紙の本
登山文学というよりは詩に近い
2011/07/26 13:50
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投稿者:登山文学というよりは詩のような - この投稿者のレビュー一覧を見る
「かくて、あこがれから、人生の大いなるよろこびが生まれる。
けれどもあこがれは、いつでも抱いていなければならない。
わたしは思い出よりもあこがれが好きだ。」
という一文からも読み取れるように、登山文学というよりは詩に
近いような美しい文章が散りばめられている。
このレビュファの見た世界を知りたい人には、
雑誌「Coyote (コヨーテ)」のNo.25 特集「モン・ブランへ」も
おすすめ。美しい山の写真が満載です。
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僕の手元にあるこの本は、1955年版の「星と嵐-六つの北壁登行-」だ。
1975年の第15刷となっているから、その頃購入したものです。
レビュファが「山のサンテグジュペリ」と言われた(訳者の近藤等さんの言葉)ように、詩のような文章でこの厳しい登攀の様子が語られています。
レビュファは単に「厳しい岩への挑戦」ではなく、
「峰頂の美しさも、大いなる空間の中の自由も、登攀のきびしい楽しみもふたたび見いだした自然との親密な関係も、ザイル仲間の友情がなければ、無味乾燥で、ときには失望するものになるだろう。感嘆と、献身と、ともに闘い、ともによろこびを分かち合うことから生まれる親密な友情がなければ。」
というような精神で行動していたようです。
1600mの高度差のアイガー北壁を登ったのが、1952年。僕が1歳の時です。困難な状況の中でこんなことを考えていたなんて、本当に素晴らしいクライマーの中のクライマーですね。
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自宅ソファーで読了(16/100)
こんな山行は決してしないだろうけど、さらに困難な山へ、、、ってのは分かるなあ。魔力な魅力。
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山岳紀行の名著、といわれる本書にようやくご対面。
足を置く場所をまちがえたら、
岩をつかむ指をすべらせたら、
すぐに死に直結する世界。
そんなギリギリの世界を、
なぜこんなに美しく描写できるのだろう。
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ここまでのクライミングに到達する人はひと握りの人達であるし、そのためこの本にある感覚を共感できる人も同様であると思う。
それでも一端の登山者として、この作者の言葉と、文章から想起される景色にはどうしようもない焦燥にも近い "あこがれ" を与えてもらいました。
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山岳文学の名著。20世紀中半のアルピニストの記録。山行は落石や雪崩、嵐、岩壁で不眠のビヴァークなど過酷でクライマーの命を次々に奪う。それでも登攀への絶対的な信頼と純粋な喜びと仲間を支えに作者は挑戦を続ける。仲間と分かち合う慎ましやかな食事の楽しさ。生きて帰る命の喜び。
グランド・ジョラス、ピッツ・バディレ、ドリュ、マッターホルン、ちま・グランデ・ディ・ラヴァレド、アイガーの北壁への挑戦と勝利の記録。
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ガストンムーブの生みの親こと、ガストン・レビュファの名著『星と嵐』を読みました。
長旅のお供に持っていったけど、結局帰国してからになっちゃったなぁ。
今回訪ねたアイガーにマッターホルンなどなどあの界隈の有名で難しい北壁6つの登攀記録をまとめた本。だからサブタイトルに6つの北壁登行と書いてある。
サブタイの方をタイトルにして欲しいと言われたらしいけど、レビュファは「星と嵐」にこだわったそう。北壁登攀というのは困難を伴うもの。壁の中で見る星空と突然の嵐、そういうものを愛していたんですね。
近藤さんの訳がだいぶ固い印象だったけど、言葉に随所に感じる詩的表現。その言葉の選び方だけで、愛に溢れたロマンチストな人だったのだろうなぁと思わせます。
壁の登攀を幻想的なバレエと書いてるの、好き。
絶妙なバランス感覚を維持して、身体の力全てで壁を表現してるんだよな。
どの北壁も登ることは容易くないけど、憧れは、ある。
憧れだけでは登れないけど、憧れがないと登れない。
思い出よりも憧れが好き。
というレビュファは、きっと常に次の山や壁のことに思いを馳せていたのだろう。
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この本の存在を知ったのは長谷川恒男の「岩壁よ おはよう」を読んだ時だ。彼が山岳会を辞め、山岳同人を立ち上げる時に本書から名前をとったのであった。レビュファの名前はクライミングのお手本として日本の山岳文学古典にはいくつも出てくるし、クライミングのテクニックの一つである「ガストン持ち」でも知ってはいた。さらに最近読んだモーリス・エルゾーグの「処女峰アンナプルナ」では陽気なキャラとして登場している。このような経緯で自分の中でレビュファの存在感が増していき、いよいよ本書を手に取った。
名クライマーの著作で、絶賛されている著書はどんなものか。期待と警戒をもって読み進めた。キャンプに持って行き、本書を読み始めた時、翻訳の堅苦しさに慣れないこともあって前書きで投げ捨ててしまった。妙に文学的過ぎたのだ。しかし、気を取り直して読み直してみると、その前書きの続きの一節でぐっと引き込まれた。「これと同じように、岩場だけの好きな人や、氷のコース、あるいは山稜や壁しか好きではない人もそうだ。山がたえず差し出してくれる数限りないよろこびをどれ一つとして拒絶してはならない。なに一つしりぞけないこと、なに一つ制限しないこと。渇望し、憧憬し、早く登る技術も、ゆっくり歩く術も身につけ、さらに静観もできるようになること。生きることだ!」なんということか。自分の価値観にぴったりはまるではないか。
本書はアルプスの6つの北壁の登攀の記録が綴られているが、著者の「山登り」あるいは山との向き合い方は上記の一節で一貫している。更に一緒に登る人との楽しみ、一緒に登る人の喜ぶ姿を見る楽しみが幾度も強調されていて、特に後半の登攀記は本当に楽しそうだ。本当に素晴らしいアルピニストだと思う。
憧れの山々、四季折々の山々、そこに至るトレイル・尾根・沢・壁、気心の知れた仲間。自分がやりたくてやってきた山を再認識させられた。