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統合と範列
キャラクター駆動型
イベント駆動型
語と語の関係
連辞的配列 2つあるいは複数の単位の結合で、それらすべてが順に連なって現れるもの
連合的配列 あるときは語の意味とかたちに二重に関係し、またあるときは語のかたちだけあるいは意味だけに関係して、不可避的に一連の連合が形成されて現れるもの
外示(デノテーション)と共示(コノテーション)
本質的には非記号であるコトバが記号としての姿を呈するのは、<構成された構造>内でしかない。意義とは、この構成された構造としてのラングに見出される意味で、これはまた辞書に見出される「語」の定義に近い抽象的な意味であり、その言語社会によって許容され沈殿したいわば歴史的化石としての最大公約数的な意味群である。筆者の考えでは、このような意義は外示と呼ばれるものに他ならない(「ソシュールの思想」丸山圭三郎)
語に沈殿されたものを使用する方法を「外示」(デノテーション=ラング)と呼び、これに対して個々人による意味作用を「共示」(コノテーション=パロール)と呼ぶ
丸山は沈殿され概念化されたものを逆手に取り、新しい意味を生産するという第三の「共示」とは、第一のように語単体によって生じるのではなく、言述(ディスクール)という語の「連辞」によって発生するとしている
共示の3つの次元
① 一言語内の個々の語ないし記号素に宿る個人的・情感的イメージのレベル
② 一定時期のラングに見出される共同主観的付随概念としてのレベル
「ユダヤ人はユダヤ人さ」「AはAである」という事実を超えたBという別の意味を持つ
共同体の次元である「ラング」に否応なく我々は定義されることを先に指摘したが、この共示作用に注目するなら、個人の次元である「パロール」において、「ラング」への変更が、個による類的な法則が、刷新可能であることを指摘している。それは、「転倒後」に生きている、我々の言語活動にも、同様に言えることである
問題は潜在的範列の中からいかなる語を選び出して連辞化し、こうして作り上げた一つの大きなシーニュが、その個々の語のもつ既成性故に、逆に新しい意味をいかに生み出すかにあるのだ
観客の知的欲求は、たまたま何かの理由で、本当に意味なく並べられたいくつかのショットを見る場合にも、抑えることのできないものである。意味を賦与すること、これは人間の意識の基本的な作用である。それ自体無意味な偶然の現象を、まったく無抵抗に受け入れることほどむずかしいことはない。我々のもつ観念連合作用と想像力ーたとえ気まぐれなものにせよーは、ある偶然の現象に何らかの意味を投入せずにはいられないのである(「映画の理論」ベラ・バラージュ)