投稿元:
レビューを見る
色弱の人が何に困るのかを、著者の経験から学ぶことができました。
正直、色弱者の色覚をイメージした画像を見たときは衝撃的でした。
無料のiPhoneアプリ-色のシュミレータ-であたりを見回すとそれがよくわかります。
これからは、男性20人に1人はそういう人たちがいるということを意識していきたいと思います。
投稿元:
レビューを見る
ユニバーサルデザインについて勉強したいなと思っていたが、理屈はわかっても、色弱の方々が実際にどういう場面で不便を感じているのか、どんな対策をされているのかはなかなか実感できなかった。実際に色弱の筆者の人生をたどり、どんな場面でどんな経験をしたのか、どう不便だったのかを追体験することができた。
色弱の方の世界というだけでなく、伊賀さんというひとりの人間が、徳島での少年時代からヒッピーブームの大学生活、IT化という時代の流れの中で経験された事柄がとても興味深かった。
投稿元:
レビューを見る
世界観が変わります。こんな世界もあったのか、と。著者の伊賀さんの狙い通りかもしれないけれど、そう感じさせられる本のつくり。
投稿元:
レビューを見る
色弱のタイプがいくつもあるというのは知りませんでしたし
男性の20人に1人とかなりの人が色弱なのだということは
まるで知りませんでした
知り合いにもいるんだろうな
五感の中で 視覚・聴覚に関して興味があるんですが
写真を生業としているので視覚には特に関心をもっています
どうやったらいいか すぐには思いつかないけど
写真を使って 色弱について関心をもたれるようなことを
何かしたいなと思いました
赤系が見えにくいようですけど 海中と同じような感じになるのかしら
投稿元:
レビューを見る
障害を持ってこの社会を生きるということが
いかにたくさんの困難を抱えるか…ということを考えさせられた。
3原色の1色を感じられないだけで、これほどまでに日常生活のなかで困ることが多いとは…。黒板に赤のチョークで書かれた文字が見えない。見えないというと、先生にふざけていると叱られる。地下鉄の線の色分けが、同じ色に見えて区別が付かない。障害者の安全より、見た目重視デザイン重視の配色…。
障害を持たない人には想像できない事で困っているのだ。
確かに困ることも多いが、それ以上に、周囲の「フツウ」という人からの誤解による叱責や"理解したつもり"の見当ハズレな対応が、障害を持つ人をさらに苦しめている事実。
これは、色弱だけでなく、私の発達障害、その他の障害も同じこと。
色弱は、コンピュータの普及により、シミュレーションソフトなどができたことで、色弱の人が感じている世界を表現しやすくなった。それによって、感じている世界を表現しやすくなった。
発達障害も感じている世界を表現できる方法があれば、理解を得やすいのですが…なかなかそうもいかない。何を表現すればいいのかわからず模索の状態だ。
いずれにしても、「フツウ」と呼ばれる人には、もう少し「想像力」を働かせてほしいと感じることがたくさんある。
一般に「相手の気持ちがわかる」といわれている事象は、単に自分の感じ方が大多数と一致していることが「相手の気持ちをわかる」ことだと考えているにすぎない。
本当に「相手の気持ちを想像できる」能力であるなら、相手がどんな世界にいる人であっても理解できるはずである。ところが、実際には、障害を持つ人の苦しみを想像できなどころか、差別をする人までいる。
「相手の気持ちを理解できる」というのは、ただの神話なのだ。
大切なのは、自分が経験したことのない世界を想像し、相手の気持ちを考えること。
それが本当の意味での「相手の気持ちをわかること」なのではないかと思う。
投稿元:
レビューを見る
自分が色弱であるがために理系に進めなかった伊賀さんだが、逆に照明の仕事をしたり、色で苦労する仕事をする中で、自分の色覚に興味を覚え、色彩検定の1級を取得したばかりか、専門家ともいっしょになって、NPO法人、CUDO(カラーユニバーサルデザイン機構)を立ち上げてしまう。バリアフリーということばはだれでも知っているが、国内に320万人、男性の20人に1人といわれる色弱の人々の「色のバリアフリー」を実現することは、実はいわゆる「正常」だと言われる色覚の人にもやさしいことなのだと言う。伊賀さんは色弱であるがゆえに、時に不便な目に遭うことはあっても、それで差別をされてきたことはないという。それは、小さいときから、子どもの色覚を認識していたおかあさんに育てられてきたからであろう。要するに伊賀さんは色覚における人との違いを自覚しつつ、明るく育っているのである。色弱といっても、それは人間の色覚のタイプの一つであり、正常と言われるC型の人に見えない色の差が見えたりするというし、逆にC型の色覚の中にもいくつかのタイプがあるという。今や医学的には正常とか異常とかは言えなくなっているようだ。むしろ、色覚の違いは病気などでなく、いわば人類が過去から受け継いできた血液型の違いのようなものなのである。色の多使用は、正常と言われる人たちにも見分けを難しくしている。色をたくさん使えば便利だという思いこみをなくし、「色のバリアフリー」を実現することは、公共機関が率先してやらないといけないだけでなく、ものを売る企業にとっても実は利益をもたらすものなのだ。ちなみに、最近購入したパワーポイントも、このCUDOの認証のついた製品だった。
投稿元:
レビューを見る
色弱の認識を勘違いしてました。色弱の方には色弱の人にしか分からない世界観がありますが、そんなことも関係なくその発想で一般的に通じる画期的なアイデアを生み出すこともあるんだと感じた。
投稿元:
レビューを見る
色覚と言うのは血液型と同じようなもの。
持って生まれた型を変えることは出来ないし治療すべき対象でもない。
色盲・色弱の人が、どのような世界を見ているのか、
口絵のカラー写真でまず驚く。
考えてみれば「赤」と一口に言っても、
自分が見ているものと人が見ているものが同じとは限らないし
それを知ることもない。
え?その差がどうやって分かるの?という疑問はとりあえず置いとくとして(笑)
この本からは色々なヒントが見えてきた。
「言葉と実態」な哲学的な問題やら就職や結婚に関する差別問題に留まらず、
むしろもっと実用レベルの公共デザインの問題なのだ。
信号の色や交通標識など生死にかかわるもの
テレビやトイレの空き表示や仕事で使う付箋など生活しやすさにかかわるものなど
「色のバリアフリー」の視点から考えなおしたい事柄は山ほどある。
自治体や企業の意識の変化と行動が伴うことで改善のスピードは加速される。
そして何かを変えていく、生んでいくのに必要なのは、
色覚のタイプにかかわらず、
その人の中の好奇心やフットワークや考え方や能力知識で
動くことから、それに応えるように様々な縁や運が
呼び寄せられ巻き込まれていくんだなと思った。
カラーコーディネーター1級の試験の件は読んでいてトリハダが立った。
投稿元:
レビューを見る
現在日本でカラーユニバーサルデザイン普及啓蒙の陣頭指揮をとるNGO、CUDO(カラーユニバーサルデザイン機構)の理事である著者が、自らのP型強度の色弱者としての半生を具に開陳して見せることによって、CUDの必要性を訴える。単に配色に気を配ることに終始するのではなく、異なる色覚を持つもの同士がいかに共通のプラットホームを築いていくか、その想像力を問われていることが深く理解できる良書。
投稿元:
レビューを見る
色弱が世界を変える。
考えたこともなかった。
色弱者への認識を広げ、誰にでも生きやすい社会を実現する、カラーユニバーサルデザイン。
素晴らしい取り組み。
まずは、自分が色弱について知識を広げることが重要だな。
にしても、
かんたん色盲検査表は、ホントに見えなかった…。
普段は意識することはほとんどないけれど、
俺ってやっぱり色弱なんだとこの歳で再実感。
息子にも伝えるには、やっぱり知る事。
投稿元:
レビューを見る
ピクトグラムは東京オリンピックのとき日本人の手によって生み出された。そのピクトグラムは今やありとあらゆるところで使われ言語を超越したコミュニケーションとして世界を変えたといっていい。単一民族でグローバル感覚に欠けると非難される日本人だが、真のユニバーサルデザインを作り出せるのは相手を慮る精神が根付いた日本人なのかもしれない。
私も色弱だ。筆者ほどではないにしろ稀に色の見え方に戸惑いを感じることがある。特に小学生時代の色覚検査の医師の反応は軽いトラウマでもある。とはいえ自分が色弱常であることを知れたことは良かったし違いを知っているからこその心的負担も軽い。
筆者は色弱で理系の道が途絶えたにも関わらず重い雰囲気はなく、コミカルで明るく軽やかな文体で色弱について学ぶことができる。「病気ではないから直すのではなく違いを認め配慮する」というCUDの精神はもっと世の中に広まってほしいなと切に願う。