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【きっかけ】
ビジネスブックマラソン(Vol2535)での紹介。
Amazonを見てみたら、第四章に「貯蓄と蓄財は異なる概念」との見出しがあって、何が書いてあるか気になったので。
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新渡戸稲造の「修養」と「自警」を編集した本。今まさに自分は逆境にいると思っているので、心にくるものがあった。昔のひとだけれど、言っていることは今でも新しく聞こえる。徳という言葉を聞いたのは高校の古文依頼だけど、大人になった今こそ思い出すべき言葉だと感じた。
以下心にきたフレーズ
青年が学校にいる期間は最も大切な時で、習い性はこの時代の修練によると言ってもいい。
最も必要なことは、常に志を忘れないよう 心にかけて記憶することである。
一人の利益は万人の利益、
一人の苦しみは万人の苦しみ、
一人の喜びは万人の喜びと考えれば、
世界は美しい調和に達する。
普通の人間が不満とすることも、着眼点を変えれば、愉快の種とすることができる。
いわゆる逆境があるから、我々は他人に対し思いやりの心を持つことができる。もし毎日浮かれ騒いでおもしろおかしく人生を過ごすならば、どうして人に対する思いやりの心を持つことができよう。思いやりの心を持たない者がどうして人情の本当の味を知ることができるだろう。
逆境逆境と言って、逆境ながらにその境遇を利用しようとしない者が多い
罪を他人のせいにするのは知恵が少ないからである
自分で逆境をつくりながら、他人に逆境に陥れられたかのように社会を怨む人が多いのは、とても残念なことである。
窮地に陥り勢いのなくなった人は常に初心に帰るべし
他人を羨むということは心の狭さから起こるものであるから、そうならないためには心を広く持ち、他人に及ぼす善は自分にも善であると思うように努めることだ
自分の知っていることを他人に教え、自分の知らないことを他人から教わる。知識は他人に教えても減るものではなく、その交換は物品の交換と同じにお互いの利益になるものである
同僚が出世し自分が後れても、あるいは意見が異なり敵のように気にくわない相手であっても、その人間が日本の国の力となり、国の評判を高める者なら、喜んでその者に協力する気にもなるし、羨みの気持ちなど起きないであろう
金持ちが財産を失って点を怨むのは、金を重く見すぎた過ちである。名誉も同様で、世間からもてはやされた人が、なにかの理由で評判が落ちても、それが禍いと言えるだろうか
一事に上達すればそれが他事にも通ずるのである。
どんなに技量がある者でも、最初に立てた志を継続して行わなけれ
ば、そのことは決して成功しない
嫌味や皮肉に対して取るべき手段は、僕は自分の意思を身体で表現するしかないと思う。すなわち殴るとよい。
殴るというと野蛮に聞こえるが、これは相手を苦しめようとするのではなく、自分の決心を固めるのに最も有力だからである。
徳は失うおそれも妬まれるおそれもない。むしろ妬む人を教化する力がある
徳の貯蓄はそれを行おうという意思さえあれば誰にでもどこででもできる。職業の貴賎、筋力の有無、社会的地位の上下、身体の強弱に関係なくできるのだ。
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昔の5000円札の人、国連の事務総長になりかけた人、そんな認識しかなかったけれど、これを読むと博愛精神の強い人なのだと思う。考え方によって調子が変わる、現代売れているビジネス書に良くかかれていそうな事をこの時代に言われている。
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明治の教育者の言葉を有難く頂戴する。逆境に不平を言わず、順境におごることなく、まあ十年待て、という。決意は簡単であり、継続こそ難しい。大きなことを言わず、コツコツと継続せよ。
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新渡戸氏の「自警」「修養」の記載を纏めたもの。私心を持たず、大局的な視点を持てというのが彼の一番伝えたかったことであろう。これ程までの大局観を持てるかは疑問だが、目指すことは自分にも出来るはず。
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■逆境
1.自分の思い通りにならい時(逆境)には、天から授かった「運命」と、自分自身に原因がある「自業自得」の2種類がある。
2.逆境に陥った時、これを避けたり防いだりするこは悪い事ではない。だが、僕はむしろこれを善用することを勧める。つまり、逆境そのものを、精神の修養に役立てるのである。
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新渡戸稲造の名著『修養』『自警』から、苦難の時をいかに生きるか、困難をいかに克服するか、に焦点を絞り再編集。原著はおよそ100年前のものだが色褪せない。
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■全体として何に関する本か
本書は新渡戸稲造氏が、1908年から1912年までの間、雑誌「実業之日本」の中で、働く青年向けに連載していたものを纏めて本にしたものである。本書が現代語訳され再度出版されることになったのは、東日本大震災という危機を多くの若者達に乗り越えて欲しいという願いによるものである。熱心な教育者として知られ、当時の国際連盟の事務局長まで務めた新渡戸稲造氏が、どういう考えの持ち主だったのかを知るのに適した一冊である。
■何がどのように詳しく述べられているか
本書は「人が逆境に立たされたとき、どのようにして乗り越えてゆくべきか」について書かれており、大きく分けて「①キリスト教の考え」と「②逆境の善用」の2つの方法がある。
①キリスト教の考え
氏は熱心なキリスト教徒であったため、本書にはキリスト教の話が多く登場する。「天は人間をひどい目に合わせるものではない」という考えに基づいて、今の状況を逆境と感じていたとしても、それが永遠に続くものではないので、順境が来るのを信じて耐えるべきであるという考えである。
②逆境の善用
逆境は避けるだけではなく、むしろこれを善用することを氏は勧めている。逆境を精神の修養に役立てるのである。身をつねってこそ人の痛さを知れというように、逆境に陥りそれがどういうものか知った者でなければ、本当の人情を知ることはできない。氏によれば「武士はもののあわれを知るといい、これを知らない者は本当の武士ではない」という。
■その本は全体として真実か、どんな意義があるのか
本書の考え方は現代を生きる若者にとっても、非常に参考となる素晴らしい考え方であり、今から100年も前に書かれたことには驚く。しかし、私自身は本書の考え方はある程度身についていると感じている。
実は私は、昨年の8月に少々無理をしたため、体調を崩してしまったことがある。仕事は何とかやり抜いたが、しばらく他のことは何もできず、気力さえ失っており、正に逆境そのものであったが、幸いにも乗り越えることができた。私が乗り越えることができたのは、ただ、この逆境が続くはずが無いという希望を持つことができたからである。
私自身、この逆境から本当に多くの事を学んだ。それまでほとんど病気というものをしたことがなかったため、病人や弱者の苦しみがあまり理解できなかったが、この出来事を切欠に大きく変わった。以来、自分の仲間や大切な人には、無理だけはしてほしくないと思うようになり、自分に関しても健康管理を大切な仕事と位置づけて日々を過ごすようになった。また、人生が有限だという事を病気によって強く自覚することができ、以前より人生に燃えられるようになったと感じている。あの出来事は私にとってはとんでもなく厄介な逆境であったが、今となれば得たものの方が多かったと考えている。本書を読みながら、ちょうど1年前の私に起きた逆境を思い起こしていた。
本書の考え方には大いに賛成できるのだが、今まさに逆境にいる者にとって、氏の言葉が伝わるのかは疑問である。仮に昨年の私が本書を手にしたとしても、氏の崇高な考えを受け入れることはできなかったであろう。本当の逆境にいる者に「ポジティブに考えたらいい」や「逆境を活かせばいい」と言ったところで、とても受け入れられるものではない。心に傷を負えば癒す時間が必要であるし、最終的には、本人の気力で乗り越えるしかないというのが私の考えである。もちろん、周囲の人達のフォローや愛情などは、本人が気力を取り戻すためには役立つが、これらは本などの媒体で補えるものではないと考える。本書は、今、逆境にいる者には、考えが崇高すぎて受け入れられないかもしれない。
■一番面白かったのはどこか、なぜ自分は面白かったのか
本書で、徳川家康の遺訓「人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくがごとし」が引用されている。氏の解釈によると、「重荷を負うことは大きな苦しみである。それも一時だけ背負うなら大概の人にはできるだろうが、重荷を背負ったまま遠くまで行くことはとても苦しいことだ」としている。
多くの若者が夢ややりたいことに燃える瞬間があるであろう。誰でも、そのための重荷を一時だけは全力で背負うことができる。しかし、その重荷を背負ったまま遠くまで歩み続けることができるのは、ほんの一握りの人達だけなのであろう。その一握りの人達が逆境を越えて、自分の終着点までたどり着くことができるのだ。私自身も逆境を一時は乗り越えることができたが、今後も数多くの逆境に出くわすことは避けられないであろう。逆境を過度に恐れる必要は無い。どんな逆境に陥ったとしても、決して重荷を放棄することなく、歩み続けていきたいと強く思う。
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100年前に書かれた新渡戸稲造先生の「修養」、「自警」。
困難や苦しみがあっても、心の持ち方によって乗り越えてゆく方法が書かれてあります。新渡戸稲造先生の本を読むといつも元気と勇気をいただきます。
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およそ100年前に生きた人の言葉であるにも関わらず、全ての言葉は今の時代のためにあるような新鮮さを感じます。ページをめくるたびに、多くの言葉が僕の心にグサグサと刺さりました。いつの時代も生き方の原則は変わらないんでしょう。
境遇の善用
継続
常に志を忘れない
今日命があるように明日も命がある
傲慢にならない
これらを特に意識したいと思いました。
今回、同時に「修養」と「自警録」買ったので、時間を見つけて読んでいきたいと思います。
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新渡戸稲造氏は、1862年(文久二年)生まれ。1933年に71歳で生涯の幕を閉じている。そんな人生の約3分の2を過ごした時点で、過去を振り返り「人間としての生き方はどうあるべきか」について、氏が感ずるところを著した。本書は彼の人生観そのものだ。
さて、そんな氏が書いた本書だが、タイトルは「逆境を越えてゆく者へ」。ここからも想像できるように「逆境を乗り越えてゆくことこそが、人間の成長に欠かせない・・・いや、生きることそのものなんだよ」というストレートなメッセージが伝わってくる。文中、何度も「善用」といった言葉が登場するが、これは逆境(ネガティブな状況)を順境(ポジティブな状況)に変える・・・今風に言えば、ポジティブシンキングのことだ。そう・・・本書は、新渡戸稲造氏が身につけたポジティブシンキング術がいっぱいに詰まった本・・・とも言える。
出版社によれば、本書は1911年に刊行された「修養」と、1916年に刊行された「自警」・・・当時のベストセラーを基に出版社が編纂した本だ、とのこと。
いずれにしても、今から1世紀以上も前に書かれたモノである。当時は日本が軍国主義に突き進んだ時代。今の思想と全く違う世の中・・・というイメージが先行するが、その時に書かれた本が果たして、今の我々の心にどう響くのか、素直に興味がわく。
読んでみてわかったのは、実は書いてある多くが「アタリマエ」であるということだ。「アタリマエ」というと響きが悪いが、誤解しないで欲しい。いい意味で「アタリマエ」ということだ。最近は、メディアが発達したおかげで、それこそ世界中の成功者が語る”生きるヒント”を、日々、目や耳にする。が、実は、そのほとんどは新渡戸氏の指摘と重なっている・・・という印象を持った。
例えば、「一事に通じれば万事に適用できる」という新渡戸氏の体験談は、スティーブ・ジョブズが、カリグラフィーを極めた話にも似ているし、「日本人には、(来年の話をすると鬼が笑うという諺もあるように)個人として長期計画を立てて実行する者は少ないが、そうすべきだ」という指摘は、今やどの自己啓発本にも取り上げられるような話だ。
現代において「アタリマエと感じること」が書かれている・・・ということは、それだけ新渡戸稲造氏の本が本質をついているという証拠でもある。ゆえに、この本の一言一句に、重みを感じ、その全てを自分の中に取り込みたいという気にさせられるのである。
(書評全文はこちら→ http://ryosuke-katsumata.blogspot.jp/2012/09/blog-post_5714.html)
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新渡戸稲造の作品から抽出された評論集のようなもの。
徹頭徹尾、自分が物事に対してどう向き合うか、という姿勢に貫かれている。
そういえば銀座教会に新渡戸稲造直筆の額が飾られていたのを思い出した。
"Be just and fear not"(静を守って恐れることなかれ)
逆境にあるのは神が自分を見捨てていない証拠である、
というのは逆説的だが卓見だと思う。
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「人の幸不幸は、その人の心の内にある」境遇の順逆は、心がけ一つでいかようにでもなる。逆境にあっても心がけ一つで一条の光明が発見出来る。その通り!!
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全力で努力する人は、遅かれ早かれ逆境から浮かび上がる。
牛のように遅くてもいいから一歩一歩と進み続ければ、やがて千里の遠きに淘汰することができる。磯雄がう、休まず
最も必要なことは、常に志を忘れないよう心にかけて、記憶すること。
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武士道等を著した明治の人、新渡戸稲造の語録集。
意外にも新渡戸稲造はキリスト教を信仰していていた。
しかし持っている人格は何とも明治の人格者らしい。
本書は逆境に陥った人を温かく励まし、順境の人を戒めるような内容で、苦しいなと思ったときに紐解くと良いかなと思った。
いいなと思ったこと
逆境に陥ったときはヤケになるのではなく、さてこの先は。。とつま先立ちで先を見てみる。
決心を継続させるにはここだなという感覚を大切にする。