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ビジョナリーカンパニー 1 時代を超える生存の原則 みんなのレビュー
- ジェームズ・C.コリンズ (著), ジェリー・I.ポラス (著), 山岡 洋一 (訳)
- 税込価格:2,136円(19pt)
- 出版社:日経BP出版センター
- 発行年月:1995.9
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紙の本
二兎を追うこと
2006/12/18 12:18
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:k-kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
ビジネス指南書の古典という位置づけのようだ。1995年に第1版が刊行されているので、すでに10年を超えている。手元にあるのは、2006年 第32刷。
ビジョナリー・カンパニーとは、ビジョンを持っている企業、未来志向の企業、先見的な企業。本書で取り上げられているのは、ゼネラル・エレクトリック(GE)、ヒューレット・パッカード(HP)、IBMなどの超一流カンパニー。そして、日本企業で唯一取り上げられているのがソニーである。
いまソニーはどうなっているか。液晶テレビの好調でこのところの低迷を脱し、どうにか立ち直った矢先に、リチウム電池のリコール問題でつまづいている。本業のエレクトロニクスに全力を傾注したとはいうものの、技術力の低下はないのか。
基本理念がしっかりしていることが、ビジョナリー・カンパニーの条件だという。かつて、盛田昭夫が掲げた、ソニー・スピリッツはこうである。「ソニーは開拓者。人のやらない仕事、困難であるがために人が避けて通る仕事に、ソニーは勇敢に取り組み、それを企業化していく……」
本書で何回も繰り返されている概念は次の2つだ。
・時を告げる予言者になるな。時計をつくる設計者になれ
・「ANDの才能」を重視しよう
時計をつくること、時を告げるのではなく。カリスマ的指導者になることに全力を傾けるのではなく、建築家のようなやり方で、ビジョナリー・カンパニーになる組織を築くことに力を注ぐことだという。製品ラインや市場戦略について考える時間を減らし、組織の設計について考える時間を増やすべきだと。
「ANDの才能」とは言わば「二兎を追う」ことだろう。矛盾する目標を同時に追求できないとする理性的な見方——低コストか、高品質かのどちらかだ、という類——これを「ORの抑圧」と称している。この抑圧をはねのけ、両極にあるものを同時に追求する能力だ。AかBのどちらかを選ぶのではなく、AとBの両方を手に入れる方法を見つけ出すこと。
単純に短期と長期のバランスをとることではなく、短期的に大きな成果をあげ、かつ、長期的にも大きな成果をあげようとする。高い理想を掲げ、かつ、高い収計性を追求すること。ビジョナリー・カンパニーの多くが現実主義と理想主義という2つの側面を持っている。
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一線を画す経営学の本です
2018/05/09 12:21
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:こぶーふ - この投稿者のレビュー一覧を見る
経営学というと、教科書的な本、もしくはMBA何とかといった本が多く出てますが、この本はこれらとは一線を画す内容です。テクニックや定量分析と言ったものではなく、会社の根底にある、大切な何かがよくわかる本かと思います。
紙の本
BLOOD,SWEAT&TEARS
2004/05/10 22:06
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「真に卓越した企業と、それ以外の企業との違いはどこにあるのか」−その命題に基づき、膨大な調査及び分析から生まれた結果は−。「データはあくまでデータである」と作者は断っているが、しかし、ビジョナリーカンパニー(先見的企業)にならしめたと世間一般に思われている伝説や神話の真贋をデータで事細かに立証し、そこから普遍的な法則を導き出すプロセスは、きわめて面白い試みである。
まず、有名なところから。「ひとりのカリスマ的指導者は『時を告げる』」。しかし、「ひとりの指導者の時代をはるかに超えて」「繁栄し続ける会社を築くのは『時計をつくることである』」。ビジョナリーカンパニーの創業者たちは、いずれも「ビジョナリーカンパニーになる組織を築くことに力を注ぐ」。それが、『時計をつくること』なのだ。
次が、「OR」ではなく「AND」でいく。すなわち、「AかBかのどちらかを選ぶのではなく、AとBの両方を手に入れる方法を見つけ出す」。たとえば、「高い理想を掲げ、かつ、高い収益性を追求する」。それを実現しているのが、ビジョナリーカンパニーなのである。
たとえば、創業まもなく、利益ではなく、いまでいうところのミッション、しかもハードルの高い「基本理念」をつくり、将来の海外進出を見込んで外国人でも発音しやすい社名に変更したSONY。日本の企業では唯一SONYをあげている。
ビジョナリーカンパニーが最初からうまくいったわけではなく、むしろ、失敗してつまずいている企業の方が多いのは興味深い。
カリスマ性の高い人物は、ビジョナリーカンパニーには不要であると述べられているが、当然、優れた経営者は必要であると。脈々と企業体、人材に受け継がれたナレッジが、まさにその企業のDNAであるわけだ。
経営陣が生え抜きであること。確かに、これも、いえてる。飛び級ではないが、よく何人飛びで無名の役員が代表取締役になったなどと一時期話題になったが、それだけ有望な人材がいるということだ。
カリスマは代替はきかないが、組織は代替がきく。でなければ、会社なんて意味がない。時代の趨勢でその会社の業態や扱い品目が変わるかもしれないが、創業当時のミッションは、不動のものとして社員一人ひとりの意識に染みついている。
昨今、経営がうまくいかなくなると、助っ人社長を招聘して、意識改革などと称して荒療治をする。大抵はリストラとかなんだけど。いっときは効果があるかもしれないが、往々にして長続きはしない。
最後に、ビジョナリーカンパニー各社の「経営手法などは、決して新しくはないことが明らかになった」。ほらね、泥臭いけど、人間力。BLOOD,SWEAT&TEARSなんだ、やっぱり。
余談になるが、本書によると、IBMは、1925年に現在の社名である「インターナショナル・ビジネス・マシンズ」に変更、1930年には計算機の大手企業になったという。何ともコンピュータ時代を予見した業態をあらわすのに、ふさわしいよい社名をつけたものである。