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ある日突然病的に菜食主義者になってしまったヨンヘ。
彼女の周囲にいる他者3名の視点からなる、連作3部作。
菜食主義者:夫目線の、彼女が異常をきたした初期段階でのエピソード。夫酷いって思うけど、普通の反応なのかもしれない。
蒙古斑:義兄目線。ヨンヘが前作で“事件”を起こしたあと、蒙古斑があるということを聞いた義兄はヨンヘに性的な感情を抱く。そうして破滅していく。
木の花火:姉目線。あんなことがあったのに、姉はヨンヘを見捨てない。植物になろうとするヨンヘ。自身も崩壊していく中のラスト。
静かに、ほんとうに綺麗に崩れていく日常。アートです。
ハン・ガンの作品は、2作目。すばらしいよ…。
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もののけ姫のアシタカのせりふを思い出しました。「あの娘を解き放て!あの娘は人間だぞ!」「生きろ・・・そなたは美しい」とか。突然、菜食主義者になり、植物のように生きたいと強く願う主人公に対し、周りは関係性に苦しみつつもアシタカの役回りになるんだと思いました。
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本書はベジタリアンとなったヨンヘを3人の視点から描いている。
一章「菜食主義者」は夫の視点
二章「蒙古斑」は姉の夫の視点
三章「木の花火」は姉の視点
読み進めるにつれ、その関係性の深さ、異常さ(それであって、とても共感性のある関係)をじわじわと感じてしまう。
肉食が多く、何かにつけ食べることを気にかけるのは韓国ならではのモチーフだが、少数派の一つの嗜好をきっかけとして家族の崩壊、精神の崩壊に向かっていく様子は、家族だからと自分たちの常識を押し付ける無神経さが起こす事故とも取れる。まるでドキュメンタリーかのような生々しい描写、作家の文章との距離感が心地よい。”家族の中で形成された「私」はその家族によって「私」であることを妨害される”ーきむ ふなさんの後書きも良かった。
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作者ハン・ガンは天才だと思う。とても美しい、嫌味じゃない文章を書く。
静かで穏やかな植物になりたいが、獣のような動物的な私達。その狭間にいて、限りなく植物に近づこうとし狂っていくヨンヘ。
家長制度や抑制を描き、それが積もり積もってある日その歪みが生肉の夢として現れる。
第二の短編、蒙古斑も私は結構好き。体に咲き乱れる花々の美しさ。
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ものすごい閉塞感、暗い。でも、一線を越えられない”凡人”である私たちは、お姉さんのようになんとか生き続けていくしかない。
作家が、この作品を書いた数年後に「底まで降りてみた。今は違うところに向かっている」みたいなことを書いていて、少し安心した。
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ハン・ガンの小説は「すべての、白いものたちの」を読んだのが初めてだった。あのような繊細な物語かと思って読んだら…全くテイストが違い衝撃的だった。ある事件を視点を変えて語っていくリレー形式の物語。どの章も色彩がガラッと変わり、ただただ圧倒された。圧巻。
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『菜食主義者』読了。
美しい文体なのに容赦ない暴力要素が詰まった内容だった。
各章で登場する彼女の身内たちが語るそれはエゴの塊ともいえる言い訳。つらつら語っているようで、読んでいて気分悪くなりそうになった。
彼女の自由は誰が守るんだろうと思うも物語は彼女を救急搬送するシーンで終わる。
なんかすごいものを読んでしまったな…後味はそこまで悪くなく、清々しいくらい。
何故、人は他人の自由や意思を拘束したがるんだろうな。それが普通ではないことであっても本人にとっては普通なのだから。いいじゃん、本人がそれを望んでるならって思うけど。
彼女の周りにいる人たちは彼女に対し「生かさなきゃいけない責任」が付き纏う。
自分の仕事に知らず知らずのうちに直結してしまいがちなんだけど、考えてしまうな。
生きるとは何?みたいな。本人が拒否してるのに無理して治す必要はあるのか?とか。
彼女の「…なぜ、死んではいけないの?」が印象的だった。
2021.6.30(1回目)
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確かに強烈な印象が残る。
人間の内面を掘って掘って掘りまくって
底の底まで到達しようとする
まるで繰り返す自傷行為のような小説。
生理的にこの類の小説は苦手だ。
暴力的な欲望や心の傷といったものを
むやみに想像力を働かせて
わかった気になるのも嫌だ。
だから、なのか、でも、なのか
こういう作品は文学賞を取る。
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ある日突然、野菜しか食べないという菜食主義者になった女性。親族が理由を聞いても「夢を見た」というだけでほとんど何も語らない。さらに最初は「野菜しか食べない」だったのがどんどんエスカレートして、そのうち食べること自体を拒絶するようになる。何とか食べさせようとする周囲の焦りとは裏腹に、自分は植物になりたい、だから水だけが欲しい、と言い出した彼女は徐々に痩せ細り、死に向かっていく。それでも断固として食べようとしない彼女の3人の親族(夫、姉の夫、姉)による、困惑と絶望を描いた作品。
ハン・ガン氏の作品は初めて読んだ。あまりに衝撃的な内容だけれど、調べたところ本作以前にも、いつの間にか植物に姿を変えていた妻に気付かずその木に水をやる夫、という阿部工房を彷彿とさせるストーリーの物語を描いていたらしい。なんだろう・・・このあいだ友達が、人間も光合成ができるようになれば移動しなくても生きていけるし、二酸化炭素の排出量が減って酸素は増えるし、いいと思うんだけどなあ話していたのを聞いて、確かにそうだなあ葉緑体ってどっかで手に入んないのかなあ、なんて思った記憶があるけれど、もはやそういう次元の話でもない。
体質的、宗教的なことが理由ではないヴィーガンの人に対する冷ややかな視線というものが、わたしの中に密かに存在している。もちろん主義趣向は人それぞれだから、わたしに迷惑がかかるわけじゃないのならとやかく言う筋合いはないとわかっているし、言わない。ヴィーガンなの?へえ、そうなんだ〜。おしまい。次の話題。でもどこかで、何がしたいんだ?と白けた感覚でいる。
わたしの結婚式のとき、ヴィーガンを理由に別メニューを用意した同級生がいたけれど、彼女も体質的、宗教的な理由ではないヴィーガンだった。「菜食主義者」の主人公と同様(とわたしには思える)に、テレビか何かで食肉に関するいわゆる「グロい」映像を見て、もう肉は食べないと決めたらしい。少なくとも当時わたしに彼女はそう話した、本当はもっと深刻な理由があったのかもしれない。
数年後、彼女は自分に対するヴィーガン的な規制を緩めることにしたと話していた。何があったのと聞くと、会社の飲み会やなんかの際に店選びとかオーダー決めとかで周囲に気を遣わせてしまうのが申し訳ないから、と言っていた。そして彼女は肉を食べ始めた。
そのまた数年が経った現在、彼女のSNSには「もう他人軸で生きるのはやめる」という意味深な宣言とともに、ヴィーガンフードのレシピやそういうものを扱っている店の紹介がずらっと並ぶようになっている。
高校の頃からいつもひとりだけ別メニューを食べていた彼女のこの移り変わりが、わたしにはどうも解せない。周囲に気を遣わせながら長く継続してきたのに、突如として現れた「気を遣わせたくない」という理由で、しかも会社の飲み会程度のことでさっさと変えてしまうような主義趣向っていったい何。わからない。今わたしはわかろうとしているんだろうか。たぶんしていない。わかろうとしなきゃと頭では思っているけれど。それほど社会に出て働くというのは大変なことなのです、飲み会でみんなと���じものを食べることは大切なことなのです、とか言われてしまえば、はあそうですか、としか返せないし。
「菜食主義者」に話を戻す。この主人公が菜食主義者になるにあたって、夢を見たことはきっかけに過ぎなくて、それよりもっと前から夫への不満とか、更年期障害とか、漠然とした不安とか、彼女なりのきちんとした理由の蓄積があったのだと思う。第一章で描かれている夫もかなり偏屈な人だったし、こんな男性と一緒に暮らすのはさぞ楽しくなかっただろうなあと同情もする。んなこたあわかってんのさ。でも彼女が導き出した方法(菜食主義者になる)があまりにも問題の解決とはかけ離れていて、こわ、と、きも、以外の感想が出てこない。
人間関係の距離感が本当に難しいなあと思うのは、仲が良いからこそ違うと思ったら違うと伝えるという関係もあれば、逆に仲が良いからこそ違うと思っても相手の意思を尊重してほっとくという関係もあって、どっちが正しいのか全くわからないこと。日本人は、ほっとく方が多いんじゃないかなあ。本人の自由だし、権利だし、って言って。相手の状況が自分にとっての「普通」じゃない状態にあっても、力尽くで変えようとしたりこちら側の「普通」に寄せようとしたりすることは、あんまりないんじゃないかと思う。だからか、この小説の家族みたいに、食べたくないと願う娘に力尽くで食べさせようとしたり、入院させたり、彼女の意思を全く尊重しない関係性というのは、わりと不気味だった。
でも一方で、相手が当然のような顔をして平然と向かっていく先に間違いなく「死」があるとき、それでも相手の意思を尊重してほっとくことができるだろうか。死にたいなら死なせてやれ、と言えるだろうか。あんまり知らない人なら言えるかもしれない、でも家族だったらどうかな、あるいはものすごい親しい友人だったら。果たして死ぬことまでもがその人の自由なんだろうか。自由ってなんだろう。自由を尊重すればするほど人は孤独になる。何も食べなくなって、「どうして死んだらいけないの?」と問いかける彼女に対して、親族はどうしたらよかったんだろう。死にたいと願うなら、死なせてやればよかったのか。自分は、まだ彼女に生きて欲しいと願っていたとしても?、、、
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妻が突然ベジタリアンになった事件を契機に、強烈に壊れてゆく日常を3人の視点から描く連作小説。現実と夢、正常と狂気、生と死、思考と感情の起伏、動物と植物、自然、時間、色彩、濃密なイメージを喚起させる描写力とスピード感のある展開に引き込まれる。ほとんど翻訳を感じさせない文章も読みやすい。この人の小説は他も読んでみたい。
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過去一度でも、植物になりたいと思ったことがある人は、この作品に取り込まれてしまうかもしれない。わたしは大分引きずられた。
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評価高いようですがあくまでブクログは個人的な感想なので私的には激苦手な作品だったので星低め。
日本でいうと直木賞より芥川賞な作品なんだろうな。
突然菜食主義者になった妻(女)が主人公で、
その人は正直そうでもなかったけど
(でも狂ってるとは思った)
そんな狂ってる妻を取り巻く人たちの方が、
私はめちゃくちゃ嫌悪感を感じ、
とことん後味が悪かった、個人的には。
でも、人間ってこうだよね、と妙に納得させられた。
でも超絶気が滅入るから二度と読むことはない。
韓国文学というものの初めての作品がこれだったので、他のハッピーな感じのものも読んでみたい(あるのか?も不明)
何かおすすめありますかね!?
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コンビニ人間と同じで主人公は変わっていて浮世離れしてるけど周りの人間たちに嫌悪感を抱くような感じ。暴力的で芸術的で男性は独りよがりで支配的。
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【菜食主義者】
夫や父親から軽んじられた女性が、そのストレスの発散ができず、見た夢をきっかけに、生まれ持った菜食主義の性質を解き放つものの、長年の染み付いた食生活は変えることはできない。その結果、従来の生活とは異なった形になってしまいそうだ。どうすることもできない。
というSFチックなホラーを感じたけれど、大事なところは人がSOSを出している時に気づいて受け止めることだと思った。しかし現代社会に生きる人たちはそんなこと余裕が無さ過ぎて見えてないんだとも思った。私も見えない…
私は植物になりたいと思ったことがないので、サラッと読んでフーン。で済んじゃった。
ただ、残されて生きなければいけない人の辛さをただ感じた。
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ある日を境に、肉食を拒むようになったヨンヘを取り巻く夫、義兄、姉の目線で語られるお話。
妻がベジタリアンになるまで、私は彼女が変わった女だと思ったことはなかった。という一文から始まります。
ヨンヘが中心のお話ですが、彼女視点で語られることがないので、なぜ肉食を拒むようになったのかなど、彼女の気持ちや考えは最後まで誰にも分かりません。ゆえに、読む方は惹きつけられ、考えてしまう。
血生臭い匂い…
無気力な絶望…
誰が狂ってるのか…
誰がまともなのか…
タブーを犯す先にあるもの…
本当に死にたかったのは誰…?
著者のあとがきに、この作品を書いていたときのメモにこのような文章が綴られていたとあります。
“慰めや情け容赦もなく、引き裂かれたまま最後まで、目を見開いて底まで降りていきたかった。もうここからは、違う方向に進みたい”
違う方向に進んでいっている著者の作品をまた読みたい。
今まであまり読んだ事のない側面から、生と死について触れた読書になりました。