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新宿にはまったく縁がない。
なにしろ前に行ったのは2年ほど前だ。まともに目的の場所へ悩まずに行ったことがない。大都会だ。
しかもこの話はさらに縁がない西新宿の話ときている。人の生活の息吹なんてこれっぽっちもないと思ってた。
が、この話約30年前とはいえ、都会の谷間に普通の少年たちが、普通に暮らし、都会のアイテムを手玉にとって暮らしていることに驚きを覚えた。同時に銭湯、豆腐屋、駄菓子屋、空き地・・・当たり前のように懐かしいアイテムも出てくる。
そして一つ一つのエピソードが痛快だったり、大人に抗えない哀愁もあり、大人になりつつあるもやもやも抱えているいい少年小説だ。
少年が出てくる小説は時として面白いがちょっとせつないところがよい。
舞台となった新宿の30年前の航空写真と、googleマップで現在の同じ場所を比べてみた。現在は見事にビルだらけ。作中に登場した建物はほとんどなくなっていた。この作品のシンボル的な存在となっている柏木公園を地軸にして回りの景色が一転している気さえして愕然とした。
作中からあふれるせつなさはこういうことも要因のひとつだろうと思った。
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新宿が大好きな、西新宿在住の身として読ませて頂きました。
新宿だからという部分も多くあると思う一方、田舎でも同じような体験をしていたことを思い起こし、ぐっと感傷的な気持ちになる作品だと思います。
「侵略」という言葉を最後に使われておりましたが、私は良い意味で変化だと思っておりまして、そんな新宿の変化を毎日楽しんでいきたいともっております。
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玉袋 筋太郎こと赤江祐一少年が西新宿で近所の悪ガキどもと過ごした小学校5年生の1年間を描いた少年グラフティ。ワタシよりも7つも下だから赤江少年が5年生ならば私は高校に行っていた筈なのだが、西新宿にこんな風景が残っていたとは。これも重松清さんお得意のシチュエーションと言えば中々そのとおりなのだが、プロローグの飲んだくれた現代の玉袋筋太郎の叫びが物語全体を覆っている。自分の遊んだ風景が、友人たちの住んでいた家が、自分に何の断りもなく消えていることに対する怒り。冷静に考えれば、怒る立場ではないのだけれど、それでも湧いてくる怒り。「俺のあの景色は何処へ行ったんだ」これは、年齢を重ねれば誰でも何度か味わう思いなのではないだろうか。かっちゃんがインベーダーを撃退してくれていたら、風景は変わっていたかも知れないのに。
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著者より年下ですが、多摩地区ですごした 日々がページを進めるごとに思い出しました。
良い事か悪い事よりも、楽しい事か楽しくない事が価値基準だった日を思い出しました。
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水木先生の少年時代から50年位たった東京、新宿が舞台
主人公は赤江祐一=玉袋筋太郎とカッチャン、マルチン、タカシ、ヤスの5人組
オイラには懐かしい景色、想像できる景色
小説としてはそれほど面白くない
面白おかしく喋る玉ちゃんらしい文章だけど、事件のドキドキがちょっと弱い
もっと分かりやすいウソだけど、物語をつくちゃっても良かったんじゃなかろうか
あとがきで「あの部分はウソ」って書いても良いんだし
ただただ、あの頃の少年たちで終わってるのが残念
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子供に日記を書かせて、親が大人の知恵を入れたらこういう風になるのかな。期待して読んだだけにちょっと物足りない。