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1998年版
・韓国 道徳「志向」的な国
・人間関係の仕組み(図参照)
・<理>と<気>のしくみ
-理は道徳性、気は物質性
-理は垂直構造(上昇と下降のしくみ)、気は水平構造(癒し)
・二分法では韓国社会をとらえることは決してできない
-理と気は「不相雑かつ不相離」(分離しつつくっついている、混入しつつ離反している)
-日本人の韓国誤解はこのどちらかしか見ていないゆえ
・あこがれ/悲しみとしての<ハン(恨)>
・欧米が批判する「アジア的価値」=<偽理>の体系(理が利を掌握するための装置になっている:教師が父母から「寸志」を毎月巻き上げる)
・<理の歴史>=<あるべき歴史>=<ホントの歴史>=<仮想の道徳的歴史>
-法律論よりも「間違った歴史は正さねばならぬ」という<理の歴史の立て直し>の側面のほう方が国民により強く訴える
-連続性ではなく断絶性を強調する点が重要
・日本は<ノム(奴)>
-韓国は日本よりも上位者<ニム(主)>であるから、上位者の役目として、下位者=<ノム>の日本を教育してやらねばならない。
-理不尽な尊大ではなく、<理>の果たすべき使命を行使しているだけ
・日本人の韓国人に対する誤解の多くが、韓国人の<理気>的性格を知らないために生じるのと同じように、韓国人の日本人に対する誤解は、韓国人の<理気>的な視線によって他の文化を一方的に自文化中心的に眺めるところから生ずる
・「日本人は権威に弱い」「日本人には主体性がない」という認識は「日本人は<理>の担い手ではない=日本人は<ニム>ではなく<ノム>である」というドグマから直接に導き出される誤った命題である
・「日本人には情がない」のではなく、韓国型の社会構造によってつくられる韓国型の情がない。これを韓国人は理解しない。
・「反日感情」は<理>である。憎日・嫌日は<感情=気>だが、反日・蔑日は<理屈=理>である。
-「日本人に対して反抗心がないなんて、韓国人ではない」という理
-この究極の<理>が<ひとつの韓国><一枚岩のウリ>をかろうじてつくりあげてきた
-この<理>が<韓国人>という幻想共同体をつくり、その<理>に疑問をさしはさもうとする人間は「韓国人」という共同体から排除される
・日本の歴史観と韓国の歴史観
-日本は歴史を大切にしない国である。韓国人の多くはそう考えている
-なぜなら、日本は、過去を道徳志向的に再解釈し、それに基づき未来を当為的に創造しようという意志に欠けるから
-韓国は儒教的な意味で歴史を大切にしているにすぎない(過去を完膚なきまで道徳志向的に再構築し、春秋の筆法により毀誉褒貶に終始する)
-「植民地近代化論」に対する拒絶:「よしんばそれらがわが国の近代化を推進したとしても、それは日本が朝鮮のためにしたことではなく、あくまでも日本の利益のためにしたことだ」と反論する
-ここで歴史的事実はないがしろにされ、動機と道徳のみが問題にされ���いる
-韓国から見れば日本人は歴史を大切にしないが、日本から見れば韓国人もまた歴史を大切にしない
・日本人が韓国人を理解することは困難
-韓国の<理>を解した瞬間、日本人はその<理>によって一瞬に崩壊してしまう。なぜならそれは、日本人を否定する<理>であるから