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人生の管理者は自分自身の心。瞑想は誰にでも簡単に実践できる、心を鍛え、キレイに保つ方法。ブッダが悟りをひらいた瞑想法をわかりやすく、奥深く解説。ヴィパッサナー瞑想法の実践ガイドの決定版。
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静かな語り口ですが、実はものすごいことが書いてあるのでは??と思う本です。
瞑想自体に興味があるわけではないのですが、瞑想に至るまでの記述は参考にすべきものです。
心静かにもう一度読みたいと思います。
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瞑想をする意義、方法がわかりやすく記述されてる。
しかし、『瞑想は科学だ』の裏付けがされてないことに残念。
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慈しみの瞑想が良かった。今でも時々やっている。
苦しい時って、自分のことしか考えられないとき。慈しみの瞑想をすることで、他人や他の生命のことも考えられるようになり、視野が広がり少しすっきりする。
もう一つの瞑想はまだうまく習得できていない。しかし、今ここを意識することによって、一つ一つの五感が研ぎ澄まされる気がして、良い気がする。
考えても仕方のないことを考えてしまうことを止められず、疲れてしまった時に、お勧めの本である。考えないことを実践できる本。
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Aは幸せでありますように、Aの悩み苦しみがなくなりますように、Aの願いごとが叶えられますように、Aに悟りの光が現れますように、Aは幸せでありますよに Aに、私、私の親しい人、生きとし生けるもの、私の嫌いな人々、私を嫌っている人々を入れて三回繰り返す 「ありのまま」でなく「我がまま」に見ているのです 「感情」が割り込んでくると、心は事実を否定します
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マインドマップで書きたい。。
1.体を鍛える
2.心を鍛える
2.1.瞑想
2.1.1.仏陀の瞑想
①サマタ瞑想・心を落ち着ける
②ヴィパッサナー瞑想・自己を見つめる
体は科学的にジムで鍛えるけど、心は鍛えられていないという一文に感銘を覚えた。
伊坂幸太郎の本のどこかにあったかな。
僕らは歳を重ねても魂は劣化していく
苦しみの原因=渇愛
現状に不満を持つこと
渇愛からの解放➡︎智慧
ありのままを知る
⬛️慈しみの瞑想(サマタ瞑想)
①
私は幸せでありますように。
私の悩み苦しみが無くなりますように。
私の願いごとが叶えられますように。
私に悟りの光が現れますように。
私は幸せでありますように。
✖️3回
②主語を私の親しい人
③生きとしいけるもの
④私の嫌いな人
⑤私を嫌いな人
⑥生きとしいけるものが幸せでありますように
閑話休題
雑念、作業中の他の思考=無駄
今を生きる
感覚➡︎心➡︎感じた事を放置する=雑念の停止
⬛️ヴィパッサナー瞑想
①死体を演じる
②感覚を感じる
③感じて放置する
実況中継で思考を停止
座っています、感じています
マントラ?
スローモーション、背筋を伸ばす
分析をしない
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瞑想について、非常に丁寧にわかりやすく書かれた本。
方法や基本的な部分に関しては既知ではあったが、著者の独自の解釈や発展的な解説もあり、参考になった。
<メモ>
・心のトレーニングのための方法が瞑想
・ヴィパッサナー瞑想は心を観察する瞑想。
思考の渦で思考が曇らないように。
・妄想に時間をとられないよう、必要なことに集中できるように。
・自分を信じ、周りの人の幸せを願う。生きとし、生けるものが幸せでありますように。
・自分の動き、心を実況中継すればよい。
・体が勝手に反応する。言葉が人を助ける。
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2014/10/26読了。簡単に考えすぎてた瞑想。思っていたよりずっと高度で実践しにくい。これで俺の精神も高尚になり精神的に一段上に行けると考えていたのが愚かしい。
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具体的な瞑想の方法が知りたくて読んだ。
他の詳しい本読んで、瞑想の持つ効果は知っていた。その本の長ったらしいが説得力のある理屈が本書では経験則なのか仏教の教えなのか非常に簡潔に書かれている。とはいえ知恵を開いて心の汚れを全て落とすのは人間には無理ではないかと、と思ったが、俗世間に生きる私はそこをちょっとでも目指してゆっくりやっていこうと思う。
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「生きとし生けるものすべてが幸せでありますように」
最近鬱々としていたので読んでみた。
自分を愛して初めて自分が変わっていくことに気づいた。
気づきの迷走であるヴィパッサナーはとても難しい。実況することで「今」に心と体を繋ぎとめるのだが。
まだまだ修行は続く。
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まず私の幸せを願い、親しい人の幸せを願い、命あるものの幸せを願い、私の嫌いな人、私を嫌っている人の幸せを願う。
●あなたは自分自身が大好きで、決して不幸になりたくないと思っています。それをごまかさないでください。自分自身が大事だということは、否定できない確固たる事実なのです。まずそのことを認めることから「慈しみの瞑想」は始まります。自分自身に対する慈しみを育てるのです。
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スマナサーラ長老はとてもことばを大切にされているといふことを感じられる。
わかりやすくブッダのことばを伝へる単純な解説ではない。やさしいことをやさしく書くことは容易い。難しいことをやさしく書くことは容易いことではなく、時に詐欺となる。難しいことはやはり難しいのだ。
さすが宗教家といふこともあり、小難しいことは抜きに、こうしなさい、ああしなさいと非常にことばに力が宿つてゐる。このひとの優れてゐるところとして、かうしたことばがただの命令ではないのだ。確かにこのひとのいふことなら信じられるといふあの確かな信頼が寄せられるのだ。
この信頼は長老自身、自らのことばと行いに絶対の信頼を寄せてゐなければ現れてこない。それと同時に、湧き上がる疑問と常に隣り合わせであることをこのひとはかなり自覚してゐる。
その疑問とは、どうしようもなく、痛みや眠気、どうにもならない感情が人間にあつてしまひ、これを消し去ることが不可能んことではないかといふことだ。
生きるといふことが苦しみであるといふことはブッダも述べたことである。それならば、そも生まれてこなければ済んだ話である。それでもどういふわけか今ここにわたしが生まれてしまつてゐる。わたしといふものはゐないのかもしれない、けれど、確かに何かが”ある”。ことばとともにある以上、存在から、苦しみから離れることはできない。
このひとは、おそらくさうした苦しみがなくせないといふことを誰よりもしつてゐる。だから、無自覚からではなく、おそらく自覚的に命令として「かうしなさい」と発してゐる。分けること、区別することを余儀なくされる人間の思考を滅するために。それは自分に自分で喝を入れるためでもある。