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大阪で起きた男子中学3年虐待事件のルポ。衰弱して歩けなくなっても、仕事から帰ってきた父親の前に親子であることを証明しろ、と毎晩訴えていたという。親子の絆とは・・・。命をひきかえにしても、親に求めていたものは。重すぎる内容。
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義母と実父により軟禁され、餓死寸前まで追い込まれた15歳の少年。俗に言う「岸和田事件」の裁判過程、児童相談所や少年が通っていた学校や義母の生育環境についてつづられている。
15歳なのに何故逃げなかったのか(実際に何回か家出はしていて弟は祖父母の家に引き取られている)、義母の完ぺき主義で強迫神経症的な性格、実父の無責任ぶりなど当時ニュースで見ていただけじゃわからなかったそれぞれの(子供たちも含む)問題点が理解できた。
こういうルポルタージュを読んで切なくなるのは事件から教訓を得て社会的な認知度や法整備が整っていっても被害児童個人の幸福にどれほど還元されるのかというどうしようもない疑問が湧くから。
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新聞で事件を読んでいたときよりは鬼母というイメージはなくなった。
愛し方が間違っていたのだと悲しくなった。
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P213 より引用
家賃と水道料金は合わせて8万7千円。これは海野の親が補填して・・・。
電気・ガス・携帯の公共料金・食費・日用雑貨・子供にかかる費用・その他で17~18万渡されていた。
これで、生活がなぜ苦しいのか?私立中学に行ってるわけでもなし。
著者は加害者を応援している。言い訳に取材できなかった方々がいるという事を書いてるけれど、こんな悲惨な事件で起こした女の何を庇う必要があるのか。
鬼母が愛情に飢え、自己否定が強いというのは分かるし、虐待が連鎖するというのもよく言われている事だが、ほとんど3ヶ月食べさせずビニールシートに寝かせているという事の異常さの言い訳にはならない。
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岸和田事件のルポ
被害男児の側の声が聞けず犯人寄りの一方的な内容に終始。
だけども、犯人の自分勝手な思考を捉えてるという意味で興味深い。
腹がたって仕方ないけど、、、。
15歳にもなる少年がなぜ逃げられなかったのか?
私は連れ戻された時の恐怖感が足留めとなった可能性が一番大きいと思う。
弟のように母親のもとに行けなかった事で考えられるのは
虐待児は自分の存在を否定することが怖くて、親に愛されてはいない状況を
どこかによけて、愛着を求めようとするのではないだろうか?
自己肯定力を、小さいうちにつけてなければ、例え自分に害をなす相手にでも迎合してしまう例はいくらでもある。
自分達兄弟を捨てたと聞かされて育った母親に対し恐怖心もあったのかもしれない。
育ててくれた祖父母でさえ、泊まりは許しても、引き取ってくれるとは言って貰えない自分達の存在を行き場所がない、
もし母親にまで拒否されたら?と、いう恐怖感があったのではないかと想像する。
終わりに別件の虐待事件のその後のルポがあったが
第三者的に見れば、児相の対応は間違ってないと思う。
虐待母に欠けてるのは、冷静な判断。
『間違った愛情』で、と、言えば聞こえはいいが、
間違った愛情なんて存在しない。
愛情とは相手をおもんばかれること。
対象を自分の思い通りにさせようとする行為を『間違った愛情』なんて美しく表現してるうちは、虐待なんてなくならない。
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岸和田で、中学生の男の子が餓死寸前で助けられた虐待事件。ふとそれを思い出し、そんなひどい目に遭わされて逃げ出せなかったその詳細が知りたくなり、手にした。
ブクログのレビューを見ると、やはりこの事件の凄惨さに、表面だけを見て親を断罪しているだけなのが気になる。世間がこうだから虐待がなくならないという一面もあることはやはり知られていないな、とレビューをみても実感する。
虐待自体は決して許されないことだし、被害者となった子どもには、その苛酷さを思えば本当にやりきれない思いしかない。そしてもちろん、罪を犯してしまった親は、自分の罪にしっかりと向き合い、その償いをしなければならない。そのことには何の異論もないが、虐待をしてしまう親が、その多くが親として未熟で、未熟なまま親になってしまったその背景に、その親自身に安定した成育環境がなかった、本来子どもとして得られるべき安心や安全、愛情を受けられずに育ってきた、という状況があることは、考慮されなければならない。そしてそういう状況に置かれる子どもが存在することは、間違いなく社会の責任だ。
この岸和田の事件で加害者となった実父、義母は、やはりどちらも親として未熟だった。未熟がゆえに、周囲の援助が本当は必要だったのだが、SOSに気づいてもらえなかった。SOSの出し方もよくわかっていなかった。
その結果が、一番弱いところへ現れてしまったという悲劇だ。命こそギリギリ助かったものの、今後の彼の人生を思うと言葉がない。
文庫本版は、何といっても文庫化に際して追加された書下ろしが秀逸。
是非とも、学校や行政、児相などで児童にかかわる仕事をしている人には読んでもらいたい。石川医師や徳岡教授の言葉は重い。私自身、心がけてはいるが、組織の中にいると、つい組織としての業務に流される対応になってしまうことがあり、大いに反省した。
その中でもとても気になったのは、例として挙がっている件の児相の対応だ。知見の浅い私から見ても、そのまずさが際立つように思う。ただその当時としてはそれが普通だったのかなとも思える。その後の法律の改正等を経て、児相の対応は変化しているはずなので、私が知っている対応方法が一般的になる前の話なのかも。そうだとしたら、少しはマシになっているということだろうか。