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著者は、精神科医であり、精神分析を学んだ経験を活かし、臨床事例と合わせ多数の著書をだしている。
内容的には、以下の3点について論じている。
1.ひきこもり、登校拒否、出社拒否に象徴される現代人の打たれ弱さ。
2.モンスターペアレントなど、他責傾向の強い人々。
3.ドラック、酒などの依存症。
これらが急増している背景には、「対象喪失」を受け入れられない=大人になれない人々の増加が原因であり、「対象喪失」を直視し、乗り越えてゆかねばならない。
この本を読んでいると、説得力があり筋が通っているように思える。
しかし、内容を細かく見ていると、肝心な部分で客観的なデータが示されておらず、結果から論理が組み立てられているように感じる。
「対象喪失」を受け入れられないのは、普通の人にも見られる傾向であるし、時代によってかかるストレスも大きく変化している。
必ずしも大人になれないからという一義的な論点で説明しきるのは無理があるように感じる。
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著者が精神科医という事もあって心理学的な話が多い。自己愛と万能感。他責的な人々。最もはじめの対象喪失である離乳。罪悪感。幻想と万能感を膨らませる消費社会。
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現代は「成熟拒否」の社会である。
大人になるおということは「断念」しながら「現実適応」していくことである。しかし「無力」であることを受け入れることが現代人はできなくなっている。万能感の否認を拒否する方向が引きこもりや鬱であり、怒りとなって他責に向かうとモンスターペアレントやモンスタークレーマーとなる。モンスターペアレントは親としての万能感を保持して「パーフェクト・ペアレント」「パーフェクト・チャイルド」を失いたくないからこそ親の非も子供の非も認めずに学校や教師の責任とするクレーマーと化す。
消費社会があきらめないでというメッセージを発信し続ける以上は、一方で肥大化した自己愛的万能感を抱えて、あきらめきれない「成熟拒否」が増加し、他方で薬物などによって自己愛や万能感を補おうとする現象が生じるのは当然の帰結、というお話。
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なかなか評価が難しい。
前半は最近話題の事例等も交えて理解しやすいのだが、後半は冗長というか少し難解になってくる。
問題は明確なのだが、どう解決していくのかまで踏み込めていない。
解決方法はない、あきらめろということかな。
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万能感とか成熟拒否とか対象喪失とかがテーマとなりますが、ひと通り読んでみると、どれだけ「諦める事」が大切なことかが良くわかります。
「諦めたら終わりだ。」「絶対に諦めない。」「挑戦し続ける。」それは素晴らしい事ですが、むしろ、「もうこれまでだ。」「いい加減諦めよう。」「私には無理だった。」と認めることこそ大切だということです。
諦めない。ことは素晴らしですが、諦めなくて一生終わってそれでいいのかどうかです。
諦め、出来ないことを認め、そして、では次にどの方向に進むかを見定め、方向転換しまた新し可能性を見出すよう努力を続けることこそ大切なのです。
また、どうしても失うことが避けられないものにしがみつかないこと・・・
先日ピアノ・レッスンで、先生と次のような会話をしました。
「ピアノはせっかく一生懸命覚えた曲でもちょっと弾かないとすぐに弾けなくなってしまいます。せっかく苦労して覚えた曲、苦労して獲得した能力を失うことに諦めが付かないのです。なので、失うことを食い止める方法はないのですか。」
すると先生は・・・
「弾けなくなって構わないのです。忘れてしまって構わないのです。むしろ、変にしがみついて、気分や気持ちに任せてひとりよがりで弾き続けることで、曲に変な癖がついてしまい、どんどん崩れていってしまうのです。」
「獲得した能力を失うことを認められず、しがみつき、万能感に優越することこそ成熟拒否の典型で、それは貴方が大人になれていないということに他なりません。」
最後の部分は言葉にされたわけではありませんが、言わんとしていたことはそんなことかもしれません。
出来ないことを認める。だめなら諦める。それが大切です。
最初から諦めていたのでは話になりませんが、しばらく取り組んでだめで、そして努力の方法や方向を変えたりしてもだめならばとっとと諦めなさい。そして、方向転換をしてその方向へ自分を伸ばすべく努力すべきでしょう。
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「モンスター〇〇」という言葉が広まって久しい感がありますが、どうしてこんな世の中になっちゃったのかと常々思っておりました。
本書を読んで納得。
ひきこもりの病理も「自己愛が傷ついたり壊れたりすることから逃げるための成熟拒否」とあるのを見て手を打つ思いでした。
確かにそうだわ 。
ひきこもりの人って、社会に出ることには物凄い及び腰だけど、やりたいこととか自分の興味に関わることになるとプライドむき出しになってしかもそれに全く自覚が持ててなかったりします。
そりゃうまく行かないよ、と思うけれどそういうことを言うと「何もわかってない」とか「気持ちがわかるわけない」とかシャッターを下ろします。
「こどもじゃないんだから」ではなく「マインドは子供」なんですね。
奥付を見ると6年前の出版。今現在もこの病理の改善の兆しは見えているとは言えないように思います。
今も一度「ライン」から外れたら戻れない世の中のままです。
「諦める」は大事ですが、これは諦めてはいけない事態だと思います。
著者の文体の癖だと思いますが、文の末尾が「ゆえに」「だが」「ほどに」など言い差し表現で終わっているのが散見され、私だけかも知れませんがちょっと読みにくいと感じました。
言い差し表現ではなく「である」「と考える」など言い切りの方が、こういう内容の文には適切なのではないかなーとちょっと思いました。
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他責について知りたくて読書。
他責の人間が増えている。日本だけの現象なのか不明だが日本は確実に増えているなと感じている。
本書は、著者が接している患者などの例も含めてモンスター〇〇について紹介されている。
他責の癖がある人間が、新型うつ病と呼ばれる現象の原因になっていると指摘される。では、どうして他責の人間が増えてきたのか。
著者は、現在の日本社会が原因だと指摘してると読み取れる。不況からの閉塞感や先の不安、現状の不満から自分を守るため責任を他人に押し付けることで無意識に自分自身を守っているのかもしれない。
問題は、周りで関わる人間に他責の人間やモンスター〇〇の類がいたときの対処法だ。それが知りたいと思った。
他責人間になるのは社会の問題もありそうだが、家庭教育にも原因がありそうだ。著者が指摘するように挫折や失敗が少ない人間は、自己肯定力が異常に高く、自己客観視や自己分析力は弱いと思われる。失敗やちょっとしたつまづきを多く経験させて、そこから立ち直るための助言や援助を経験して立ち直って前進してきた人間は他責人間にはなりづらい。
大切なのは、転んだとき、
一)他人のせいばかりにしない。
ニ)敗因を分析する
三)自分で起き上がる
この三つの練習を積み重ねていくことだ。(p247)
自責ばかりだと抑うつ状態になるので、他責と自責はバランスが重要。心のなかで思うのは自由なので、メンタルヘルスコントロールのために、意図的に他責を用いることも方法の1つ。
前に読んだ人が、p47の引きこもりの子がインターネットに没頭するのは、インターネットは無限のパワーを手に入れた氣分にさせるからの下りに書き込みがあった。
違う、インターネットに没頭するのは、楽で飽きないからだ、と。
これに関しては書き込んだ人に同感で、インターネットや依存に陥るのはその行動の方がハードルが低くて楽だからだと思う。
電車で読書よりスマホでゲームやLINEをやるのは、後者の方が楽だからだと思う。行動に多少の苦痛がもとないハードルもやや高いが読書をする人は、読書にそれ以上の価値があることや得たい目的があるからその行動を選択していると思う。
本書は色々なことを考えさせてくれた。
覚せい剤に溺れた芸能人の心理分析は、なるほどと思った。過去の栄光と現状とのギャップに耐えられない。そこにはやや歪んだ自己愛が関係している。
かくいう私も先月末にこの10年で経験がないほど落ち込んだ。我ながら弱いなと思ったのだが、そんなときに本書を手にしたのは、潜在意識が手にさせたのかもしれない。
読書時間:約1時間25分
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今、どこの書店も、新書コーナーにこの人の本が平積みされている気がする。
ラカン派のお医者さんだと知って、びっくりして購入。
ラカンの理論がこんなに一般受けする時代になったのか!?
理想の自己という「対象」を喪失するつらさを受け止め、自己愛を相対化することが大人として成熟すること。
しかし、現代の消費社会は、便利さ、快適さをサービスとして提供するために、大人になるチャンスを奪っている、tぴうのがこの本の基本的認識。
自分にとっても耳の痛い話でもあったし、なるほどと思う部分も少なくない。
でも、本を閉じて考え直してみると、依存症は成熟拒否なのか?
無差別殺人が起きるメカニズムの説明もわからないところがあった。
自己愛が保てないつらさから他責的になるというのはわかる。
ただ、内なる悪の存在を認められず、それを外部に投影することで無差別殺人が起きるとされている。
自己愛を保てなくさせるきっかけになった特定の対象が攻撃されるのではなく、不特定多数になるのはなぜなのだろう?
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うーーん。正直な感想は、「そんなに難しく考えなくても...」という感じ。他責とかの分析よりも、自分の人生を生きることに集中するような分析の方が私は好きかなー。とはいえ、今月から学校関係のクライアントも増えるので、この時期に読めたことは、いい勉強になりました。
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クッソ名著な『なぜ、「怒る」のをやめられないのか 「怒り恐怖症」と受動的攻撃 (光文社新書)』と同様に鋭い内容。
フロイトが随所で(効果的に)引用されていて『フロイトで読み解く現代日本』と言ったイメージでしょうか。フロイトに親和性を感じるタイプの人が読めば結構イケてる本なのだと思いました。
「自己愛的万能感」という考え方はよくわかるし、「断念」の概念もよく書かれていてわかりやすい。「転ぶ」というのも理解できる。腑に落ちるところは多い。
でも「すごい自分を保つためなら何でもする」のオビとの結びつきがいまいち弱いところがほんと残念なので、このあたりに絞ってもらえた方がよかったです。
ちなみに本書のamazonのレビューは散々なようで、なんでだろうなと首を傾げたくなる。依存したことも挫折もしたことないんかな?
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「やったら、できる!」
という言葉がある。
時には、そうだろう。
でも
「やっても、できない!」
ことの方が
世の中には多い気がする、
いや、確実に多い。
ますます、
その通りだ!
と思ってしまった。
精神的に未熟であるがゆえに
世の中で
起きてしまっている事象の数々、
また、
その未熟さを助長してしまっている
未成熟な家庭の人間関係、会社組織での人間関係、他者との関係をうまく築けない未熟な心の構造の数々、
それらを
具体的な事例を挙げながら
分かり易く分析してくれている
一冊でした
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精神科医による日本社会の分析。
多くの人々が大人になれないのは、「対象喪失を受け入れられない」からであり、そうなった原因は「人間の死」というものが生活から遠く切り離されて身近に感じられなくなったことによるものだ。というのが著者の考え。
人間は「死ぬもの」で「対したことのないもの(空っぽなもの)」なんだよな実際。
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・すべてを他責にする人間が増えている。
・挫折してもそれを乗り越える力が不足している人が多い。
・モンスターペアレントが増えているのは、自分ができなかったことを、子供に対し過度に期待するため。(星一徹型?)
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自分がまさに積極的に成熟を拒否したいと思う人間なので手に取った。大変示唆に富む内容で、自省を促される指摘も多々ある。また、大人=理想的人間とはどうあるべきか思惟を喚起してくれる。
ただ、冒頭で筆者自身も「成熟における『対象喪失』という側面に着目して、~一つの切り口を提示してみたいと考えている」と言っているため、分かった上であえてそうしているのだとは思うが、いくらなんでも全てを「対象喪失論」と結びつけすぎではないだろうか。こじつけと思える部分もいくらかある。
例えば、幼児的万能感の喪失に耐えられない大人がモンスタークレーマー化するとの主張だが、そもそもその万能感を持っている当の幼児はモンスタークレーマーだろうか。むしろ知らない相手に対しては萎縮するのではないか。子どもは車に轢かれても「轢かれ逃げ」する。電車内でトラブルを起こすのも幼児でも未成年でもなく、決まって成人だ。そういった意味で、幼児は確かにある種の万能感を持ってはいるが、モンスタークレーマーと言われる大人の持つ万能感とは少々質の異なるものなのではないだろうか。
薬物依存についても、対象喪失に耐えられないためというケースも多々あるのだろうが、単純にカッコイイからとか、フィジカルな快感を求めてとかといったケースもあるのではないだろうか。
「対象喪失論」の流れに全てを収束させようとするあまり、どうも安易なこじつけに見えてしまう箇所が少なからずあり、論理的に突っかかってスムーズに頭に入ってこないところが残念だった。テーマ自体は大変興味深いので、このあたりが改善されたらより面白い内容になったと思う。
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「他責」という言葉がポイントになるのだろうか。モンスターペアレント、モンスターペイシェント、そしてマイケル・ジャクソンについての解説が興味深い。もう一度読んでみたい。