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熱が、尋常じゃない。大好きなものを語るのに、大好きすぎるがゆえにかえって努めて落ち着いて話しているかのような、それとも、本の楽しみを知り尽くし誘いこむような、蠱惑的な文章。それは、幼い頃から身につけてきていたらしい「無意識下での本との距離の取り方」を意識させるくらいにこちらの心にどんどん踏み込んでくるのだった。この熱に浮かされて一気に読むのも最高だと思うのだけど、深呼吸しながら時間をかけて拾い読み。読みたい本、読み返したい本も増える。本棚に置いて、好きなときに手に取れるのが幸福な、読書人生の友人のような本。
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私にとってこの本は難しすぎる。。。
どこかの情報で、この本を読書を始める前に読むと良いと
書いてあったのだが、それはない。
この本は、著者が今まで読んだ本をどのように消化してきたかとうことを
つらつらと書き記したものであるが、読んでいる本に共通点がないと
見ていて苦痛になると思う。実際に、私も共感できる点がわからず、
結構苦痛であった。この本は、まだ私には早いと思わされてしまった。
読書をある程度して、読書の意義を問いただそうとする人は、この本を
読むといいだろう。
間違っても私のような、文学のほとんどに触れたことがないような人間は
読まないほうが良い。
5年後、10年後まで読書の習慣を続けていたら、再度読んでみたいと思う。
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雑多な紙誌に書かれた雑多なテーマの雑多な形式の文章が、目次も章立てもなく収められた不思議な本。全体として、本を読むという行為の深い意味を問いつづけている。これほど教養も読書量も文章力もある著者から、タイトルのようなことを一言いってもらえると、僕のような忘れっぽい人間は安心するものだ。最後の、本を水と海に譬えた文章はどこかに貼ってときどき読み返そう。
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タイトルの持つタフさに惹かれて読んだ本。
巻頭に同タイトルの評論が収録されており、たたみかけるように、渦を巻くように結論に向かって流れていく文章の迫力に圧倒されます。
ただ、その他の寄稿は、割と難解。
「読めないもの」としていますが、著者が古今東西様々の本を読み、血と肉にしていることが文章から伺えます。
読書でもっともあからさまに問われる能力は、結局記憶力だという持論。
さまざまな文学者が、これまで読んできた本の内容を忘れてしまうことを嘆いています。
誰もが一緒なのですから、これは仕方がないことだと割り切るしかないのでしょう。
「積ん読」タイプの人にとっても、勇気ある一言となっています。
タイトルにはビックリしましたが、"本に「冊」という単位はない。とりあえず、これを読書の原則の第一条とする。"という更に踏み込んだ持論にも驚きました。
内容は全て、読者の中に蓄積され、連結され、続いていくため、テクストという単位でとらえるべきだとしています。
レヴィ=ストロースは「一冊の本を書くために七千冊の本に目を通す」と言っていたとのこと。
文学系からすれば驚きの読書量ですが、おそらく人類学的には、目を通すといったら、本当にチェックする程度を意味するのでしょう。
さまざまな雑誌の寄稿集で、どれも一見共通性のない、ばらばらの内容のように思えますが、全編を通じて浮かび上がってくるのは、読むことと書くことと生きることの相関関係。
世界を眺める著者独特の切り口が斬新です。
著者が詩人であるため、その独特の言葉の世界に引きずられ、幻惑されがち。
言葉のひねりは芸術的な美しさですが、ストレートには伝わらず、相当ひねりが効いているため、読むのに頭を使います。
もう少し直接的な文章だと、もっとダイレクトに心に響きそうに思いますが、やはり修辞的表現を駆使してこその詩人。
最近、やわらかくやさしい文章ばかり読み、言葉の冒険をしていない自分に気がつきました。
タイトルのイメージに反して、かなり文学的知識や素養を必要とする内容。
多少難しかったものの、詩人独特の文章からにじみ出る緻密な感性を、おもしろくたどりました。
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本は読めないものだから心配するな。あらゆる読書論の真実は、これにつきるんじゃないだろうか。
文を読むことで心を方向付け集合的な自己解放を行ってきた、少なくとも試みてきたのが人間の社会だと思うと、子供たちに文を読ませることの必要をきちんと主張するのは人文学に携わる者の仕事の、避けてはならない一部なのだろう。文の追求は結局は一国語の境界内に留まるものではない。
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国際ブックフェア2015にて柴崎友香さんが紹介されていた本。
詩人でもある著者。
キラキラと太陽の光を
水面に煌めかせながら、
サラサラ流れるせせらぎような
言葉の運び。
読んでいて、
気持ちがいい。
その流れに足を浸るような気持ちよさ。
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タイトルから読書本かなぁと思ったんだけど違う。
本は1冊1冊で完結せず、読み手の意識のある限り永遠に続く。
読む時々で理解できることは変わり、本の中身は変化する。
詩のように波のようにうねるように続く文章は美麗だが、確かにこの本、3回くらい読まないと意味が理解できない。1回目はきれいな文章に流され、気づいたら何を読んだかわからないページにたどり着いている。2回目はなるほどこういうことが書いてあるのかと思いつつ、その山を越えると同じようにページが飛ばされる。
いつか旅先に持って行って、この本だけで旅を過ごしてみたいものだ。
なお、本が読めない人向けの読書本ではないので注意。
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タイトルの潔さに惹かれて手に取った本。読む前は、本を読むのが苦手な人向けの読書指南か何かかなと思ったけど、内容は全く違いました。著者の本業が詩人ということもあり、著者の主張は説教じみてはおらず、独特な表現で綴られています。
著者によると、本とは、それ一冊で完結するものではない。ある本を読むということは、他の本とつながり、読みとった内容が自分の中で反響して、そこからさらに広がっていくということ。
だから、本を読んで得た内容を頭の中に留めておく必要はない。著者の表現を借りれば「読書の内容が水なら、それを共有場である海に流してやると良い。流量を誇ったり、人と比べたりする必要もない。水が作り変える環境を生きた相で捉え、水系の生存に役立てると良い」ということになります。
ここから更に発展させ、著者は読書の目的は内容の記憶ではなく、「その時の本との接合面に生じた一回きりの喜びを、これからやってくる未来の別の喜びへとつなげていくこと」としています。著者が、本を読むことを通じて世界を広げ、知らないことを知り、想像力を膨らませることを愛しているんだな、というのが分かる部分です。
これ以外に共感したのが、著者にとっての「新書」という種類の本の考え方。著者の言葉も借りつつ自分なりに解釈すると、「新書は森となり、それを伝ってネットワークを作ることができる。一冊から他の世界へとつながっていく。新書は、教養を培うのに適している。なぜなら、教養とはその時、その場にないものをどれだけ豊かに呼び覚ますことができるか、また人が見落としがちな隠された連環をどれだけ細心に見抜くことができるかにかかっているものであって、新書はそうした他の世界とのつながりを得るための出発点であり、分岐点となれるものだからである」ということになります。
新書を単なる導入書、入門書という位置づけで捉えるのではなく、そこから更に世界を広げていける道標として使うという点、自分自身の新書感と合致しました。知識と教養が広がるかどうかは、ひとえに読み手の努力次第。
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詩人で比較文学者の著者による文学、言語、旅に関する随想を集めたもの。書評も多く、読むと手に取りたくなる。▼文学や言語に対する考え方にハッとする。▼「あらゆる芸術作品は、映画であれ、本であれ、絵画であれ、音楽であれ、ヒトを別の時間の中に招き入れ、その人のふだんの生活を中断させ、宙づりにし、忘却させることに、根本的な秘密がある。そのうえで作品を通じて時間の別のステージが垣間見えるとき、我々はそれを希望として感知する(p164)。」このことは、旅先で覚える解放感にもつながっているように覚える。(私の場合は音楽で解放感を感じることが多い)▼「翻訳=世界=文学」。言語それ自体が、その本質そのものにおいて、すでに翻訳だからだ(オクタビオ・パス)。 あらゆる話は、「解釈」を、「翻訳」を必要とする。文学とは「解放」である。
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自分としては、読みにくい文体。なんというか生理に欠ける印象。
以下引用
作家という存在は、本質的にスローな読者である場合が多いのではないだろうか。評論家はある程度、量で勝負する必要がある。したがってたくさん読む。
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B&Bで購入。
つい最近、何かほかのもので「本は読めないものだから心配するな」というこの一文が紹介されていて、B&Bの書棚で背表紙を見た途端に「あ!」と思ったのだ。
いちおう読み終えたことにしているけれど、そばに置いて気が向いたら手にとってひろい読みしたい本。
こういう本に出会えてよかったなぁと本当に思える一冊。
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借り物。最初は装飾的な文に戸惑い、読みにくく感じたが、慣れてくると文の美しさが心地よく感じるように。タイトルに励まされる。何度も読み直したい本なので、購入した。
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読むのにかなり時間がかかった一冊。
時間がかかった理由は二つ。ひとつは、本から本へ旅してゆく著者の感性が独特で、それをしっかり味わいたいために、読み終えたエッセーをもう一度読むことがあったから。そして、もうひとつは、その独特な感性はさらっと読むことでは理解できなくて、行きつ戻りつしなければいけなかったから。
この独特な感性は本のスタイルにも表出していて、例えば目次がないとか、見開きの左ページ上部隅に本文中のキーセンテンスを抜き書きしているとか。
こんな雰囲気のあるエッセーを読み終えた感想は、まさにこの本のタイトルに押されたかのような「もっと本が読みたい」というもの。
ハードルが少し高い本ではあるけれど、手元に置いておいていつか再読したい。
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本は読めないものだから心配するな。あらゆる読書論の真実はこれにつきるんじゃないだろうか。話題の書評集が新装版に。(e-honより)
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この本と出会ったことは、ぼくの中の読書観を変えた。ぼくはそれまでせっせと貧乏性を発揮して読むことで何かを得ること、血肉化することを目論んでいたのだと思う。だけど肝心なのはその「本を読むこと」と「生きること」を渾然一体と成して、いわばぼく自身が(相当にこむずかしい、カッコつけたレトリックを駆使してしまうが)流動体となって世界に参加することなのだと思う。そう捉えていくとこの本を読むことは新しい生き方や在り方を見出すことにもつながるのではないか。とりわけ(精神面において)若い人にこそ薦めうる啓発書だと受け取った