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『血肉となっている思想を疑う』
時代の宗教は「それを宗教だと思っている人がいない」ことが特徴らしい。
あまりにも浸透した思想は「それが数ある考え方の一つに過ぎない」ことを忘れらてしまうからだ。
日本人の多くは自分のことを無宗教だと感じている。
もしくは日本人は「日本教徒」だという人もいる。面白い意見だとは思うが僕はちょっと違う風に考えている。実は日本人は儒教の信者なのだ。
学校で授業がある「道徳」。
この言葉は道教の「道(タオ)」と儒教の「徳」を組み合わせてできている。
言葉だけここから取ってきたのではなく、日本人の道徳心そのものが儒教の思想に彩られている。
あまりにも血肉化しているため、自分たちの考えが「宗教」によって作られたものに気付くことができないでいる。
論語で語られる思想は根本的に差別が含まれている。
君子と小人は生まれながらに決まっており、小人は決して君子になることができないとはっきり言っている。
これは人を生まれで差別する危険な考えだし、法治国家である日本で許してはならない思想だと僕は考える。
儒教に潜む問題点を三国志を舞台に描いた『蒼天航路』と一緒に読んでほしい。
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論語の洗脳は相当に深く日本人の心に刻まれていると実感。
いや〜これはまずいとつくづく思った。
小学校の先生などには是非読んで欲しい。
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論語の書き下し文と標準解釈に見られる乖離に感じていた違和感。
カルトの手法「ペーシング」「リーディング」と見れば腑には落ちる。
現代の論語はもっと穏やかなものになっているとは思うが支配手段として使用されてきたこと、今も義務教育にその残滓があることは違いないだろう。
論語を振りかざすオヤジに対して鬱陶しいと感じていたら本書でスッキリできるだろう。
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論語は奴隷を作る洗脳書っていう見方が新鮮で説得力ある。僕みたいに論語を読んだことない人でもその影響はたしかに受けてると感じた。
欧米のサービスと日本のサービスの差が差別意識から来てるっていうのも新しい視点。
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論語が日本史に及ぼした影響を考えるに洗脳の書というのは、あながち間違っていないと思う。
宗教的要素が薄いとされた儒教にカルトへの影響を見る画期的な本。
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新しいものは、未来を見ることで知ることができます。過去を見ることで知るのではありません。70
例えば、ある土地からレアアースが発見されたとします。これはその土地を昔から重要視していたために発見されたわけではありません。レアアースという物質についての知識を新たに得た上で、その土地を調査したから発見されたのです。新しい視点だからこそ、これまでは何の変哲もなかった土地から新たな発見ができたのです。71
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孔子が言っていることは、設定するゴールが低すぎてもいけばいが、高すぎてもいけないわけです。テストで30点しか取れないのもよくないですが、100点もよくない、60点くらいがちょうどいいと言っているのです。109
人は他人からの評価や、自ら気付いたことなどによって、自分に対して何らかの評価を下しています。そして、自分で下した評価の範囲内でしか、パフォーマンスを発揮できなくなります。110
「過ぎれば、過ぎるほどいい」のです。111
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どんな田舎町でも本格的に音楽まで用いて徹底的に洗脳する。それが、「鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん」なのです。136
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