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現在、原発のコストと言われているものには何が含まれているのか。そこには本来、コストとして当然含まれていなくてはいけないものがもっとあるのではないだろうか。そうした疑問を一つひとつ検証しながら、原子力発電というものを今後どうしていくのか、「コスト」の面から考えてみよう、という本である。
人間はもとより、農林水産業などの被爆被害、各種の損害賠償、事故の処理・除染といった原発事故による直接的費用はもとより、原発政策を推進するための調査・研究や多額の交付金、核燃料サイクル、廃棄、気の遠くなるような長期の保管などを進めていく費用は、実に巨額に上り、しかも国民の収めている税や、消費者が支払っている値上げ分の電気代などが、湯水のように注がれていることを思い知らされる。
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原発が経済的にお得という宣伝の根拠にされてきた政府の算定に意義を唱える本。原子力村は「村」どころの生易しいものではないという認識から,「原子力複合体」という呼称を採用。反原発方向にバイアスがかかっているので,話半分に読んだ方がよさそう。再生可能エネルギーにはだいぶ好意的。
著者は経済学者なんだけど,金銭に換算できない「被害の総体」のすべてが賠償されるべしと主張しているのは何だか不思議(p.46)。
もちろんコストの計算はしていて,減価償却費・燃料費・保守管理費等の直接コストのほかに,高速増殖炉・再処理技術等の技術開発や立地対策に支出される政策コスト,環境破壊や事故処理を通して外部が負担している環境コストも考慮する必要があると強調。それはそうだろうな。
結局,事故を計算に入れなくても,脱原発による便益は年平均約2兆6400億円で,脱原発にかかるコスト年間約1兆4700億円を上回るとしている(pp.196-199)。この数値が妥当なものかどうかは皆目見当がつかない。よもや結論ありきの計算ではないだろうけど。
原子力に関するすべての情報を公開し完全に透明にすることで,エネルギー政策を民主化せよとも主張。まあ正論だろう。
難しいのは,市民が市民がと言っても,たいていの人はあんな事故があってもあんまり関心をもって調べたりウォッチしたりしないし,公開情報を駆使して発言できるのは意識の高いプロ市民か,そうでなければ「原子力村の村民」か「準村民」ってことにされちゃいそうなところかな。もっと冷静に情報を媒介してくれるメディアがあるといいんだけど。
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啓発されることの多い本でした。
支援機構から交付を受けると、賠償金は帳簿上「特別利益」になるなんて・・・・。
日本列島が現在の形になって三万年。半減期が二百万年以上もある放射性物質があるという・・・・。
原発の安全神話を作りだした原子力村の話を聞いていると、満州事変から太平洋戦争に至っていった日本人の心理を思い出す。
「資源がない国だから・・・」という大合唱が相変わらず聞こえてくる。
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福島原発事故を受けて、原発のコスト面からエネルギーの転換を考える
原子力村、 原子力複合体
電力9社、電事連、プラントメーカー、ゼネコン、原子力産業協力会企業、関連労働組合、経産省などの中央官庁、政治家、各種メディア、学者・研究者、・・・・
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原発の実際のコストが経産省発表のものよりも高いことを示し、再生エネルギーに舵を切るべきだと主張する本。
事実の整理に関しては、実に秀逸。特に、原子力損害賠償法、並びに原子力損害賠償機構を網羅的かつ簡潔に記述しており、賠償スキームの構造を理解するにはうってつけ。また、本書が最も力を入れている部分である、経産省による原発コスト計算の恣意性に関しても、非常に詳解でありながらも明瞭な説明をしている。少なくとも、前提の置き方次第で、原発は最も安い発電方法にも、最も高い発電方法にも成りえることが分かる。
しかし悲しいかな、原発の是非を巡る本の常で、議論に凄まじくバイアスがかかっており、「では、どのエネルギー源を推進すべきか」という問いに、客観的な答えを提供してくれない。原発に関しては、本当に関心するくらいに、コストに詰め込みうる要素をこれでもかと集めているのに、自分が推奨する再生エネルギーについては、一転、扱き下ろしている『原発安全神話』の信望者も真っ青になるような、無批判かつ楽観的な態度を見せる。
いや本当に、その落差たるや凄まじく、公共経済学の第一人者が放つ渾身の研究調査が、いきなり小学生の調べもの学習レベルになる、というコントを見ているかのような錯覚に陥った。思わずズッこけ、『ひょっとしてこれはギャグなのか?いや、原子力安全神話の信望者たちに対する風刺?』と本気で疑ってしまうこと受け合いであり、そういう意味では必読かもしれない。
そんなわけで、『再生エネルギー最強神話』の信望者が原発コストを(論理的に妥当な範囲内で)見積もると、原発は最も高い発電方法になりうるよ、ということが確認出来る本、というのが本書の正当な位置づけかと。
ここから少し飛躍した教訓を得るとすれば、『結局どのエネルギー源が最も経済的かは、誰もよく分かっていない』ということであり、昨今のエネルギー政策を巡る混迷を見る限り、実際そうなのだろう。
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筆者が徹底的に原発反対の立場から書いている。
論旨が一貫していて好印象。
原発が安全か否かよりも、行政や電力会社の実態に、原子力発電所の問題があるということがわかった。
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経済産業省「エネルギー白書」のウソ!? 原発の不透明なコスト。リスクに見合うだけの費用が全く計上されない最低限の経済合理性すら抜け落ちたこの施設に僕らの未来は託せない!
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コスト計算の前提が違えばコストが違うのは当然である。前提の妥当性の議論が必要だが,著者の前提が通常のコスト計算の前提より妥当だという根拠に乏しい。
確率的事象を確定的に捉えたり,ナンダカナーである。
2012/03/24図書館から借用;3/26の朝から読み始め;3/27夕方読了
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原発は火力・水力に比べてコストが低く、クリーンなエネルギーである。
中学生の時にそう習った記憶があるが、この主張に対してさまざまなデータを用いながら反論を述べている。
発電コストの算出方法についてもそうだが、使用済み燃料廃棄にかかる費用がきちんと計算されていない可能性があるというのにはひっかかるところがある。
また、地域ごとに電力会社が分割されていること、送電線の独占など、これから(やるとすれば)おおがかりな取り組みが必要となる事項が多いと感じた。
筆者の立場としては、原発は徹底的な安全管理がなされるべきで、かつほかの発電方法で賄えるのならば不要だと主張している。
国民全体が意識をもって関わっていくことが必要だと思う。いろんなところからの情報収集は欠かせないだろう。
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原発コストが他の発電方法に比べ圧倒的に高いという主張の内容。
原発については事故後対応や使用済核燃料処理などの社会コストを含んでいるにもかかわらず、代替の化石燃料発電のCO2対策などには何も言及されていないのが気になった。
この本に限らず現在出版されている本のほとんどが脱原発推進だが、あの事故以降なお原発推進を唱える方々の主張をまとめた書籍も読んでみたい。
そのうえでこの問題に対して一定の理解を示したいと思う。
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他電源より安いとされる原発のコストとは本当はどれほどのものなのかを、多側面から数字で表してくれる良書。今回の原発事故の推移も書かれており、200頁ほどのコンパクトな厚さながら内容は多岐にわたる。著者は環境経済学の専門家で、国家戦略室・コスト等検証委員会委員も務めた。
本書を通して感じたのは、そもそも原発とは全く割の合わない電源なのではないかという疑義である。安全性の問題はもちろんのことだが、原発立地の問題、最終処分の問題、事故リスク、賠償の問題など、原発のコストは安いと喧伝される裏に、膨大な「社会的コスト」が隠れている実態がある。たとえば核燃料サイクルで生じる高レベル放射性廃棄物は出来た直後は14000Sv/hという桁違いの放射線を発する。それを地下深くに埋めて、数万年かけて人体に影響のないように保管するそうだ。このコストはいわゆる原発のコストとして入っていない。もちろん金額としてそれは膨大なものだろうが、そもそも私たちは「数万年」という単位に対して責任をもつことができるのだろうか。「単に電気を得るためだけに、原発を継続して巨大なコストやリスクを背負い込むのは、合理的な判断とは到底言えない」(p.199)という言葉は「たかが電気」と発した坂本龍一氏を思い出したが、「たかが電気」のためのコストとしては原発のリスクは重すぎると、本書を読むと頷かざるを得ない。
ちなみに学術的な内容なのに、注がなかったり、ジャーナリスティクな部分で資料が不足している感は個人的に感じたが、広く読まれるためには必要なことなのだろう。前者はあとがきに「大学入学したての一年生が読んでも理解できるように努力しました」(p.219)とあるので、あとがきを先に読んでおくのもよいかと思う。著者の誠実さを感じた。
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経済性が謳われる原発だが、技術開発やリスクなどをコストに加えるとけっして安くない。昨今の原発報道である程度は見聞きしていたことがメイン。再生可能エネルギーのところはもうちょっと書き込んでほしかった。
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本書は、電力会社やお抱え学者、マスコミ、経済界などが、わかっているのに無視し、国民に伝えない原発の抱えるコストについて、丹念に解説した良書だと思う。
普通に読んでいただければ、原発だけが突出して技術開発、立地、運用のため地域への助成金ばらまき、当てのないゴミ処理、そして金銭に換算すらできないような巨額の損害賠償費用、事故処理費用など「発電コスト」ではない「原発のコスト」がかかっているにもかかわらず、「発電コスト」が安いといって推進しようとする国会議員(ほぼALL)や経団連米倉某などが目先の自分の利益しか考えておらず、日本の国土や国民、そしてその末来、子孫のことはまったく考えていない、最低の輩どもであるということが、くっきりと浮かび上がってくる。
また、本書で指摘されているが、原発事故の当事者(加害者)となっているのは原子力事業者(東電)ひとりであり、原発を作ったメーカーは免責され責任の追及は受けていない。これは、当初積極的に導入された原発のメーカーがどこのものであったかということが重要なポイントになっており、そして彼らが免責を求めてきたことが、きわめて有効に機能したということ。その、あざやかな逃げっぷりには感心すらしてしまう。
ビジネスは、こうやらなくっちゃ。あ、脱線^^;
まず一回読んで内容を理解し、きちんと論評したい方は手元において参考にしましょう。
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現在安倍内閣は原発再稼働について前向きとされているが、当の政治家自身も含め、われわれは原発というものに対してどれほどの智識があるであろうか。さきの都知事選では大大的に「脱原発」を主張した候補者が敗れたが、だからといって即座に推進に舵を切ってよいわけではなく、あらためて原発といま1度真剣に向き合う必要があるのではないか。本書は、そのようなことを考えるさいに非常に参考になる、第12回大佛次郎論壇賞受賞作である。タイトルが示すとおり、原発のコストについて叮嚀に解き明かされており、事故前から推進派によって繰り返されてきた「原発はロー・コスト」という主張が、いかにデタラメなものかを白日の下に晒している。むろん、著者は著者でバイアスがかかっており、全部を鵜吞みにするわけにはいかないし、肝腎のコストの計算方法や再生可能エネルギーにかんする記述について、問題がないと感じたわけではない。とくに、電力について考えるさいに、需要を過大に、供給を過小に見積もる計算方法について、「ムラ」の陰謀であるかのように論じている箇所があるが、停電のリスクを考えるのであればそうしたほうがよいと思う。しかし、こういった視点は重要であるし、原発について考えるさいに、「核のゴミ」の処理方法や事故時の対処費用についても考慮に入れるという基本的な考えは、まったく間違っていないであろう。じっさい、事故後から現在までに原発のせいで何兆円もの額が投じられているわけで、いまさらそれを無視してコストが安いなどというのは、まさに妄言以外の何物でもない。そういう意見に真っ向から反論できる内容が書かれているので、「脱原発」を趣向している私自身にとっても役に立つしまた読んでいて快い内容であった。本来ならデータ面への疑問などで評価は★★★★としたいところであるが、現在の日本の状況をかんがみるに、あえてこの本の評価を最高にする必要があると思ったのでそうしてある。
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わかりやすく、歯切れのよい文章にまずしびれた。日本の原発の問題を自分の責任として考えなくてはいけない、という最後の一文が重かったです。