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紙の本
古田晁から和田芳恵が社史を依頼され、それをひきうけた心境がなんとなく分かる本
2011/07/23 01:08
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
和田芳恵『筑摩書房の三十年』は生き返った著作の一例だと思う。その生き返り方は、埋もれていた書物が長い月日のあいだに読まれ、評価が定着し、復刊されたり、全集に入ったりする通常の著作のそれとは少し異なる。
『筑摩書房の三十年』は1970年に非売品のかたちで刊行された際には、「あとがき」の末尾に「和田芳恵」の名があるものの、本の表紙にも扉にも、また奥付にも著者の名はない(事情があって、この古い版で読んだため、そうしたことが分かった)。
そのように著者の名が表の部分にないのは、この本の著作責任者があくまで著者である和田以上に、彼に材料を提供して、自社の歴史執筆を依頼した筑摩書房にあるからであろう。
もちろん今回、その後の社史と合わせて、70年の筑摩書房の歴史を開陳する主体は、前半の著者和田、新たに書かれた後半部分の著者永江朗双方にではなく、やはり筑摩書房自体にあるわけで、たんに商業出版物というかたちのために執筆者としての著者を前面に立てる必要があっただけという見方もある。
確かにそうだが、以前の非売品と異なって、表紙に「和田芳恵」の名がつけられた新しい本に違和感がないことが重要なのだ。そこに生き返り、蘇ったという意味がある。
こうした例に似ているのは、たとえば各種事典、辞典の項目に執筆したものが、著者の評論集や全集に後年、単独のかたちで収録される場合であろうか。
また匿名で書き続けたものがまとまって、時には本名を明らかにして、一冊の本に収録される場合も、ちょっと性格は異なるが、著作の一種の生き返りであろう。
だが社史には、そうした著作とは決定的に異なる執筆依頼関係がある。なんというか社史のような著作は、特に本書を読んで強く感じたのだが、依頼するものとされるものとのあいだに微妙な心のつながりが推測できる。依頼するほうは自分あるいは自分たちのことであるがゆえに自ら書けないものを、この人と見定めた人に依頼する。依頼されたものは、その事情を忖度し、引き受ける。
そして出版社の社史のみが、著作を業としているがゆえに、依頼するものと依頼されるものとのあいだに、そうした関係が生じうるのである。社史ではなく個人の伝記の執筆依頼などになると、あつかましさを感じるのは私だけではないだろう。
けれど依頼するものと依頼されるものとのあいだの心の微妙なつながりは社史において一般的なものではなく、本書において固有のものだったのかもしれない。ほとんどはビジネスライクな依頼にすぎないのかもしれない。
和田芳恵は、あとがきで「古田さん」(とも書いている)が家に来られて、社史を依頼したときのことを書きとめている。《古田晁という人は、意あって言葉がたりないようだが、言葉がたりないためにかえって意を通じる妙なところがある。私は、これはお引受するより仕方があるまいと即座に覚悟した。》
古田晁には特別な魅力があったようだ。彼についての複数の書物が(おそらく出版人のなかで、書かれた本が最も多い人物のひとりであろう)、日本の出版史のなかで彼がしめる独特な位置を明らかにしている。しかもそれらの著作のひとつには「含羞の人」というタイトルがふられていて、和田芳恵の言葉とあわせて考えると、どんな人物かが推し量られる。
私は『筑摩書房の三十年』を読むと同時に、他の出版社の社史も読んでみた。『新潮社一〇〇年』(2005年刊・非売品)および『物語 講談社の100年』(2010年刊・非売品)の第九巻と十巻である。
新潮社のほうは1966年に書かれた河盛好蔵「新潮社七十年」と、この本のために書き下ろされた高井有一「百年を越えて」の二つを中心に組み立てられていて、巻末に詳しい年譜がついている。
講談社のほうは全10巻から成る社史で、複数の著者の名が最終巻の巻末に載っているが、どの部分がどの著者によるものかの記載はない。
『筑摩書房それからの四十年』の著者永江朗は別のところで、執筆依頼をひきうけた理由に、破格の原稿料を挙げている。それはこうした書物の、通常とはやや異なる性格をあらわにしている。非売品ではなくても、記念出版として多くの部数が関係者に贈呈される本は採算を度外視して製作されたと考えられる。
新潮社や講談社の社史を見ても、豪華なカラーページをふんだんに挟み込み、いわば商業出版物ではできない製作費のかけかたをしている。
その意味で永江の著作は、和田芳恵の著作よりは、河盛好蔵と高井有一による新潮社の社史、そして複数の著者による講談社の社史につうじるところがある。
和田芳恵による筑摩書房の社史には、細やかな人間関係が推し量られるという美点とひきかえに、社史としての記録性という点において十分でないところがあるかもしれない。1940年からはじまる筑摩書房の歴史は戦争が終わる1945年の時点で全体のページの半分以上を使い切っている。30年といえば1970年までだが実質的には1950年代後半までしかふれていない。
あとがきには、豊富な取材材料をもとに、それらを《どこまで生かして社史を書くかということは、すべて私の自由裁量にゆだねられた》旨が書きとめられている。そうしたことが許されていることが、一にも二にもこの著作の性格を決定づけていると言えよう。
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