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あの細密画は圧倒されるばかりだ。
地面に腹ばいになって、じっと観察する。そこで絵は描かない。観察するだけ・・・。
そして「小さい人たちのために仕事をするためには体だけでもピュアにしておこうと思って酒もたばこもやらない」
清貧の生活でも、消しゴムを使わないほどに真剣に絵を描く。影をかかないのは、絵が充実していれば観る人が影を感じるから・・・
心の目、心の耳、心の口ですべてを感じ、愛する人。
無垢な心で、画業(生きる)ことを貫いたからこそ見えてくるものがある。神様はそんな人に恩寵を与える。
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花も鳥も獣も、風も雲も雨も、蚤も虱も虫もヒトも、この地球の上で同じように在る。そのことをこんなふうに「絵」と「言葉」で表現できる人がいた。まるで、まどみちおさんの詩のような「絵」を描く人だ。2010/8/1
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NHK 日曜美術館
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2010/1121/index.html
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心も身体も身動きがとれなくなった時に読む本。
いろんな柵とか窮屈なものから解放して、心を穏やかにしてくれる本。
私に深呼吸することを思い出させてくれる本。
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響く言葉がたくさん、というよりほとんどの言葉が深く、強く、はっきりと、そして静かに心に響く。病からあとどれくらい生きられるか不安に思わない自分にとっては、ずっと手元に置いておきたくなるような内容の本。あえていくつか選ぶと、
「楽しい時に笑って笑って、幸せをたくさん貯めておきましょう」
「過ぎ去ったことは置いておかないと、先へ進めない」
「小川に流れる木の葉みたいに、流れて生きる。他力で活かされていると思うと楽ですよ」
「僕の生涯は(中略)やがては大海に流れ着くのでしょう」
悩んだり、苦しいと思った時にはこれらの言葉を思い出そう。とても勇気づけられた。
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樹林さんが出ている映画で、観たいなあっと思っていた。
映画館で予告編はやったのに、結局上映はされなかった、残念。
なのでまだみていない。モリのいる場所の人だあ、っと思って手にとる。
が、さっき調べたら違った。笑
あっちは熊谷さんこっちは熊田さんでした。
絵のタッチも全然違う。
でも心根は似てるんじゃないかしら?っと。勝手に思った
こんもり森な庭も一緒じゃん。
熊田さんは超細密画
カラーの絵がとても綺麗。中のもカラーでみたい。
アリスの絵もめっちゃ素敵。
小さな人たちのために仕事をするのだから、
からだだけでもピュアにしたい、と酒もタバコもしないと決めたっとゆーのが純粋な人やなあっと。
そーゆーまっすぐさが、描くものへのまっすぐさにも繋がってるのかしら、と思う。
花や木は自分の美しさを知らない、だから美しい。
なるほど。
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自然の目線と一緒になって作品を描いた著者。植物や昆虫の目線にならないと描けない作品ばかり、だからこその「私は虫である」なんですね。作品を生でみたいと無性に思いました。わたしも自然を愛する一人として尊敬する著者です。
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色がまだ色として見えているうちは本当の色ではない。色が自然の中に溶け込んでこそ真の色である。
自然は美しいから美しいのではなく、愛するからこそ美しいのだ。
ふっと心が温まるそんな本です。
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この本を開いて、まず一枚の熊田さんの写真に目を奪われました。地面に横ばいになって、たんぽぽをスケッチしている写真。その瞳があまりに綺麗で、目を離せず見つめ続けているとなぜか涙が出できました。たんぽぽを慈しみ、たんぽぽと同化している感じが伝わってきて、この方の無垢な佇まいに衝撃を受けたのかもしれません。
その後、数ページ作品などの写真が続き、
「よく親父に言われました。乞食になっても王様になっても、愛は忘れるなって。」
の言葉。この方の瞳にここまで惹きつけられたことに納得しました。
熊田千佳慕(ちかぼ)さん、細密画家・童画家。千佳慕さんの言葉が載っています。
○身のまわりにあるものに愛を感じ、美しさを感じ楽しいひとときを持ち、生活の中に豊かな感性を持つことが本当のゆとりである。現在騒がれている学校や社会のゆとりは、ただ、単なる休む時間であり遊ぶ時間である。精神的なものを伴っていない。
○ゆとりのない芸は面白みも楽しみもない
○過ぎ去ったことは置いておかないと、先へ進めない。
○酒もたばこも飲みません。17 、8の時に、将来小さい人たちのために仕事をするには体だけでもピュアにしておこうと思って、それでお酒とたばこは飲むまいと決めたんです。
○色がまだ《色》として見えるうちは本当の色ではない。《色》が自然の中に溶け込んでこそ真の色である。
大切なことをいつの間にか心の深いところで失っていた自分に、社会に、気づかせてくれる、はっとさせられる、でも優しい温かい言葉が溢れていました。