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1994年に単行本化されていたストーリーなのに2011年現在でも全く色褪せていないのは素晴らしい!「私を生んだのは姉だった」がこれ程深い展開になるとは。言葉と言うか言語をネタにここまで書けるのは神林ワールドしか無い気がします。雪風シリーズにも共通する部分がある気がします。
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’94。言語SFがよく書かれるようになったのは、いままでSFが示してきたように、これが未来だからなのか。それとも既に言語に取り込まれているのか、それは現在か未来か。…楽しい。
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「私を生んだのは姉だった」
この言葉から始まるのは、人と、機械と、言葉とそして世界の物語。叙述支援機能を持つワープロ、匂いで構築される物語、言葉を育てるポットなど、読者を想像のさらに向こうへと連れていくその筆力と発想は、「言葉使い師」神林長平のまさに真骨頂だと思います。おすすめです。
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7/14 読了。
言語SFというらしい。文章が合わないのか、なかなかハマれない部分もあったが、「栽培文」「戯文」あたりは面白かった。ただ面白いとは言ってもSF装置的な部分ではなく、サイコホラーな構成の部分が面白かったので、あまりSFを読んだという気はしない。
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神林長平初挑戦。
現実なのか、単なる作られた言葉(妄想?)なのか分からなくなっていくところが好み。
他の作品も読んでみたいけど、数が多くて迷うなあ。
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神林長平がいかに「言葉」を大切にしているSF作家か分かる小説。
言葉は凶器になり、世界を滅ぼし、世界を救う。
哲学的でエンターテインメント。
もう好きとしか言えない(笑)
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これが「小説SF」(SF小説ではなく)の走りなのかな?
言葉の自己産出性に対する高いチュートリアル性。
自分でも何か書きたくなってくる気持ち。
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解説にもあるが、これが1994年に書かれたことを考えると、小説家の想像力の射程の長さには舌を巻くばかりである。
小説家の想像力の射程というアングルに限って言えば、「リトルピープルの時代」で宇野氏が、村上春樹のそれに触れている。
言壺の、神林氏の射程は近づく先から逃げて行くような、遠い遠い先を見据えているように感じられる。
人間と、その他の動物との生きる世界の違いを、言葉(と、それによって作られた想像上の社会)の有無という視点から、一刀両断している件が好き。
最後の「碑文」にある一人称「我」は、いつでも私たちの隙をつかんと覗いている。
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ワーカムという、人工知能に近い言語に特化したワープロを軸にしたSF短編集。
機械学習の権化のような端末が人々に与える影響から、普段は気づかない「言葉」というものの強さ、恐ろしさが垣間見える。円城塔さんの解説文まで、ワーカムのスタイルで統一されており、解説文も作品に取り込むこの本には、魔力すら感じさせられる。
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私を生んだのは姉だった。
この言葉から始まる、最初の収録話「綺文」で何処か新しい世界に連れて行ってもらえるような予感を感じた。
結果として、難しくてよくわからなかったというのが正直なところ。
ただ、物語の流れに沿いながら、初めて言葉に対して考える機会を持つことが出来た。
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メチャクチャ面白かった。
『言葉』について書かれた短編集。なんというか、とても迫力のある小説でした。「言葉の力」はすごいなぁ、と思ってみたり。
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彼は本当に言葉使い師であり続けようとしている。
そう感じた。
神林長平の短篇集。
言葉とコミュニケーションが彼の中に自分が言葉使い師である上で重要な問題なのだろう。
素敵な、雪風のフェアリィ星を彷彿とさせるような章名と
言葉が手段として生命としてある今の世界と違うたくさんの世界を描いた物語たち。
言葉は力を持ち、力を与え、力を削がれ、人間をよく見てきた。
初めの章の
ワーカム(文章執筆支援ソフト)の危機は既に迫っている。
その時に私たちを襲うのはなにものだろうか。誰の意志なんだろうか。
この本を読んでない人がいたら無言で私は差し出したいくらい。
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その内に実現しそうな「ワーカム」を設定し、言語とは何か、思考とは、そして言語と人間の関係を問う作品。神林長平は、あたかも小説で試行するチョムスキーだ。また、ここではいくつもの文体上の実験も試みているが、それもSFの可能性を新たに拓いていくことになるだろう。言葉を用いて、言葉の本質を探る―その自己撞着を熟知しながらの試み。
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「フムンしたい!!」という強烈な欲求に耐えがたく、帰りに本屋に走った。連作短編集。1994年に刊行されているというのが信じ難い。約20年前…。今の方がずっと理解できる状況なんじゃないかしらと思ってしまった。<綺文>は本当に「私を生んだのは姉だった。」の一文で見事に崩壊する主人公の世界に驚き、<被援文>の「もともと、生きているということも妄想の一種にすぎないのではないか。」の一文に心から同意し、<跳文>はぞっとして、<栽培文>は美しかった。言葉使い師の小説、大好き。今後も全力でフムンしたくなるだろうなぁ…。
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近未来、意思をもったかのようなワープロとのやり取りをテーマにしたSF連作短編
ただ短編と割り切るにはつながりが深すぎ、長編とみたほうがいい
そう見ると全体の頂点は「栽培文」、そして本作が神林版の華氏451度だったのだと私は一度は納得したんだけど、その後も付け足しのような展開があって、何がなんだかわからなくなった
現実と虚構が入り組むさまはディックの世界
ただの言葉遊びのような面もある
こういう小説を読むと改めてSFというジャンルは何なんだろうと思ってしまう
クラークはSFだけどアシモフは人情物だと、私は思う
では神林さんの本作は?
よくわからない・・・