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「壊れても仏像」「たのしい仏像」に続く著者の3作目。
「壊れても仏像」と「たのしい仏像」の要素を足した、仏像修復の視点からの仏像入門。内容自体は、それぞれの本よりは薄いものの本書の執筆中に東日本大震災が発生しており、それを思いながら読むといろいろと考えさせられるところが多い。
また、著者は若かりしころに西岡常一氏の「木のいのち木のこころ」という本を読んで文化財の修理という仕事を意識したようだ。今後、読んでみたいと思う。
以下、あまりでにおはや繋がりを推敲してない、まとめ。
【仏像そのものについて】
一般の人にとっては、目に見える姿がないとイメージのとっかかりがつかみにくい。仏像はそうした人々に仏の世界や組織のイメージを伝える役目がある。
仏像の目の存在感を演出するために、水晶製の義眼を嵌め込んだものがある。これは玉眼(ぎょくがん)と呼ばれる。これに対して玉眼を入れない眼を彫眼(ちょうがん)と呼ぶ。
年代がわかる最古の玉眼を持つ像は奈良の長岳寺の阿弥陀三尊で、1151年の製作。これが鎌倉時代以降、爆発的に流行する。
瞳のデザインは如来や天部など仏像のポジションによって異なっていて、如来・菩薩であれば黒い瞳の周囲を赤で囲み、目じりと目元に青が入っている。しかも、如来と菩薩では瞳の位置が違う。菩薩は近くを見る眼をしており、瞳が僅かに中心に寄っている。それに対して、如来は遠くを見つめる目をしている。拝観時に菩薩とは眼が合うが、如来とは合わないと感じることがあるのは、このためである。
天部像は、目じり目元には青ではなく、赤を入れる。また、瞳の周囲は如来や菩薩より複雑で金や他の色を入れている像が多い。実際、金が入ると威圧感が出てくる。しかし、天部の眼の色に関しては如来などのように一定の決まりがあるわけではなく、仏師の好みによるところが大きいという。
祖師像や高僧像などの人間の像の場合には、瞳が黒、瞳の周囲が茶色、眼の左右は赤となっていて、実際の日本人と同じような色あいとなっている。
仏像にとって顔の次に大切なのは手先かもしれない。印が仏像がどういったシチュエーションにいるかを連想させてくれるからだ。
仏像の素材にはいろいろあるが、木が一番多い。通常、彫刻した木の上に漆を塗り、金箔が貼られているか(漆箔:しっぱく)、あるいは華やかな彩色が施されている。基本的には、漆箔は如来や菩薩などに使用される仕上げ方だ。
広隆寺の弥勒菩薩は現代では木材の部分が出て、古物の雰囲気が出ているが、作られていた当初は金箔が貼られていたはずである。今とは随分雰囲気が違っていただろう。
【仏像の修復について】
仏像修復家の仕事の面白さは「数百年単位の時間を俯瞰できる楽しさ」にあると思う。
漆箔や彩色部分は人にとっては皮膚にあたる。漆箔であれば、漆自身は強固なものの、多くの場合、漆層の下地の部分にニカワが使われているために、漆より先に劣化し、剥がれ落ちてしまうことが多い。彩色であれば顔料を固着する接着剤としてやはりニカワを使っている。寄木造などの仏像では部材同士の接着にもニカワを使う。このニカワの耐久力は木に比べて非常に弱いため、このニカワの耐久年数が仏像の寿命となる。釘などを併用し状態が良い場合でも、200から300年ではなかろうか。
台座や光背は仏像本体より後世に残りにくい。なぜならば修理してまで残そうと思う人が少ないからだ。天災や人災などにあった場合も、仏像本体だけはなんとか持ち出し、台座や光背はそのままということも多かっただろう。
台座は彫刻ではなく組み物であり、構造的にも脆弱なので寿命はさらに短く壊れやすい。地震などのときに先に台座が壊れて、その影響で仏像本体まで損傷してしまうということもよくある。また、そうでなくとも台座には光背と仏像の加重もかかり、湿気も溜まりやすく、部材点数も多いので接着剤がはがれて壊れることも多くなってくる。
実際に修理が行われるサイクルとしては、日ごろの保存状況や、寺院などの財政状況にもよるが、本格的な修理が200年から300年に1回。メンテナンス的な小修理が50年に1度と考えれば雰囲気的には問題ないであろう。
仏像の素材はブロンズ像、乾漆像、塑像、石像などがあるが木材が使いやすい素材だったということもあり、大半が木造である。しかし、そんな扱いやすい木材であっても弱点はありそれは腐りやすいということだ。
仏像が腐るときはどこから腐るかというと、雨漏りした水などがたまりやすい下の部分だ。立像であれば足元、坐像であれば地付きの部分やひざ上などが腐ることが多い。(たしかに、中ノ島の杉の森薬師堂でみた十二神将もほとんどの仏像の足元が腐っていた。)
昔はそういった腐った仏像をどうやって修理していたかといえば、腐った部分を切り離し、新しく作り直していた。ごくまれに立像を腰くらいから切り落とし、坐像に改変した例があるが、これなどは足が腐ってしまった仏像の極端な修理例だろう。(魚沼の天昌寺などもこのパターンではないか?)
現在の修理方法に関して、特に博物館や美術館所蔵の像であれば、欠損した部分などを修復の過程であらたに造り直すということは、基本的にはしない。オリジナルの部分が最も価値のあるところで、新たに造り足す必要はないというのが、博物館のスタンスだ。
しかし博物館にある仏像というのは、ごく一部のものであって大多数の仏像は寺院にある。仏像は寺院にとっては礼拝対象であり、実用物であるので、実際の修復の現場では新たに手足を造りなおすということもよくあるのだ。
修理と修復は少し違う。修理とは機能を取り戻すことが目的で、つきつめればその機能さえ取り戻せばOKとされるのが修理だ。
対して修復は、機能を取り戻す以外にもともとの製作者やデザイナーの意思をくみとり、それが損なわれない形で復元することを目指している。よって、修復では機能を取り戻さない、あるいは取り戻せないということも出てくる。
修復では、まずは現存している部分をそれ以上壊れないようにすることが基本。これを、博物館や美術館では現状維持修理と呼んでいる。
仏像は実用品か文化遺産かと考えたときに、問題となるのがこの修理・修復の考えかただ。豪華できらびやかで美しいものというのが、礼拝対象と���ての仏像に本来求められている機能で、ごく近年までは仏像の修理といえば基本的にこのように、実用品として仏像の機能を取り戻すものであった。
しかし、近年になり博物館や美術館が沢山でき、そこに仏像が展示されるようになると事情は変わってくる。博物館では、仏像は現在進行形の礼拝対象ではないので、美術品としての現状維持修理という考えかたがとられる。
では、仏像修復家が寺院にある仏像を修復するというときは、どうなるのか。その落としどころは難しい。仏具やさんや仏師であれば、新品のように修理するのだろうが、修復家としては古いところを尊重し、足りない部分を新しくつくるなど状況に応じて変えていくこととなる。
例えば、今、昔の人が木肌が出た広隆寺の弥勒菩薩を見れば、この仏像は「壊れている」と判断するだろう。ようするに修理理念は時代の変化、人の好みの変化にあわせて変わっていく。諸行無常というか、絶対的なものは100年、1000年の単位でみたら存在しないのではないかと思う。修理にも今と昔、丁寧と粗雑、専門仏師と素人と違いはあっても、修理者に共通して大事なことは、次ぎの修理者の手に渡るまで、その像が残るように修理するということだ。
ひどい修理、ありえない修理であっても数100年単位のスパンでみれば、意味が出てくる。
博物館などに特別展などで展示する場合には、お寺で御霊抜き(みたまぬき)をしてから博物館まで移動する。そして、博物館に安置するときに、再び魂を入れるらしい。これは普段はお寺に安置している仏像を一般公開するという出開帳(でかいちょう)を意識しているためで、文化的遺産や歴史的遺産として博物館に展示するのではなく、宗教活動の一環として出店するという考え方からくるもの。
また、常設展示されるような仏像には一般的には魂は入っていない。これは、博物館や美術館に展示される仏像は文化的遺産や歴史的遺産が認められているものであって、礼拝対象としては見られていないためだ。
仏像を修理する前にも御霊抜きをする。抜いた魂はどこに行くのかということは、宗派やご住職の考え方にもよるようだ。(本尊が阿弥陀様であっても管理しているお寺の宗派が真言宗ならば、大日如来の世界に帰るといわれることもあるようだ。)
抜いた魂を再び入れることを開眼供養という。修復などが終わっても、開眼供養が終わらなければ宗教彫刻としての修復は完了しても、礼拝対象としては不備があるのだ。
【東日本大震災をうけて】
仏像が時代を超えて残ってくるのは実に奇跡的なこと。天災はもとより、盗難や火災などの人災もあり、現代まで残ってきた仏像以上に、多くの仏像が無くなっているのだろう。
天災や人災がありつつも現代に古い仏像が残っているのは、残したいと思った人がいるためだ。壊れたので新しい仏像をつくろうと昔の人が考えていたら、こうはならなかっただろう。仏像は各時代にその像を残そうとする人がおり、そういった人の想いの連鎖があって初めて今、現代にまで残っている。
今回の福島の放射能の問題で、多くの人が福島から避難するとやっていけなくなる寺院も多いだろう。過疎地であればなおさら。仏像は壊れれば修理できる。津波で流された���あきらめるほかないが、新しい像をお祀りすれば、そこから新しい歴史をつむぐことができる。しかし、集落そのもの、守っていく人そのものが消えたらどうなるであろうか。
仏像の存在意義を考えてみると、信仰の対象という以外にも地域の歴史シンボルであるという意味がある。その地域・集落の歴史の一端を象徴しているのが仏像だ。人がいなくなるということは、その地域の歴史が終わるということでもある。たとえ、仏像や他の文化財が残ったところで、人がいなければそこにどんな意味があるのか。
明治以降、北海道に集団入植するときに、村によっては集落の仏像を持っていったという例もあるという。海外への集団移住も同様。新しい土地に行っても、仏像を通じて過去との接点、歴史、あるいは自分たちのアイデンティティーを求めていることがわかる。
今回の震災はひどいものだったが、それでも人がいれば、そこからさらに歴史をつむげると信じたい。
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「時をかける少女」ならぬ「時をこえる仏像」かあ、とタイトルに引かれて手に取った本。
仏像修復師が仕事を通して語る内容は、像の由来や芸術観賞対象という見方から書かれる一般の仏像本とは、ひと味違っています。
。
コンクリや鉄が使われるよりもずっと前から作られてきた仏像は、そのほとんどが木造であるため、どうしても長期保存には耐えられない宿命を担っています。
その摩耗した像に手を加えて、再び命を吹き込むのが彼らの仕事。
つまり、日本中の瀕死の仏像を見てきているわけです。
修理は、かつては腐っている部分を思いきってすべて切り落としていたとのこと。
今は合成樹脂で固めて、それ以上の腐食を防ぐそうです。
数十年に一度しか御開帳しない秘仏などには、とても希少価値を感じますが、修復師にとっては要注意な状態なのだそう。
そういった秘仏は、住職でさえも見ることができないため、久しぶりに厨子を開けたら、仏像がグズグズに崩れていることもあるそうです。
時々は換気をして虫干しないと痛みが増し、木が腐るのでしょう。
ありがたいどころではない、笑えない話で、像をシンボル的なものとして扱うだけでなく、文化財的なものとして維持・保存に留意することも必要だと思いました。
修復と修理は似て非なるものだと、その違いが説明されました。
彼らはあくまで修復師。新品同様に直すことが目的ではないため、修復の復元には限界があるそうです。
仏像の見方としては、如来と菩薩では瞳の位置が違うことや、大日如来の立像はないことなど、これまで気がつかなかったことにも言及されていて、なかなか興味深く読むことができました。
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仏像を見るのが好き。
でも、仏像の何を見ているのかというと
結局何も見ていない。
その醸し出す雰囲気を
味わっているというか
分けてもらっているというか…
今回この本を読んで、
仏像を見るときの「視点」
をもらった。
素人の私が見たところで、
どこがどう修復されたものなんて
当然わからない。わかりようもない。
ただ、
「仏像が歴史を超えて残ってくるのは実に奇跡的なことだ」
修復を手掛けてきた人がいたのはもちろんだけど、
仏像をなおしたい、残したいと思った人々がいた
ということが一番大事なんだろうなと思う。
「たとえ、仏像や他の文化財が残ったところで、人がいなければ、そこにはどんな意味があるのか。もちろん博物館や美術館の仏像にも資料的な意味、価値がある。だが、仏像は人がいて、人が守ってこそ本来の意味があるはずだ」
人は
仏に見守ってもらいながら、
仏を守り続けている。