投稿元:
レビューを見る
どのように人生を終えるのか。その覚悟の有り様を、筆者の作品の中から散文的に集めたもの。なるほどと思える事が多い。
投稿元:
レビューを見る
書きおろしではなく、曽野さんの過去の著作から、テーマに沿った部分を抜き書きして作られた本です。エッセイや評論だけでなく、小説からの文章もあるのが面白い。ですが、こういう手の本を、ちょこちょこつまみ読みではなく通して一気に読むのは結構きつかった。心に残る文章もあったかもですが、列記されているため、1冊の本としての起承転結がない…。なので、自分の中では流れて行ってしまった印象です。
投稿元:
レビューを見る
ベストセラーとなっている『老いの才覚』に次ぐ、晩年の生き方シリーズ。定年後を輝かせる新たな仕事や自分の時間を管理する知恵など人生を楽しくするための知恵がつまっている。身の回りのものを溜めこまず、身軽にして新しいことに挑戦する。他人の好意にすがらず、孤独と付き合い、分相応を知る。自立して生きる人は、年齢を問わず輝いている。
投稿元:
レビューを見る
聖書の引用をはじめ、はっと我に返るような言葉がちりばめられている。人を恨んだり、何かに行き詰って困っていたりするとき、心を落ち着け立ち直るために読みたい一冊。
投稿元:
レビューを見る
なんとなく惹かれて手にとった本です。
曽野さんの本を度々読まれている方なら、「あの箇所」という楽しみがあってよいのだと思いますが、私のように全く読んでない人からすると、全く魅力を感じないんですね。
まあ、ところどころ心に引っかかる部分があるので、1冊の本としてそれなりによかったとは思います。ただ、自分にはちょっと合わなかったなー。
投稿元:
レビューを見る
●毎日料理をすること、時々旅をすること
段取りは、意志の力・予測能力・外界との調和の
認識そして何より謙虚さ、など総合的な判断が要る
上に、たえずそのような配慮をすることで心を錆び
つかせないことができる。家事は、段取りの連続で
あることを思うべきだ。
●鈍重に「待つ」という知恵
それでも私は自分の心の救いのために果実の木を
植えていた。樹木も人も、育つには年月がかかる。
だから未来の確証はなくとも命は植えておかねば
ならないのだろう。
●若々しい魂を保つために
外見の若さの基本は、新鮮で安全な食材を使った
食事をすることだろう。人間の長寿や健康の元は、
日々の栄養の摂取法の積み重ねの結果だ。若々しい
魂を保つためには精神の栄養が負けず劣らず必要だ
そのためにはたくさんの尊敬すべき人に会い、複雑
な人生の機微に触れた会話に加わり、強烈な現世の
限界の姿に触れる体験をし何よりもたくさんの読書
をしなければならない。
●人がしても自分はできなければしないという覚悟
本来なら、人間はいかなる状況の中でも自分が生涯
をかけた好みや自分がそこに置かれた意味を発見
できるはずだと思う。それを可能にするのは、他人
とは違った判断をする勇気そのものです。それを
教えなかったから、自分自身の評価を失って評価を
大衆の眼に合わせようとする日本人が多くなった。
投稿元:
レビューを見る
「老い」に関する曾野綾子氏の語録。
語録なので,サクサク読める反面,内容が薄い。
曾野氏の老いに対する考えを知るには『老いの才覚』の方が良い。
投稿元:
レビューを見る
人は生まれ出た瞬間から、死に向かっている。
それは今日かもしれないし、明日かもしれない。
「自分の始末」の意図するところは、実はたった一つ、できるだけあらゆる面で他人に迷惑をかけずに静かにこの世を終わることである。私たちは一瞬一瞬を生きるほかはないのだから、その一瞬一瞬をどう処理するか、私はずっと考えて来た。
「死」までの一瞬一瞬をどう生きるか。著者自身の作品の中から抜粋した言葉集。
彼女はカトリックだったのよね。
全体に“神”の存在が…。無宗教の私には、素直に心に入ってこない。
投稿元:
レビューを見る
曽野綾子「自分の始末」、2010.2刊行、2011.3新書化。心に留まった点は(少なかったです): ①料理と旅をすれば精神は錆びつかない ②一日に一つだけ積極的に物事を片づける ③意思を伝えるのは「言葉」の他に、「気配」「表情」「歩き方」「あらゆる小さな動作」・・・。
曽野綾子「自分の始末」、2011.3発行、再読。①定年後を輝かせるには、心掛け一つ。面白がれば、すべてできる。すべて、自分が主体となり、その分だけ自由になる。②体は手入れに比例して長持ちする。③人は赤ん坊から大人になるまではもらうばかり。与えるからこそ大人になり、おいぼれでなく青年であり続ける。もらうことを期待した時、人は老年になる。寝たきり老人でも感謝を忘れなければ、感謝は人に喜びを与えるのだから、やはり壮年なのである。
投稿元:
レビューを見る
自分の始末の意図するところは、実はたった一つ、できるだけあらゆる面で他人に迷惑をかけずに静かにこの世を終わることである。
気になったことばは以下です。
・人の世にあることはすべて自分の上にも起こり、人の中にある思いはすべて私の中にもある。
・日本人のように人を信じすぎると、小さなことも裏切りと思え、傷つく。しかし私たちのように人を信じないと当たり前のことも幸運の兆しとなる。
・得たものは、得た瞬間から失う恐れがある。それは現世の厳しい約束ごとである。しかし、ものなど失ってもたかが知れている。人が最も心を痛めるのは、愛する者を失うことだ。
・「淘汰」とはなにか、不適当の者を排除すること、環境・条件などに適応する物が残存し、そうでないものが死滅する現象をいうのだ。
・つまり人生で、人間は何度も病気にはかかるだろうが、死ぬのは一回だけなのだし、その一回さえ済めばそれ以上何度も死ななくていいわけだ。
・人間の最期に必要なのは許しと和解だと言っておられる。
・何歳で死のうと、人間は死の前に、二つのことを点検しているように思われてならない。一つは、自分がどれだけ深く人を愛し、愛されたかということ。もう一つは、どれだけおもしろい体験をできたか、である。
・「憎んで生きるのも、愛して生きるのも同じ」と思える。それは、「憎まれて生きるのも、愛されて生きるのも、同じ」ということかとおかしくなる。
・鍬は力で使っているうちはだめなのであった。すべての人間の行為は、力をむしろ合理的に抜いて、必要な方向と時にだけ集中できる時に有効な結果を生むということも、私は初めて悟ったのであった。
・聖書には、結婚の披露宴に招かれた時、上席につこうとしてはならない、と書いてある。
あなたより身分の高い人が招かれていて、あなたやその人を招いた人が来て、「この方に席を譲ってください」というかもしれない。そうすると、あなたは恥ずかしい思いをして末席につくことになる。むしろ、招かれたときには、末席に座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、「友よもっと上席へ進んでください」というだろう。そのとき、あなたは同席しているすべての人の前で、面目をほどこすことになる。だれでもみずから高ぶる者は下げられ、みずからへりくだる者は上げられるのである。
・ほんとうの強者は弱点を隠さない。自然に嘆いたり、打ちひしがれたり、もっと幸運な人をうらやんだりできる。
・沈黙は、思ったほど苦しくはなかった。言葉だけが、人間の意思を伝えるもののように思っていたが、むしろ人間の口から出る会話は、表面的な荒いものだと思えるようになったのである。気配、表情、歩き方、あらゆる小さな動作。すべてが隠されている意味までを能弁に語っていた。
・一生の思い出というものは、かなりくだらないものでいいのである。
・昔は、権利があってもしないというのが美徳だった。「遠慮」というすてきな言葉があったでしょう。「才覚」というのもいい言葉で、小さいときから「才覚を持ちなさい」と口やかましく言われたものです。
・何もかもきれいに跡形もなく消えるのが、死者のこの世に対する最高の折り目正しさだと私は思っている。
目次は、次の通りです。
新書判のためのまえがき
まえがき
1 定年後を輝かせる「新たな仕事」
2 「不純」の大いなる効用
3 どうすれば運命を使いこなせるか
4 現実を受け止められないとき、生き悩むとき
5 問題は、「どう生きたか」
6 人生の思いがけない「からくり」を知る
7 遠距離「世間」のすすめ
8 「自分の時間」を管理する知恵
9 ささやかだけれど贅沢な生き方
10 自分なりの「始末のつけ方」
出典著作一覧