沖永良部島から琉球音階となるのだけれど、唄にこめられる詩の世界もずいぶんとちがう。暮らしに根ざした描写、伝承の物語が静かな言葉でつづられ、それゆえにつよく胸にせまってくるのだ。