紙の本
あのあり得ない状況に対しては、きっとこういう「不謹慎」をぶつけて行くメソッドしかない。
2012/03/07 20:57
6人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る
まあ、なんなんだろべ、これは? なんですかね、一体?
タイトルからしてテーマは原発告発かと思ったら、まるでできそこないのポルノじゃないですか! なんですかね、「大震災チャリティAV」って?
んで、ふざけた文体。ポップと言うか、スカスカのレイアウト。進んでるのか進んでないのか、同じ所をぐるぐる回っているだけなのか、よく分からないストーリー。
まさか舞城王太郎の真似をしようとして失敗に終わった小説というわけでもないでしょう(まあ、文中に引用があったので、多少は舞城を意識してるのかもしれませんが)。そう、これは明らかにわざとなのです。作者が何を言いたかったのかを整然と述べるのは不可能ですが、あの地震と原発事故を目の当たりにして、こういうものを書かずにいられなかった衝動だけはひしひしと伝わってきます。そう、あのあり得ない状況に対しては、きっとこういう「不謹慎」をぶつけて行くメソッドしかないのです。
あんまり筋を説明しても仕方がないでしょう。冒頭に書いたように、この小説は大震災チャリティAVの監督の一人称で語られます。どこからが監督の語りで、どこまでが作ったビデオの内容なのかも判然としません。だらだらと、「この話一体どうやって終わるの?」と心配になるような記述が続きます。電車の中などで読んでいると、太字で印刷された「おまんこ」等々の文字が山ほどあって、周囲から覗かれていないか気になってしまいます。
かと思うと、終盤に入って突然「震災文学論」と題したクソ真面目な論文になります。これがものすごいギャップであるとともに、内容的にもものすごいのです。スーザン・ソンタグと川上弘美の『神様(2011)』とナウシカと水俣病のルポルタージュを統合して震災を語っています。この論理展開を前にして、我々は呆然と立ち尽くすのです。
すると、またクソみたいな小説に戻って行きます。
何度も書きますが、そう、これはわざとなんです。ヤケクソでもなく失敗作でもなく、この如何ともしがたい岸辺に立って、作家はこういうものを吐き出すしか仕方がなかったのです。正直それ以外のことはよく解りません。ただ、そのことだけがびしびしと伝わってきます。
あの地震は、あの事故は、それほどのものでした。なんなんですかね、一体これは?
紙の本
勇気ある壮大な意図だが不完全燃焼で終わってしまった
2012/01/04 13:36
3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんでもそうだが、大事件のあとで国全体、国民全体が白一色、赤一色に染まるのはよくない。それは闇世界の平成大政翼賛会が推進する精神の自由と民主主義の危機の姿であるともいえよう。
しかし9・11のNYでは「これまで見た最も美しい光景だ」と正直な感想を洩らした建築家がいたし、今度の大震災では「ぼくはこの日が来るのをずっと待っていたんだ」と語った有名人もいるそうで、世間の顰蹙や指弾をものともせずに心中に抱懐した存念を大胆かつ率直に公開するのはとても大事な民衆的行為だと思う。
それを著者も本書でやった。福島原発の大爆発と放射能汚染が帝国とその人民を瀕死の瀬戸際に追いやっているというのに、この小説の主人公の頭にあるのは売れるアダルトビデオのアイデアだけ。来る日も来る日も腐れ○○とお○○○と最新型ダッチワイフをめぐる下らない性愛の下半身ネタがダダの漫画のようにただただ書き連ねてある。
ここに対比され交錯し衝突しているのは絶望と希望、悲劇と笑劇、知性と痴性、大脳前頭葉と末梢神経、聖と俗、形而上と形而下の世界であり、著者がここで期待したのは相反する要素の弁証法的な調和であったが、その勇気ある壮大な意図が所期の成果を収めることなく不完全燃焼で終わってしまったのは、あらかじめ予想されたこととはいえ、いささか残念なことだった。
紙の本
こうじゃなくちゃ
2016/05/29 12:44
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投稿者:ぽにょ - この投稿者のレビュー一覧を見る
震災文学論は読む価値があると思う。こういう本があったっていいと思う。というか、こういう小説があるべきだと思う。
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相変わらずの下ネタ…でも清々しくて嫌味がない。
てゆうか、震災論が誰のものよりも真摯。
わたしはこの人なら信じられる。
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あまりにもハイソサエティ過ぎて僕ちょっと理解出来なかったな^>^
支離滅裂すぎて、どこまで読んだか自分がどこ読んでんだかわかんなかった。
そういえばペンギン村もこんなんだったなぁと思い出しました。
誰か私に高尚な説明を…!!
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まず、タイトルがいけてる。前から気になっていて、大学図書館にリクエスト、やっと借りることができ、やっと読むことができた。面白かった、でも読むのしんどかった...
タイトル、下ネタ、震災文学論などなど、とにかく強烈だった。
震災文学論が肝なのかもしれないが、それだけじゃ駄目なんでしょう。
「不謹慎」って素晴らしい(ちょっと適当)。
ぼくはこの日をずっと待っていたんだ!
ということで、とりあえず次は神様2011でも読んでみよう。
ちなみに筑波大学図書館への推薦文は以下のようなものだった。(覚えていないけど)
*****
あらすじを読む限りでは一見ただのふざけた下世話な話ととれなくもないが、あくまで手法が「ポルノ」であるだけで、3.11以降表出してきた問題(たとえばその1つとして同調圧力が挙げられる)について真剣につきつめてある作品である。まもなく東日本大震災から1年が経とうとしているが、本書は「震災文学」の1つの形ということができ、ぜひ蔵書すべき一冊であると思う。
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今回の原発事故が、パンドラの箱を開けたんだっていうことは、茨城県に住んでいれば嫌でもわかったことだけど、この感じはどこまで共有されるんだろう。それにしても、これだけのものを書くのは、いろんな意味ですごいです。パンツの脱ぎっぷりに圧倒されました。万人向けじゃないので、★は一個減らしますけど、こんな本、普通の人には絶対書けない。題材に拒否反応が起きない人なら、読む価値あると思います。あるいは、拒否反応が起こる人にこそ、読む価値があるのかもしれないけど。
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(外部の人が)原発やフクシマを語る・論じる手段としてこの文学の文法はまったく否定しない(むしろコレがいい)が、単純に今回は物語としてのオモシロさに欠ける。
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久しぶりの高橋源一郎。
『大震災チャリティーAVを作ろうと奮闘する男たちの愛と冒険と魂の物語。』とあるが、もはや物語の体をなしていない散文詩というか何というか。
しかし相変わらずこの人はこの人にしか書けない小説を書いていると思う。
ただ今作は『さようなら、ギャングたち』のような、なんだこれめちゃくちゃだけどなんか読めるぞ、なんか伝わってくるものあるぞ的な文学としての切実さを感じなかった。なんでだろ。
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都築響一さんが、それ実際にあるよ、と探し集めて広く発信しており、一方で源一郎さんは、それ実際にあるかもしれないけど、ココに書くことに気を悪くしないでね、これ小説だしと説明。実際にあったら、あったよという事実の発信だけで済むけれど、自分の言葉で(写真や動画ではない方法で)表現してしまうと、不謹慎だとか人格を問われたりして小説家の仕事は大変だなあと思いました。
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好き嫌いで言えば、悪と戦うとか、ニッポンの小説のほうが好き。これは、優雅で感傷的な日本野球的な文体で書かれている部分もあって、単純に僕にはあまり刺激的でないから。でも、中間に挟まれた文学論は、このストーリーに包まれることによって、価値が高まったように思う。現代の小説家の中で一番戦っている人だと思う。小説ラジオとか。
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3.11後の文学の形を果敢に探る高橋氏が選んだ題材は、「原発事故被災者のためにチャリティーAVを撮るAV監督」。なんと興味深いコンセプトだ。
しかしコンセプトだけで十分だったな。やはりこのひと、小説家よりも評論家なのだと思う。
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エロとグロは何故にこうも「生」の本質を突いているのか。この小説、私は認めます。=第1刷帯のコピーに答えて。
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この小説はずいぶんと前から楽しみにしていた。
楽しみの始まりは次のツイート。
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源一郎さんの書き下ろし小説楽しみ RT @takagengen: おはようございます。さあ、これから、書き下ろしの小説の続きを少し書くことにしよう。
(2011年6月3日@sawa_taku)
@sawa_taku ありがとうございます。書き下ろしの小説のタイトルは「恋する原発」です。いままで書いた中で、いちばんクレージーな小説になると思います。
(2011年6月3日@takagengen)
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読んでみると面白かった。アイ・ウォズ・ボーン・トゥ・ラブ・ユーの章なんてリズム感が最高だ。クレージーと言えばクレージーなのだが、メッセージはこれまでのタカハシさんの小説よりも明確であるように感じた。不謹慎さの話とか、「未来の死者」への責任の話とか、新しい「文法」の誕生の話とか、そういう話だ。でもレビューは書きづらいな。
何といっても「ちんぽ」や「おまんこ」がばんばん出てくる。
人に読まれることを前提にして上のコトバを書いてみるとあらためてわかるが、とても違和感がある。明らかにそこにあり、それを皆が知っているものなのにどこかしら不安になる。不謹慎さによる抑圧はかくも高いものだ。そういう小説。
抑圧は字面上のものではなく、現実のものである。自然さを装った不自然さや、隠されているということを明らかにするために小説という形式を取って表現をしているようだ。具体的には、老いや障害やセックスや死を笑いにして隠されていること自体を「見える」ようにする。すぐそこにあるのに。「AV」はそのための仕組みになっている。 もちろん隠されたものはこの国には他にもたくさんある。
原発やもっと広く技術に対しても、不謹慎や隠されていることにつながるのかもしれない。不自然に置かれた「震災文学論」のパートはタカハシさんの得意な文学批評だ。唐突でもあるが、何かが繋がっている。このパートを全体の中でどう読むのかが鍵であるような気がする。 震災によって、隠されたものが明らかになると同時に、隠されたものは隠されたままでもあった。例えば、遺体とか、だ。震災や原発事故は何かのきっかけになるべきはずであったのに、十分にはそうではなかった、という想いも感じられる。
「AV」というのはこの小説の中では象徴でもあり、小説を支える象徴以上のものでもあるのだ。そこにはある種の表現の自由がある。逸脱しようとする力がある。新しい「文法」が生まれつつある場と捉えるべきなんだろうか。
読み終わった後@takagengenのツイートを見返した。
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実は、「恋する原発」を書き終えてしばらくして、軽い失語症になりました。しゃべれず、書けず、なにも読めずです。ツイッターを眺めることもできませんでした。やっと、少しずつ回復しています。そろそろ、「小説ラジオ」をやりたいんですけれどね。 (2011年11月15日@takagengen)
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類を見ないタカハシさんにしかできない小説であることは確か。襟を正して読んでもいいのでは。読む人を選ぶような気がするが。
このブログを読んで、なるほど、と感心した。読み終わった後、このブログを読んだ方がい��かもしれない。読者は存在する。
http://omoinoha.exblog.jp/16845732/
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「大震災チャリティーAVを作ろうと奮闘する男たちの…」
と言ぅキャッチーな帯を見て、その異色感に期待しましたが…、
う~ん…、かなり評価が難しぃ…。
作者が、真面目に執筆していると言ぅことは伝わってきたし、
ぐいぐいと読み進めることができたと言ぅことは
ポテンシャルの高ぃ作品だったんだろぅとは思いますが…。
終盤に差し込まれた「震災文学論」が無ければ、
ただ単に、低俗で中身のなぃ駄作だったんでしょうが…、
これを差し込むことにより、
作者の言わんとしていることは、伝わりました。
ただ、それでは、小説の体は成していないよぅにも思うし…、
体を成した一本の小説として、メッセージを伝えられないのであれば、
0/100の0と言わざるを得ない評価の難しぃ作品だと思います。
ボク的には、及第点かなぁとは思いますが…、
ヒトにオススメしたいかと言ぅと、そぅは思わなぃ…。
っと言ぅことで、無難に、★3つの評価になっちゃうなぁ…。