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都市分析のための視角や階級理論を紹介し、街を歩き東京(区内)の階級化の現状をあぶり出す。
もはや現状を叙述するに妥当な概念は階層ではなく、階級であるという著者のこだわりが見えた印象。
ただいかんせんルポ部分を理論の側面に引き戻しもみ直す紙幅がなかったためか、全体として今ひとつインパクトに欠けていた。
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本当は、星0個にしたい。
ただ、東京の中高生が読んだら、いい勉強になるローカル本。
社会学や都市学は専門ではない私が読んでも、この本の主眼である住む場所で別れている格差社会の話・都心回帰でのスプロールの話は、特に目新しいものはない。
静岡大にもいたようだけれど、筆者は東京しか日本を知らないんだなと呆れた。
話が進むまで都内の地図を出さないあたり、「東京の地理を知ってるのは世界の常識」と思い込んでる田舎者っぷり。
最後の方で「日本は、東京かそれ以外にまずわかれる」
とあり、笑いかけた。
歴史の深浅はいろいろな文化や人々の意識に影響してると思うなー。食文化なんかもね。
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都市に関する様々な古典を中心に自分の考えを織り交ぜながら話が進み、卒論の良い手本になるかと思った。メディア社会学科では社会学であるのにあまりフィールドワークのようなものを習わないので、これも一例としていい勉強になった。
ただ、この本についての異論もあり、景観が階級構想を表していることなど周知の事実だと思うし、そもそも階級社会や格差社会が悪いものであるという前提で著者は書いているように思えたが私はそうはおもわなかった。階級社会や格差社会が生み出しているメリット、デメリットはまだまだあると思うし、それについての指摘が少なかったことが個人的に残念だった。
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タイトルで職場の本屋の平積みから購入。
「階級」という言葉でわかるように、昔なつかしいマルクス主観の用語が沢山でてくる。
ただ、資本家階級を、高所得者・経営者層という風に翻訳してよめば、きわめて全うな都市社会学の分析本。
本の後半には、東京23区の中の山の手と下町を歩いて、ついでに居酒屋まで紹介する。
趣味あうなと思っていたら、同い年。是非、どこかで、ご一緒したいものです。
ちなみに、自分は法学部で一切マルクスの本を読まずに卒業した恥知らず者ですが、日垣古典塾で『ユダヤ人問題に寄せて』を読んで、感動して、40過ぎてからマルクスを読み出した。
資本論も、ちょっと読みにくいけど、当時のイギリスの労働者事情のすばらしい分析本。
みなさんも、是非、がじってみてください。
おもしろい視点と思った点。
(1)格差が大きくなると、低所得者の人々だけでなく、平均的な、さらには、平均以上の所得のある豊かな人々でも、死亡率が上昇する。(p261)
アメリカの事例のようだが、格差が豊かな人々にもいろいろなストレスを呼ぶというのも、アメリカならわかるな。
(2)23区で区内の地域内格差が一番高いのは新宿区。(p155)
あの高層ビル、高層マンションと、足下の密集市街地をみれば納得できる。
(3)23区の平均寿命も山の手で高く、下町で低い。最高が練馬の81.2歳、最低は台東区の71.7歳。(p139)
これもショッキング。
著者は、下町に高層マンションができることをやや否定的にみているが、自分は、ちょっと態度は微妙。下町の雰囲気も悪くはないが、高層マンションで建て替えによって防災性が向上することやうまくマンションを設計して、地域とのコミュニケーションがとれれば多様性が実現できるというメリットもある。
市場の力に逆らっても、遠吠えにしからなないので、それをどううまく誘導するかという次善の策を考えたい。
読んでみたい参考文献。陣内秀信『東京の空間人類学』(筑摩書房)、マンフォード『現代都市の展望』(鹿島研究所出版会)、エンゲルス『住宅問題』。
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都心に引っ越してきてから、疑問に思っていたことが一気に解決した本!面白かった★実家のある横浜の新興住宅街に比して、都内は混沌としているけれど、それが東京の歴史的背景によるものだと分かったのが良かった。昔の日本においては、山の手と下町の間に厳然たる違いが存在していたとのこと。それが今に引き継がれているものの、昔の下町に高層マンションが建てられ、都会のホワイトカラーが移り住んできているのだとか。歴史の転換点!
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烏兎の庭 第四部 箱庭 1.28.12
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto04/diary/d1201.html#0128
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本のタイトルはセンセーショナルだけどね。
マルクス史観の階級とか格差は、資本家/労働者の対立でみるわけだが、日本の場合、資本家ってちょこっとしかいなくて、この本の定義ではホワイトカラーサラリーマンは資本家の側に入れられている。
そのうえで、山の手=資本家、下町=労働者って構図で。この都市構造を解消しないと格差はなくならないと話はすすんでいくんだが、なんだかなぁ。
江戸の頃からの大店の息子なんて、みんな資本家で、江戸文化の正統な後継者なわけだし。
東京に大規模なスラムがあるわけでなし。
「街のなかに多様性を確保せよ」という主張は賛成だが、それは多様な価値観を街が包含することであって、等しからざるを憂う個性のない街がたくさんできることではないだろう。
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統計資料による説明ばかりかと思ったが、著者が丹念にフィールドワークを行い、街を観察していることが読み取れる。
なお、台地の斜面下に池をつくるのくだりは、「台地の斜面下には難透水の粘土層が分布しているため、ローム層中の地下水が粘土層の上面から湧水としてしみ出してくる現象による」ことで説明できる。
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おもに東京23区間の住人の職業や学歴、収入といったものを分析し、その特質を探る。区全体やさらには区の中の町内までの分析もしている。収入や職業やそれに伴う気質の違いは昔から「山の手」「下町」といった言葉で表わされてきたが、大都市東京には巨大な階級構造があり、それぞれの階級は、不均質に分布して、独特の空間構造を生み出しているとしている。都市とは経済・階級構造と建物・空間構造の複合だという。
すごく大雑把にくくると、高台=山の手=富裕層、谷間=下町=富裕でないものとなる。大きなくくりでは隅田川の東は下町となるが、さらに神田川やその他の細流れで大小の山と谷がありそれぞれに小さな下町があった。昔は職業的にも家屋的にも住み分けがされていたが、最近では六本木ヒルズやなどの再開発ビルが多くの小さな家屋にとってかわり、それら高いビルにいる人は高収入が多く、取り残された?低層住宅の人は従来通りの下位層となり、下町の中に山の手的なものが出現しているとしている。
また、出身地域の分析がちょっと興味深かった。東京へとやってくる地方の人で南関東や関西の人は高度な専門的職業につくために上京する者が多いのに対し、東北からは、学歴が何であれともかく就業の機会を求めて東京へとやってくる、というのが統計で示されている。そしてともあれ出てきた人は労働者となり下町に、専門的職業を求めた者は山の手に、という住み分けとなり、それが東北・東京・その他の地方という日本の国土の空間構造までが反映されているという。
昭和36年の新聞記事からだが、明治大正期の下町、山の手の地図なども紹介され興味深い。
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山の手と下町の歴史・変遷についてまとめられた本。
数年前に下町に一軒家を構え、町会活動にも積極的に参加し始めた者として、これからも下町文化の伝統を発展的に育てていきたいと考えている。
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著者の橋本健二氏は社会学者としては、「最左派」ではないかと注目していたが、本書も期待を裏切らない「最左派」の本であると思った。
首都東京の空間構造としての「山の手」と「下町」の考察は、都内の地形を知る者にとってはもちろん、知らなくともわかりやすく面白い。
空間的に高い場所である「山の手」に階級が高い層が居住し、空間的に低い「下町」に貧民が居住してきた歴史的経過の考察は、現在でも住居や道路等の風景に、明らかに差があるだけに、おもわずなるほどと納得できる説得力を持つ。
しかも、著者は「居酒屋ほろ酔い考古学」などの著書を持つだけに、趣味として居酒屋めぐりのフィールドワークをも行っており、本書でも一部の内容に花を添えているようにも思えた。
最近のテレビで「○○散歩」という番組があるが、本書の内容はまさに「橋本散歩」という内容であるとも思った。現在でも残る「空間構造」や「町並み」と「階級構造」の考察であるだけに、ビジュアルでみればもっとわかりやすいと思ったが、都市の風景が「格差と階級」があからさまになる「階級都市」としての証明だというのでは、現在のマスコミで取り扱うわけはない。ちょっと残念。
しかし、本書の「階級都市」としての東京についての考察の結論は理解できたが、社会学の本としてはちょっと物足りないようにも思えた。著者の他の本に比べると、比較的遊びの部分が多いように思え、社会学の本としては、どうも研究の余技のようにも見える点があるともと感じた。
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本書は、山の手-下町という空間(地形)的な違いは、上流-下流という(階級)格差をも表出するという。「東京「スリバチ」地形散歩」では、台地上には中高層建築が、低地には低層建築という景観があること。「古地図とめぐる東京歴史探訪」では、台地には神社・仏閣跡(権力者の象徴)が、低地には貝塚など(庶民の生活痕)が発掘されることが書かれている。
毎週のように足立区の実家に帰っている品川区民の目からしてみも、確かに住民層の違いは肌で感じられる。また、本書で実証的に挙げられている格差のデータを見てもそれは事実なのだろう。しかし、これは足立区で生まれ育った者の僻みと捉えられるかもしれないが、下町(足立区)には都心区との格差があるという文脈、例えば、P251”そもそも下町には大学が少ないから、子どもたちは大学の存在をしらずに育つことになりやすい。”P264”下町に付与されてきたマイナスイメージが払拭されることが望まれる。この点については、明るい要素がないわけではない。これまで大学の少なかった下町地域で、大学のキャンパス建築が相次いでいる。”といった記述は、著者自身は気づいていない差別意識のようなものを感じてしまう。大学の多い街に住む者?のネガティブイメージ、ネガティブキャンペーンとしか思えない。今時、大学が少ない地域に暮らしている子どもだからだといって、大学の存在を知らずに育つなどありえるであろうか。実際の大学が近くに無くても、この大量情報化の時代に、大学のことを知ろうと思えばいくらでも知ることは可能だと思われるだが。いったい何時の時代の話をしているのであろう。それとも、下町ではそういった大学の存在(情報)にも触れられない情報弱者がいると言いたいのか、それならば納得できないこともないのだが・・・
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全般的に著者の楽観的というかやや情緒的過ぎる視点が気になり、肯ける部分は少なかった。
たとえば第五章「階級都市を歩く」での港・文京・足立のフィールドワークでは、それぞれの行程の最後で必ず庶民的な居酒屋に触れている。このことからも著者の下町(的)文化への愛着が見て取れるが、この下町文化こそが、著者が格差の再生産の原因として糾弾する「バリアを伴う混住化」の副産物ではないか、つまり、バリアを取り払えば格差とともに、著者をはじめとする知識層を惹き付けてやまない下町「情緒・らしさ」も薄れてゆくのではないか、という疑念が沸いてくる。
また貧困層への所得扶助について、地域内バリアとして機能しかねない公営住宅の供給よりも、家賃補助や持ち家奨励をすべきとしているが、現実的には、貧困家庭においてこれらの補助金が実質的に生活必要経費に充当され、住環境の良化に繋がらない可能性が高いのではないか。
そもそも、第五章までで幾度となく繰り返されるように、住環境の良悪には地形すなわち高低差が大きく影響しているのだが、最終章でそのことに殆ど言及することなく、いきなり都市空間を変化させて地域内格差を解消すべしと結論するのは、論理の断絶ではないかと思えてしまう。
総じて結論が凡庸で、よくある「格差本」という印象。
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[ 内容 ]
「格差」が問題視されるようになって、はや数年。
ついに格差は、風景にまで現出してきた。
小さな木造家屋が建ち並ぶ下町に、富裕層向けマンションが建設され、昔ながらの街の景観は破壊される。
同時に、地域間の格差は拡大し、富めるものは富める地へ、貧しいものは貧しい地へと、振り分けられる。
そして、「山の手」「下町」といった歴史的な境界線は、都市をより深く分断する。
まさに「階級都市」の出現である。
本書では、理論、歴史、統計、フィールドワークなど様々な視点から「階級都市」の現実に迫る。
[ 目次 ]
第1章 風景としての格差社会
第2章 なぜ「階級都市」なのか―都市構造と資本主義
第3章 異国の風景―「下町」と「山の手」の言説史
第4章 進行する都市の分極化―統計でみる階級都市
第5章 階級都市を歩く
第6章 階級都市から交雑都市へ
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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東京の住人として漠然と感じていた格差の存在を数値の比較など客観的なデータ、そして明治からの文豪たちの書き残した著作などからより浮き彫りにされていて、大変興味深かった。台地と低地の持つ心理的な意味合いが差別につながる例など哀しい現実もあり、考えさせられた。