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首都圏に住む者が、いかに震災と原発によって被害を受けている地域のことを知らないか、あるいは知ることが難しい構造の中に置かれているかを思い知らされる。
現場と私たちの間に立つメディアはいったい何をやっているのだ。
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著者は、震災・原発事故前から福島県阿武隈山中に住んでいた文筆家。
原発から30km圏内に住む著者が、地元目線のフクシマの「今」を綴る。
著者は元々、新潟県の豪雪地帯に住んでいた。ところが中越地震で引っ越しを余儀なくされ、選んだところが双葉郡川内村。2004年以降、徐々に生活の基盤を移し、本格的に移り住んで数年経ったところで3.11を迎えた。
震災・事故発生当時やその後、著者が見たもの、考えたことがまとめられている。
地元目線、ではあるのだが、地元の「一」目線であるといった方がよいだろう。本書を読んでもわかるとおり、原発との関係の濃さも人によって多様であるし、被害の受け方も様々であり、年齢も違えば立場も違う。それにしたがって考え方も十人十色だ。一口に「被災者」と括れるわけもない。
著者は、福島市生まれではあるが、ずっと住み続けていたわけではないようだ。特に震災前に移り住んだ川内村では、ある意味、余所者なわけで、特に後半の厳しい論調には異論を唱える人も多そうだ。敵も多かろう。
だが「一」視点からの「具体的な」ルポや問題提起があることが、この本の最大の価値だろう。ぼんやりと見ているだけでは何も見えてこない。どこか取っ掛かりが出来ることで、「そこには賛成」「そこには反対」と自分の意見を決めていくことにつながるだろう。
自分自身、著者の意見に全面的に賛成とも言い難いが、事故発生直後の行動力、調査能力はすごいなと思う。自分ならどこまでやるだろうか?出来るだろうか?と自問自答するきっかけとなった。現時点で、放射性物質の放射性を直ちにゼロにすることが出来るわけではなく、「除染」が本当の意味での「除染」ではないというのも本当にそうだと思う。放射線障害(外部被曝・内部被曝)についても改めて考えるきっかけをもらったと思う。あるいは放射性物質の中で暮らすのとまったく知らない土地でストレスを感じながら暮らすのとどちらがつらいのか(特に年配の人)という話、除染の際に削り取られる厚さ5cmの土が農家にとってどれだけ大切な土かという話など、教えられることも多い本だった。
そのうえで、自分にとって違和感を感じるのはどこなのか、では自分の意見は何なのか、少し時間を掛けて考えていきたいと思う。
犬を巡る、地元と保護団体の感覚のズレの話が興味深かった。田舎で、そもそもゆるい感覚で飼われていた犬たち。震災後はもしもを考え、放し飼いにされることも多かった。そこへ保護団体がやってきて誤って連れ帰ってしまったというもの。その顛末は悲喜劇なのだが、こういう話も聞いてみればなるほどありそうな話で、しかし例えばテレビの全国ニュースなどを見ていても見えてこない話だと思う。
震災前の牧歌的な村の姿と震災後の落差の激しさに言葉をなくす。しかし、考え続けていかなければ、とも思う。
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311以降のフクシマを丸裸にした本。まだ日本に、真実を書けるジャーナリストがいることに救われた気になる。フクシマの現実がどうだったかを知りたい方には特にお薦め。この本を強く薦めるその理由は下記のブログで・・・
http://pinvill.cocolog-nifty.com/daybooks/2012/03/post-0a56.html
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もはや「汚染された国で、残りの人生をどう生きるか」という哲学的な領域に入った
絶望のなかから這い上がってそう書くのは、この本の著者、鐸木能光、と漢字で表すと、いったい誰だか見当もつきませんが、たくきよしみつは20年前の1991年に『マリアの父親』で小説すばる新人賞を得てデビューした、正真正銘のれっきとした小説家です。
私は、それと『G線上の悪魔』の二作しか読んでいませんが、何故か勝手に、作風もテーマも違うはずなのに、それ以前から好きで全作品を読んでいて、惜しくも2004年に自死した『破線のマリス』『反乱のボヤージュ』などを書いた野沢尚に似ているとこじつけて、いつか追っかけをやろうなどということをぼんやり考えていました。
その彼が、なんと福島市出身で今はUターンして福島県川内村に住んでいるといいます。しかもそこは、あの東北地方太平洋沖地震で起きた原発事故の半径25㎞に位置するとは。
ここには、現場に行ったことがなく自分の目で見ることも感じることもできず遠く離れていて、メディアからしか情報を得られなかったり、あるいはさまざまな立場や私利私欲が混在したレポートやエッセイや論文を、なかなか取捨選択して見聞きすのがむずかしい人にとって、まったく驚愕するしかない真実の姿が、現地で生活する住民としてばかりか作家の透徹した目で、生々しく報告されています。
それは、県や国からの必死の情報隠しや、原発に絡む入りくんだ広汎な利権問題や、まったくどうしようもないでたらめな非科学的な安全対策や、そして風力発電などの自然エネルギーに関する常識の大嘘、などなど。
あるいは、どこかで聞いたことがあるものも似通ったものもあるかも知れませんが、行って帰ってきて書かれたものでなく、いまなお現地で今日を暮らし明日を生きる人が書いたものとして、私たちに真に迫ってくるものが想像以上にあることは確かです。
★尚、小説家以外でも多方面の活躍をしている彼は、ブログを開設しています。
リアルタイムで知りたい方は、ぜひご覧下さい。→http://takuki.com
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優れたルポルタージュの条件は
「頭」ではなく「足」でちゃんと
書かれてあること
そりゃあ その現場(福島の川内村)で
暮らしておられる(暮らしていた)
人しか
見ることの出来ない
聞くことの出来ない
匂うことの出来ない
触ることの出来ない
その ルポルタージュ
そして
今回の極限の中から
の生々しい報告
取り返しの付かない
汚染に巻き込まれてしまった
「ふるさと」から
今もなお金権まみれに
汚染されてしまっている
今の日本を
しっかり見据えておられる
この構造は
「フクシマ」だけではなく
私たちの自身につきつけられた
問題提起でもある
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タイトルにもなっている「裸のフクシマ」とは,フクシマという場所で,原発がらみの利権が横行し,「国策」という名で地元を徹底的に貪ってきたそういう状態のことをいう。そこには,すでに地域が持っていた伝統的なよさもなければ,人が自分たちで立ち上がろうとする意欲もない電源三法交付金をあてにし,原発の固定資産税をあてにし,それがなくなってきたら「また新しい原発を」と要求する。そんな状態が裸のフクシマなのだ。
著者は云う。
「裸にされた福島の地で,なお原発に頼ろうとする人たちがいることは驚きだ。」
そうなんだ。原発の甘い汁を知った人たちにとって,原発は温暖化問題でもなく,エネルギー問題でさえない。それは楽して自分たちの生活の糧を得るための施設なのだ。本当の裸になってしまっているのに…。
自分で服を着て再出発するしかないのだけれど…。
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川内村に住む人の視点なので、新鮮だった。原発事故の真の問題は、「自立経済を持てない弱い地方」と「それにつけこんで利益を得ようとする中央」の構造にこそあるのだと思った。これを改革しない限り、同じことは何度でも繰り返される。放射能を排出する危険な産業が世界を席巻しているのは、ひとえにこの理由ゆえ。飯舘村のように、中央からの資金に頼らず自立してきた地域も汚染されたのは、確かに憤りを感じる部分だ。色々な意味で「悔しい」。
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利権に群がる人達の甘い言葉の罠、自分勝手な理屈、読みながら腹が立って腹が立って、、ただ、どこにでも自立した人とおんぶに抱っこの人がいて、永久に平行線の人達に交差点はないということを思い知りました。この危機的状況の中ですらです。
この本は、お為ごかしのボランティア本ではなく、本当に切実に当たり前のことを当たり前と言っている本で、みんな出来るだけたくさんの人に読んでほしいと思いました。
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福島在住のライターが身を持って体験した実録。もう杜撰・無念としか言いようもない現実。これからこの国でどのように生きるのか・・・を突きつけられる。多くの人に読んでもらいたい。
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筆者は川内村在住(2011.9)4号機のこと、警戒区域のことなどが書かれている。川内村は郡山より、はるかに線量が低いのに、やらせのように帰村シーンを取られた。
また、日赤が仮設住宅入居者に、強制的に家電6点セット(冷蔵庫、洗濯機、・・電気ポット)が強制的に渡された。必要ない家族も多く、ヤフーオークションで売られたらしい。原資は、海外からの義援金。
メーカーの利権になったんだろう。住民は、カネでもらいたかったと。当然の話だ
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福島県双葉郡川内村に暮らす著者が、
震災発生から約半年間の体験・考察をまとめた本書。
もちろん福島といっても広いので、本書の内容が
すべてではありませんが、現地に暮らす人たちの
現実の一部ではあるはずなので、読んで損はないと思います。
(あまりにも報道されていることが少なすぎる…)
もし日本のどこかで次の事故があれば、本書の内容を、
わが身をもって経験することになるんでしょうね、私たちも。
【収録内容】
まえがき
第1章 「いちエフ」では実際に何が起きていたのか?
第2章 国も住民も認めたくない放射能汚染の現実
第3章 「フクシマ丸裸作戦」が始まった
第4章 「奇跡の村」川内村の人間模様
第5章 裸のフクシマ
かなり長いあとがき
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住んでいた頃にはまるで感じなかったけど、福島にも色んな人がいるな、と「フクシマ」と記される状況になって初めて知った。詩人がいたり、学者がいたり、ライターがいたり。当たり前といえば当たり前なんだけど、福島って、そういうのからちょっと縁遠いと思っていた。
中越地震を契機に川内村に移り住んだライターが書いたルポルタージュ。著者は福島市出身。
外にいると可哀想な話、もしくは美談と片付けられそうな事柄が、生活者として、そして物書きの鋭い目線で語られている。
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たしか、、半年ぐらい前に読みました。読了したか、途中までだったか、記憶が定かじゃないですが、一応読み終えた気がするので、読了という事で。
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2011年9月に執筆されており、震災が生々しい。すっかり意識しなくなった放射線について、今のコロナを置き換えると政府のやり方がほぼ一緒だ。正確な汚染データがありながら公表しなかったのがひどい。民主党政権が当時は頼りなく見えたものだが、自民党だったらもっと露骨に経済優先で何もしなかっただろうしもっと隠ぺいしていただろう。そんなことを考え去られ、残念な気持ちになるばかりだ。
風力発電にはいいイメージだったのだけど、ひどい利権にまみれた存在だったことが分かってショックだ。環境を汚さないだけで原発と大差ない存在だったとは。
獏原人村について知りたかったのだけど、記述はちょっとだけだった。
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刊行から年経過した。原発の事故に関わる報道は、地元の人達の思いを正しく伝えてきてはいなかったということがよく分かる。原発から再生可能エネルギーへ転換することが大切だと思っていたが、それさえおかしいことなのだということもわかった。利権に群がる者はきっと地獄に落ちるのだろう。