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絶世の美少年、ビョルン・アンドレセンが表紙の『ベニスに死す』。
出版社も乙女のツボが段々と分かってきたな…というような企画にまんまと踊らされたのは私だけでは(きっと)ないはずだ!
まずはこの表紙だけでも買う価値があると思います。
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既読…と言うか岩波文庫の方を持っているんですが、上映記念に。
お話はもちろんのこと、映画の出来も素晴らしいです。
まだこの作品に触れたことのない人は是非、触れてみて下さい。
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新潮文庫や岩波文庫のも持っているのだが、映画を見たついでについ買ってしまった。
池内紀の解説が面白い。
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一人の音楽家が旅先のイタリアで、とある美少年と知り合い、少しずつ彼に惹かれていく・・・・というお話。一番のポイントは、もちろん美少年。(キリッ) 映画版は傑作。美少年タッジオ役の美少年がマジ美少年。
【志學館大学】ニックネーム:ねこ
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高名な初老の作家アシェンバハは、ある日旅の誘惑に駆られ、ヴェネツィアへと旅立つ。そこで彼が出会ったのは、神のごとき美少年タジオだった。その完璧な美しさに魅了された作家は、疫病が広がり始めた水の都の中、夜となく昼となく少年のあとをつけるようになる……。官能の焔に灼かれて朽ちていく作家の悲劇を、美しい筆致で描いた文豪マンの代表的傑作。
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主人公アシェンバハは、若い頃の奔放な作風や言行を抑制し、次第に保守的模範的となり、
お堅い官定教科書にもその文章が採用され、貴族の称号まで授けられた高名な作家。
仕事に倦んた彼はある日ミュンヒェンで奇妙な外国人風の男を見掛けたことから旅にいざなわれる。
彼はベニスのホテルで美しい少年を目撃する、以来憑かれたように、ホテルでも砂浜でも、
少年タジオを執拗に視線で追い、さらにはベニスの街を散策する少年とその家族を尾行したり、
彼らが乗ったゴンドラを別のゴンドラで気付かれないように追跡させたりする。
少年をギリシャ神話のヒュアキントスに譬えたり、また自分とタジオがソクラテスとパイドロス
であるかのような会話を夢想するが、実際には視線を交わすのが精一杯で、声をかけることさえ出来ない。
ベニスに疫病が蔓延するのと歩調を合わせるように、彼の思いも狂おしいものとなり、
心身ともに病んで行く。
タジオ一家にベニスを離れること勧める意思は一瞬で潰える、そんなことをすればもう少年に会えなくなるから。
情熱(タジオへの愛)にとって必要なのは秩序や安寧ではなく、現在のベニスのような混乱や災厄であると考え、
噂が広まり閑散とし始めると、タジオと二人でこのリド島に居るような気分にさえ浸る…
アシェンバハの痛々しい内面や行動、その淵源がテンポよく綴られている。
彼が見る悪夢も象徴的、山から人や動物や神憑りした群集が転がり落ちて来て狂態を演ずる、
まるでディオニソスに生贄をささげる祭典のように…そしてその群集はすべて彼自身なのだ。
アシェンバハに物問いたげな視線を返したり、微笑を投げかけたりするタジオも小悪魔だ。
映画とは作曲家と作家の違いはあるけど、小説を読んでより物語全体の奥行きが深くなった。
そして原作を損なわず巧みに映像化されたのもよく分かった。
小説と映画(DVD)のセットでぜひどうぞ。
星五つのうちのひとつはビョルン・アンドレセンの表紙に対してです。
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新潮文庫版の文庫本で読んだので今度この表紙をちゃんと見てみたい。美少年タッジオの描写が繊細で想像を駆り立てる。アシェンバハが肉体的にも精神的にも病んでいく姿が痛々しい。マーラーがどのようにかかるのか気になるので今度映画を借りてこようと思う。
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どうだろう? そんな好きって感じでもない。自意識の話。変態度が足りないのかもしれない。あくまでも自意識のなかでの話だから。
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作品名は知っていたものの、読みたいなと思うこともなくずっと過ごしてきた。
しかし最近になってイタリアに関係する文学や映画に触れる機会に恵まれ、ただなんとなく食指を伸ばしてみただけのこと。
老齢の作家の執着なのかな? 少年にたいするどこか屈折した感情が非常に痛々しいです。
アシェンバハは人の短所ばかりに目を向けていて、描写ではタジオ以外が非常に醜く読むにたえない。鬱屈しているといえば単純なのだが、最初の方に描かれている生い立ちを読む限りしかたないとしか、取れないのが残念な人。
短所はもっとも目に付きやすいとはいえ、意図して良いところを探したり、悪いところも良いところとして捉えれば人生も明るくなるはずなのにとヤキモキさせられました。そしてマン流の読者への教訓なのかもしれませんね。
これは古典文学といえるほど昔の作品ではありませんが、そう表現しても遜色ない偉大な作品には間違いないのですが、私が無知なのかところどころ理解できない表現もありすべてを理解できない。
同名映画は評判がいいようなので、見てみたいです。私が見逃してしまった作品の新たな魅力を発見したいので。
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美少年に恋する老人、という簡素なあらすじに少し嫌悪感を感じたのですが、読んでみるとあまり違和感なくすんなり読めました。
肉体的な欲求があまりなく、精神的な官能。美しいものを見るとき感じる高揚感という感じだったのがよかったのでしょう。
解説を読んでこれがマンの自伝的小説だと聞いて驚きました。
一番違和感を感じたのが美容室に行って髪を染めるシーン。あの場面は、あの自意識の高いアシェンバハが、そんな目に見えた変化をするとは思えません。タジオの為に、と思われるのではないかとびくびくすると思うので。
タジオがアシェンバハに向ける視線は、私は大した意味はないと思ってます。同じ場所にいつもいて会話もない相手。
きっかけがあれば話すべき相手程度にしか思っていないと思いますが、実際はどうなんでしょうか。
変に生々しい表現はないのですが、全体の物語で最終的にアシェンバハがタジオと会話をしたのがほぼ一回だけというのが凄くリアル。一度も話すことなく死ぬ。
全て読み終えて、タイトルがものすごいネタバレだったんだなと改めて思いました。
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文章は私には少し難しく感じられましたが、作品の、頽廃的かつ官能的な部分に惹かれました。後期ロマン派って感じですね。
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学生時代ぶりの再読。
抗いがたい、熱に浮かされる、恐ろしく怖いけれどいつか自分にも訪れるかもしれない嵐。
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タイトルだけは知っていましたが
映画も見ていないし
正直、どんな系統の話かも知らずに
この美しい表紙と
「トーマス・マンだったの?原作!(いや、トーマス・マンだって名前しか知らんけど!!)」
という驚きとで
思わず手にしてしまいました。
「推しが尊い」
の一言を小説家が書くとこんなに格調高い感じになってしまうのネ…。
この小説の「美や芸術に対する盲目的な情熱」とかなんとかいうようなテーマ(おそらく)を全部台無しにするようで申し訳ないけど
「推しが尊い」
この一言に尽きます…私の中では…。
色んなジャンルに推しがいる私には
かなり…わかりみ…
私…アシェンバハになれる…。
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ヴィスコンティ監督の映画版が好きです。オープニングの夕暮れんなかに船が消えていく姿が印象的で、あの音楽と相まって、始まりにして「ああもう終わりなのかぁこの人ぉ」と予感させるんです。
御多分にもれずマーラー好きになったわけですが、原作のモデルはマーラーじゃないんですね! むしろトマス・マン自身の日記とすらいえるくらい私的なお話。しかもベニスに行くまでに3分の1ページも使っちゃってるし、どうにも小難しいお話ばっかりだし。
でも映画だけだと、同性愛だとか小児性愛を描いたお話かと思っちゃいますが、「美とはなんぞや?」を追求した芸術論だってことがわかりました、だって主人公の作家先生、ご自分の著作が教科書に載ったことである意味「到達」しちゃったわけですが、実はその裏には今でも背徳への憧れがあるんでしょ? ゆえに死出の旅にて美の化身であるタジオくん(表紙の彼ね)に出会えたと。
ダメかね? ダメだね。ぶっちゃけますが、これほとんど実話らしいじゃないですか。そうなってくると、マンさんはタジオくんに幼き日の自分を見たんじゃないですか? つまりは鏡に写った自分の美しさにうっとりしちゃったんでは? マンさんはナルキッソスだったということですよこれは。違うかなぁ。岩波版実吉訳も読んでみます!
《芸術は、たとえ外的生活が僧院的静寂のうちに送られたとしても、ながいあいだには、もっとも放埒な熱情と快楽に満ちた生活すら生み出しえないような、神経の我儘、過度の洗練、疲労、そして好奇心を生み出すのである》
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アシェンバハはタジオを「ギリシャ彫刻のよう」とたとえていたが、アシェンバハのタジオに対する眼差しにはプラトンのいうエロースを感じた。そう考えると、タジオを愛でながらの死はアンシェンバハの魂がイデアの世界へと帰っていったとも考えられるのかななんて思った。
トマス・マンは初めて読んだが、耽美と理論が同居しているような文章だなという印象。日本でいうと、三島由紀夫、平野啓一郎を彷彿とさせられた。