投稿元:
レビューを見る
純粋に気になったそれからのこと。現役時代さえも知らないのに私まで傍に南田さんがいたように思えて読み終えた今でも寂しい気持ちになる。印象的だったのは最後の夜の話。介護当時それを公表することに金儲けとか本人の意志の有無とか非難の声もあったけど、南田さんはそれも容認しそうに思えて私はピンとこなかった。
投稿元:
レビューを見る
南田洋子さんは、平成21年10月21日午前10時56分、
意識不明のまま帰らぬ人となりました。
長門裕之さんは、いまだに後悔し、気持ちが揺れ動いています。
しかし、生前、洋子さんに「死んではだめだよ」と言われ、
がんばって生きていかなくてはならないのです。
強く生きるために、この本を書いたそうです。
投稿元:
レビューを見る
チェック項目16箇所。日本人と外国の意識の違い、仕事に穴を開けない。植物状態になったことで一度死んだという捉え方。第一声の”ばかやろー”萩本欽一さんの言葉・・・”ばかやろう”は大好きだよ、愛しているよ、なんで一人にするんだよ、もっと尽くしたかったよに聞こえた。気持ちを吐露する日誌ではない、心がバラバラになってしまいそうだから。妻が遺言を残せなかったのは自分の責任。介護の真相・・・介護疲れで自分が先に逝く、妻を看取るのが怖かった、受け入れたくなかった。死に対する知識を持てばよかった。生きるためには「何かのため」が必要。妻を失って気がつく・・・妻が生きるうえでの土台になっていた。介護の日々を振り返るのは懐かしいからではなく、映像を観ると妻と初めて接したような興奮を覚えるし、心から楽しむことができるから。70代にして身体を求め合うこと。70代には70代のやり方がある。妻との別れは長年連れ添った妻を失っただけでなく妻でありながらもう一度恋した女を失った、失恋も同時にした。生きることに未練があるか問われたら、「当たり前だ。未練があるさ」と胸を張って言う、何かにすがって生きること・・・それは恥ずかしいことではない。演技ができなくても、伝達ができなくても、手足が不自由になっても、誰の命も輝いている。人に伝達できなくなる・・・死に近いこと。