投稿元:
レビューを見る
「民意」が、いかにして偽装されるか、についての労作。
筆者の問題意識を、はじめに、から抜粋すると、
原発に限らない。この国では近年、依然と比べて「民意」が重視される傾向が強まってはいて、それはそれで民主主義社会としては歓迎すべきことではあるものの、どこか釈然としない感覚を、私は抱き続けてきた。そもそも民意とは何なのか。実態があるのか。どれほどの情報操作がなされていようと、最終的な判断が一人ひとりに委ねられてはいる以上、長いものに巻かれた挙句の果てといえども、それはそれで自律的に服従を選んだ末の「民意」と表現されるべきものではないのか、など。
扱っているテーマは、
第1章・第2章では、「つくられた原子力神話」。
原子力政策を進めるために、どのような「民意」操作が行われたか。
第3章では、「国策PR」。
国策PRのために、莫大な国家予算が使用され、それがマスコミの利権となり、国策の都合に沿った報道のされ方をするのか。
第4章では、「事業仕分けの思想」。
発想そのものは悪くなくても、それが単なるメデイア・パフォーマンス堕するだけで、浮かせた財源で何をどうしたいのか、思想が無かったことを浮き彫りに。
第5章では、「道路とNPO」。
NPOが行政の下請けとして、いかに使われ、使い捨てられていくかを見ていくとともに、NPOの目指すべき方向性についての提言。
第6章では、「五輪招致という虚妄」。
石原都政が、五輪招致のために行った「民意」偽装の方法と顛末について。
第7章では、「仕組まれる選挙」。
千葉県知事森田の嘘と開き直り、鹿児島県阿久根市長選挙の混乱を例に、選挙がただのプロパガンダ戦に堕する現状分析。
第8章では、「捕鯨国ニッポンの登場」。
国際会議での論じられ方や反捕鯨団体の活動手法、国内世論が高まらない理由や日本外交の問題点など。
日本における「民意」の形成に、うそ臭さを感じ、その全体像を捉えたかった人におススメ。
この先どうしたらいいの?という不安に対して、行動のための手がかりを掴める本でもある。
投稿元:
レビューを見る
今、日本ではなにも考えなくても
生きていけるような気がしてしまう。
でも、
少し考えると
「生かされている」自分に気がつき
愕然としてしまうことが多々ある。
むろんテレビの情報などではなく
新聞だけの情報でもなく、雑誌からの情報でもなく
自分の「頭」で考えることが
どれほど 難しく なってしまったことだろう
日本の民度の低さに嘆いている方に
ぜひ お薦めしたい 一冊です
投稿元:
レビューを見る
日本が民主主義の国だと言えるのだろうか。
全ては、お金の力でなんとでもできる・・・恐ろしいなと思います。
マスコミと電通に代表される広告代理店。彼らが自分達のいいように民意をつくり出している、本当だったのだなと。
(著者の言葉)
この国には政府や巨大資本の意向がまずあって、いわゆる民意はそれらに都合良く誘導されていることが義務づけられているものではないかと思われる・・・
単に情報操作というのとは異なっている。もっと深いところで、莫大なお金が使われ、マスメディアだけでなく、社会のあらゆるメカニズムが動員されて--。
投稿元:
レビューを見る
原子力発電や政治、捕鯨、五輪招致など民意を無視しては本来決定できないこと、経済界がどのようにコントロールして捻じ曲げてきたがよくわかる。
問題は政治家や官僚にのみ帰することはできないことがよくわかる。
それにしてもこの本のもととなった連載は福島の原発事故以前なんですね。
民意がつくられるから、周りのひとと日本の将来について話をしないといけないことがよくわかる。
はでな活動はいらない。しかし だれでも気軽にちょっと意見を言い合う文化をいまからでもつれるのだろうか。ちょっと人と
違うことを言うと煙たがれるというのはまずいのではないだろうか。
この国の将来は全くもって危ういことがこの本からよくわかる。
投稿元:
レビューを見る
「ゼロリスク・ハイリターン」「既得権益」を死守するための、民意誘導、データの恣意的利用、嘘の上塗り。わかっていたつもりでも背筋が寒くなる。身辺に鑑みても意思決定に至るプロセスの不透明さや根回し文化が健全な問題解決を阻害する主要因かと思う。
投稿元:
レビューを見る
第4の権力ともいわれ、政府を監視する役割を担うはずのマスコミが、単なる政府の窓口と成り下がってしまっている現状。この広告不況下におけるマスコミの、企業としての生き残りのためかもしれないが、最後まで守るべき魂まで売ってしまっては情けない。
核廃棄物の地層処分の是非を問う(という体の)NUMOのテレビCMや新聞広告は何年か前に見た覚えがある。言いようのない違和感を感じたのを覚えている。
地層処理を推進する団体がその是非を世に問い、結論ありきの議論をあおるというシナリオは改めて活字で読むとうすら寒いものを感じる。
政府ももマスコミも、もはや構造からして腐っている。そう思わないではいられないルポだった。
結局、何を信ずればいいのか。多数派の意見だって「つくられた民意」かもしれない。時代の雰囲気に流されずに自分の直感を大事にしたいと思う。
投稿元:
レビューを見る
つくられた原子力神話1、同2、国策PR、事業仕分けの思想、道路とNPO、2016年東京五輪招致、仕組まれる選挙、捕鯨国ニッポンの登場。
元福島県知事佐藤栄佐久氏のくだりが、どこか他の本でも読んだ話になる。全国地方新聞社連合会は、なんということをしたのだろう。巨大広告会社は、やることが大きい。
生きるために何かを成すか、なにがほんとうか。
2011年に、ぽぽぽぽーんの連呼で話題になった公共広告機構の話もあります。道路とNPOの話は、勉強になりました。
あとがきに書かれているとおり、「要するに、よほど賢くならないと、生きていけない時代なのである。」
新聞、テレビやネットの情報だけではなく、書籍を読んで自分で考えて行動することが大切だと改めて学びました。
投稿元:
レビューを見る
ここ数年で「民意」という言葉を目や耳にする機会が増えたような気がするのは気のせいだろうか。ミンイ、ミンイ、ミーン、ミーン、ミーンとまるでミンミンゼミの鳴き声に聞こえてくる。
そんな「民意」は、水戸黄門の印籠のごとく威力があると思っているらしく、マスコミ、政治家や広告代理店が乱用している。民意にもシナリオライターがいて、自分たちにとって都合の良いようにしようという意図が見え見えだ。
世論調査というのは謎がある。そもそも固定電話を持っている人を対象にしているだけに、どれだけの人の意見を反映しているのか。インターネットでの調査をテレビ局が取り上げたがらないのは、ネットアレルギーがあるせいか。
特に選挙前なので読んでおきたいのは、第7章「仕組まれる選挙」だ。それと、第6章「五輪招致という虚妄」だ。選挙報道にも各局の思惑があり、オリンピック招致にも利権が絡んでいるだけに、広告代理店を活用して、何とか関心を持ってもらおうとしている。2020年のオリンピックには、親日国のトルコが立候補しているのだから譲ったらと思う。その代りに、代替エネルギー施設や、老朽化している高速道路などのインフラ整備に資金を使った方がいいのに。
この本は、2011年7月に発売されたものだが、よくこんな本をかけたなあと思った。下手をすると、「不都合な真実」がちりばめられているだけに、いろいろなところから嫌がらせをされるのだろうなあという内容の本だ。
それにしても「民意偽装」とは恐れ入った。情報を受け取る側としては、どの情報が正しくてどれがウソなのか分からないだけに、今回の選挙はどこに入れようか迷うなあ。
投稿元:
レビューを見る
昨日、この著者の別の本を探しに書店に寄ったのだけれど
見つからず、かわりに手にしたのが本書だった…
近頃…よく耳にする『民意』…という言葉…
まさに、このタイトルが気になり読んでみたのだ。
そもそも、なにかを考えるとき、それを形成するための
情報は欠かせない…それは、何によるかといえば、
新聞・テレビ…などのメディアによってだろう。ならば、
メディアを操作すれば『民意』は掌握できるのか?
…そんなことを知りたくて、読みすすめた…
これは、東日本大震災以前に岩波書店『世界』で
連載されたものを、震災以降にまとめ直したもの…
露呈した様々なことは、すでに指摘されていたことだった。
本書は、原発のことのみならず、事業仕分けの報じられ方、
NPO法人の実態、五輪招致のありさま…などなど、
多くの領域に踏み込んでゆく…しかし、著者の中に
膨らんでゆくのは、釈然としない感覚だ。
―取材を重ねれば重ねるほど、考え込むことばかり
増えていく仕事だった。民主主義の建前など欠片さえも
残っているのかどうか。
そして、著者は云う…これは、まさに叫びだ!
―今度こそ私たちは、権力への服従が“大人の態度”である、
望ましい姿勢だとされている生活様式からの脱却を
目指さなければならない。原発を推進した側の暴走を
批判するのは当然だが、彼らの思惑だけでは
何ひとつできるはずがないのも、また真実であるからだ。
…原発に限らない。要するに、よほど賢くならないと、
生きていけない時代なのである。
であるならば、ボクらは、メディアにたよらず、
より多く、より広く、より深く、より正しく…知ろうと、
し続けなければならないだろう…本とインターネットの
有用性を、ことさらに強く感じられるようになった一冊だ。
投稿元:
レビューを見る
「国策プロパガンダ」を生み出すメカニズムを明らかにしようとしているが、全体に著者の迷いが見え隠れする。拠って立つリベラリズムやデモクラシーへの懐疑を十分にはつきつめられていないように感じた。だから竹原信一が「この国の真実の一面を確実に突」いたなどという奇妙な評価が生じる。
投稿元:
レビューを見る
なかなか一筋縄ではいかない。マスコミ、広告代理店による情報操作、世論操作を指差して非難するのは容易いが、そして本書にもそうした意図が色濃く見られることは否定しないが、ページを読み進むうちに著者が、そのさらに奥にある、なんとも形容し難い景色の前に立ちすくんでいるように思えてくる。著者はあえてその疑問に触れることはしないが、それは究極には「操作・捏造されることのない自然体の民意などというものが果たして存在するのか」という問いを立てることなしには切り開くことのできない、霧のような茫洋たる風景だ。
あとがきで本書で取り組みたかったテーマとされた「消費税」「新型インフルエンザ」「スポーツとエンタテイメント」「いわゆるB層問題」そして「インターネット・メディア」等々は興味深いテーマではあるが、追っていけば霧はますます深まるばかりであったろうと想像できる。
「生活に追われる大衆が、個別の政策に是非を下すことなどできるはずもない」と霧の向こうから声がする。
投稿元:
レビューを見る
「世界」連載中の原題は「民意偽装」。◆なるほど、偽装だ。◆◆新聞社の広告局にいたのだから、情報には裏があるのは心得ているつもりだが、こう改めて白日の下に晒されるとウンザリする。◆広告と歌っていないものでも、PRもあり、ステマあり。純真無垢な子羊だけの世界じゃないのだ。従順な一種諦観をもった権力への服従=大人の態度が、権力者のいいようにさせている一因なんだろう。◆◆国民の情報リテラシーが昔に比べ上がったと思われているが、本当のところはどうなのか。肝に銘じたい。