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本書「量子の海、ディラックの深淵」原題は、"The Strangest Man"、なんとも俗っぽいものだ。そこだけ見ると格調高い邦題圧勝という感じなのだが、読了後は別の感想を抱かれるのではないか。
本書の価値は、まさに俗人としての Dirac を描いたことにあるのだから。
本書の主人公、 Paul Adrien Maurice Dirac ほど、業績しか知られていない物理の殿堂の住人はいないだろう。マスメディアの発達した20世紀の偉人として、これは実に希有なことである。Einsteinは言うに及ばず、ノーベル賞を同時受賞した Schrödinger は波動関数など聞いたことがない人でさえ猫や「生命とは何か」でその名が知れ渡っているし、経路積分など見たことがない人の間でも「ご冗談でしょう、ファインマンさん」は読まれている。まだノーベル賞を受賞していなくても Stephen Hawking をTVや 著書 で見聞きした人など考えられない状態である。それなのに、業績においてこれらのDr.セレブに少しもひけをとらない Dirac は、業績以外世間は何も知らないのだ。
そう。ひけをとらない。Diracの名を知らぬ人でも、反物質という言葉は知っているだろう。「正」物質と出会うと対消滅して100%エネルギーに変わることも(正確にはその反粒子に対する正粒子)。Diracは、それを発見した人である。それも観測ではなく、理論で。
今では当たり前の「理論が予言した新物質や新現象を観測で見つける」というトレンドは、この人を嚆矢とする。 Pauli のニュートリノ も 湯川の 中間子 も、その意味ではこの延長上にある。それ以前の物理学は、圧倒的に観測先行だった。特殊、一般両相対論さえ、前者は光速不変、後者は水星の近日点移動というすでに観測されていた事実を追っかけていたいたことを考えると、その凄さが改めて実感できる。
その理論と観測の時間差が実に短かったこと。予言から陽電子の発見までは4年しか離れていない。ノーベル賞受賞はその翌年。いくら理論先行といっても、観測の裏付けもないものにノーベル賞が出るほど甘くはない。蒸発するブラックホールが見つかれば、Hawking 博士だってすぐにもらえるはずなのに。
ハイゼンベルクは、「君はどうしてダンスするんだい?」とディラックに訊かれたことが、いつまでも忘れられなかった。「素敵な女の子たちがいるときには、ダンスするのは楽しいからだよ」としごくまっとうな返事をすると、ディラックは考え込むような表情をした。五分ほど押し黙っていた挙句、彼は、「ハイゼンベルク、その女の子たちが素敵だって、どうして前もってわかるのかね?」と言った。
そんな内気で引っ込み思案な非モテで非コミュな Paul が選んだのが、英語も不自由なバツイチコブツキのヤンママだったというのは、それだけで結構なニュースだと思うのだが、本書を読むまで芸能界のゴシップは馬耳東風でも科学界のゴシップには耳ダンボな私でさえ知らなかった。それが Eugene Wigner の妹であることをさっ引いても、これほど正反対な夫婦というのも珍しい。
まるで彼が見つけた、正反粒子のように。
こうしていきなり二児の父となった Dirac は、妻 Manci との間に2女を設けるが、継子と実子���分け隔てなく接する立派な父親だったようだ。いや父親でなかったというか。研究以外の全てを、 Manci にふっていたのだから。
それが、老後を過ごすには悪くなくとも、功成り名を遂げた理論物理学者の居場所として人気があるとはとても言えないフロリダを終の住処とした一番の理由のようである。
このように物理以外のエピソード満載、かつ数式は絶無の本書であるが、物理学者の手によるものだけあって、物理の描写も「素人を見下した」ところはなく、正確かつ精確である。一般向けの伝記としてはこれは正しいのではあるが、私としてはもう少し数式を使って欲しかった。しかも出て来た唯一の数式(っぽい文章)のあの定数は、ℏでなくてhの方だというのがファンとしてはむっとするところだ。そうすればこの600ページを超える大著ももう100ページぐらいコンパクトに--かけてもいいが Paul ごのみに--仕上がったと思うのだが。
一般相対性理論
Paul Adrien Maurice Dirac / 江沢洋訳
しかし、本書の書き方であれば Manci も読めるし、かつ納得するはずである。そこが本書のすごいところだ。本書は一人の寡黙な天才の物語であると同時に、物理学にとってもっとも喧噪だった20世紀という時代の物語である。業績"のみ"が知られた人の伝記としては、これくらいでちょうどよいのかも知れない。数式であれば、たとえば右の「一般相対性理論」があるし。「○×にもわかる」なんて前置き無用の、主人公にふさわしい著書が。
本書を読んで得るところが最も大きいのは、21世紀の Paul たちよりも Manci たちではなかろうか。レディースのみなさん、こういうKY君は狙い目ですぞ。
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量子力学を相対論的に書くことに成功し陽電子を予言したディラック方程式を始め,多くの業績を残した偉大な理論物理学者の本格的評伝。
二段組みで本文が600ページ近くと読みごたえありすぎだったが,なんとか完読。ディラックの生涯を通じて,20世紀の物理の歴史を概観できるし,量子力学建設のエピソードの数々はとてもドラマチック。ディラックはやはり巨人だった。ディラックの海,デルタ関数,ブラ・ケット記法…。
内向的な性格,物理学への熱中ぶりは納得だけど,実験との一致より数学的な美しさに重きをおいていたというのは意外だった。美しい理論に合致しない実験や,実験に合致するが美しくない理論を,ディラックは嫌悪したそうだ。絶頂期を過ぎた彼は,量子電磁気学の繰り込みをやり玉に挙げてしまう。
その無限大を避けるために,素粒子として一次元の紐を想定することを,ディラックは早くに提案していたようだ。超ひも理論を先取りしていたとも言えなくもない。しかし晩年は頑なで,めぼしい業績はなく,友人に施術してもらうなどホメオパシーにも親近感。何か,老いた天才の悲哀を感じてしまう。
以下,興味深いエピソードをメモ。
・性格的には,ディラックはとても無口な物理オタクという感じ。家族との確執がその背景にはあるようだ。一代で成功をおさめた厳格すぎる父,優秀な弟と比較されることを嫌っていた兄の自殺。家庭から逃げるように研究に邁進していった雰囲気がある。相対性理論に衝撃を受けて熱中し,短時間で自分のものにして量子論建設に参画していく様にはやはり天才を感じる。
・パウリはお母さんを自殺で亡くしてるのか。ニュートリノを予言する三年前。父はパウリの嫌う女性と再婚。自身も妻に去られて離婚。 ディラックといい,アインシュタインといい,家族に問題を抱えつつ偉業をなしとげた天才って多いんだなぁ。
・宇宙線ってミリカンが命名したらしい(1925)。でもその後彼は宗教じみた宇宙線理論を構築,宇宙線が「神の祝福の明確な証拠である」と確信したとか。 ノーベル賞学者もときどきおかしくなる。ポーリングなんかもそうだっけ。
・中性子を見つけたチャドウィックも,反電子を見つけたアンダーソンも,それを報告する論文ではとても慎重。アンダーソンなんか,投稿後に取り下げようかと思ったらしい。当時は素粒子といえば電子と陽子で,本人たちも半信半疑だったみたい。理論が新粒子を予言して,実験で観測され確証される,という今日まで続く素粒子物理の伝統が確立する前のこと。
・陽電子の発見に接してもラザフォードは,抽象的な理論が新しい粒子を予測できることを認めたがらなかった。もうこの頃は量子力学が成熟してきてて,かつての実験主導が覆っていたんだな。ラザフォードが原子核を発見した頃とは正反対!
・1933年のノーベル物理学賞はディラックとシュレディンガーが共同受賞。 メディアに注目されることを嫌がったディラックは受賞をことわろうかとも思ったが,ラザフォードの助言で翻意。「受賞拒否すればなおさら注目を集めるぞ」って,なんかファインマンもそんなエピソードあったよね��。
・誕生日を過ぎたハイゼンベルクにディラックが言った言葉にこんなのがあるそう。 「君ももう30をこえたのだからもはや物理学者とは言えないよ。」自分も同年代で,歳をとることをだいぶ気に病んでいたとか。
・ディラックはノーベル物理学賞を最年少で受賞。ストックホルムでの講演では,宇宙が等しい量の物質と反物質とからできているのではないかとほのめかした。太陽系はもちろん物質でできてるが,恒星系の半数は反物質でできているという可能性もあるって。
・ディラックってガモフの奥さんとできてたの!?全然おんなっけなかったのに。ガモフは全然気づかなかったらしいけどずいぶん熱のこもった手紙のやりとりをしてる。ガモフ夫妻はソ連から亡命してきたんだけど,ケンブリッジでは妻のローにディラックがロシア語をならったり,ディラックが車の運転をローに教えたり。その後手紙を何度もやり取りしたけど,ディラックからの手紙はすべて燃やされてのこっていない。
・ディラックは,ノーベル賞授賞式に母親とともに参加。疎んじられていた父親は,出席できなかった。 母親はディラックの研究内容にさして興味をもたなかったが,父親は晩年まで息子の仕事の内容を理解しようと涙ぐましい努力をした。人生ってなかなかうまくいかない。なんだか切ないなぁ。
・ディラックは友人ウィグナーの妹と結婚。彼は初婚。彼女は二人の子連れ。 ハネムーンから帰って書き上げた初めての宇宙論に関する論文は大数仮説に関するもの。評判は良くなくて,ボーアは酷評。 ガモフに対して「見たまえ。結婚すると人間はこうなるんだ!」と言ったとか。
・ブラ・ケット記法ってディラックが考えたのか。二次大戦中のこと。 非英語圏の物理学者は,量子力学の数学記号がなんで下着にちなむ名前で呼ばれるのかしばらく不思議だったらしいw
・アインシュタインも,ディラックも,齢を重ねるにつれて融通が効かなくなっていく。これは普遍的な現象なのかなぁ。どんな天才でもそうだとすると,人間がみんな時期が来ると健康を害して(死んで),後進に道を譲るというのは,大変理にかなっている。アインシュタインは量子論が世界を確率的にしか記述できないことが気に入らなかったけど,ディラックは繰り込みが許せなかった。技術者として訓練を受けてきたディラックは,小さな量でなく無限大を無視するという繰り込みの技法が受け容れられなかったようだ。戦後には,ディラックを始め,量子力学の建設に邁進してきたシュレディンガー・ハイゼンベルク・パウリ・ボルン・ボーアはもう頭が古くなってしまい,ファインマンなど若手についていけなくなる。さみしいけれど,これが現実。新陳代謝は,必要だ。
・しかし,ディラックがなぜロケットが垂直に打ち上げられるのか納得しなかったという話は本当かな?NASAに問い合わせても理解しなかったって。垂直打ち上げだと発射台付近で燃料がたくさん消費されてしまい非効率だと考えたということなのだが。NASAも高名な物理学者の質問だから丁寧に解答したみたいなんだよね。大気中を長く進むと抵抗損失が馬鹿にならないし,ロケットエンジンは空気が薄いほど出力が増えるからという説明で十分すぎると思うんだが。ディラックも自分で計算したら納得せ��るを得ないよね。なのに生涯理解しなかったとは。何より,ソ連とアメリカが熾烈な宇宙開発競争をしているわけだから,垂直打ち上げがもし効率の悪い方式であれば,真っ先に淘汰されるに決まっているよね。現実は両者とも垂直に打ち上げてるわけで。それへの疑念を堅持するなんて,ちょっと思い上がりというか何というか。やはり老いたということか。
・還暦を過ぎたディラックは,科学哲学者クーンのインタビューを受けて,自身の半生を語った。人見知りのため友人ウィグナーが同席。ほとんど語ることなかった子供の頃の記憶,兄の自殺についても触れた貴重な会見。兄の死に関する部分の録音は,約束通りディラックの死後に公開された。
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物理学者ポール・ディラックの伝記。
素粒子物理の流れで来てるので、今がチャンスとばかりにマイブームに乗って読んだw
ディラックはシュレーディンガー方程式の行列版を作った人だが、物理学を学んだ者以外にはあまり知られていない。ヒトトナリまで知られた物理学者といえばアインシュタインくらいで、それ以外の物理学者は人間性までは知られていないに違いない。俺も物理を学んでいる頃は全く興味なかった。なんとなく興味を持ったのは、物理を離れてからだ。ディラックはほとんどしゃべらないみたいな話を聞いて「へぇ」と興味を持った。
ディラックは私生活以外ではあまりしゃべらなかったらしい。自閉症に近い特徴だったと分析されている。同僚からは相当寡黙な変人と思われていたようだが、知り合いには非常に人間的な側面を見せていたらしい。
人間性云々の話より、ディラックは数学にも詳しく、幾何学的なイメージを以って、ディラックの方程式を導き出したというのが興味深かった。素粒子物理学という最先端の物理学は非常に複雑であるため、哲学的発想や実験からの閃きを元に理論を構築する物理屋が多い中、純粋に数学とイメージから理論を導き出したのはすごい。
そんな理論屋ディラックが書いた書籍「量子力学」は立ち読みしたことがあるが、簡素で無駄がなく難しかったので、買うのを止めた記憶が蘇ったw