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原作をちゃんと読まずに、こちらを先にしちゃったこと、後悔。
読み進めるほどに、徳兵衛に対する苛立ちが募るばかり。それでも想い募らせる初。
でも、帯にあるように「これが、恋」なのよね。愛じゃない、恋。だから、OKなのかな。
一貫して女性(初)目線だから、そうなったんだろうけど、やっぱり最期は気になった。徳兵衛、本当に最期を遂げられてのかな?ってね。
そうじゃなきゃ、心中とは言えないんだろうけど。
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江戸時代、元禄期の大坂で実際に起きた、醤油屋の手代・徳兵衛と堂島新地の遊女・初の心中事件をもとに書かれた、人形浄瑠璃の古典演目『曾根崎心中』の小説化に、角田光代が挑みました。
原作を知らないけど、こういうことがあったんだ、と角田さんの言葉を通じて知ることができた。というか角田さんの本じゃなきゃ読まなかったかも。12歳で遊女になった初や、姐さん他の恋が、現代小説のように書かれているのも読みやすかった。
江戸時代の話は「みをつくし料理帖シリーズ」でだいぶ慣れていたのですんなり入ってきた。大坂の言葉も良かったなぁ。
心中というぐらいだから最後にはそうなるのだけど、想像するに結構むごいシーンを恋・純愛調に描いているのはさすがだと思う。こんな風にしか想いを遂げられないってせつなすぎる。
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2012/3/24 読了
300年前の名作が角田さんによって、イキイキと蘇りました。
文楽で観たときは、人形の美しさ、せつなさを感じただけでしたが、
角田さんが、お初の心情を細やかに綴っていったため、お初に感情移入し、自分ではありえない「心中」も自然に映りました。
自由がなかっただけに、「恋」の盛り上がりも半端ではなく、読んでいても自分が悲恋をしているような気持ちになりました。
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近松門左衛門作品の翻案。原作とは違いクライマックス直前で一度だけ揺れる初の心情の発露とその帰結、それから「この世のなごり、夜もなごり...」のくだりの訳が良かった。全体的に、悪い意味ではないけどやや拍子抜けするほど読みやすく仕上げられていると思う。
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近松門左衛門による同名の古典を、現代語で書き直したもの。
古典×角田光代、読まないと!
ということで、この本を知ってすぐ図書館で予約しました。
私の知識としては、なんとなく題名を聞いたことがあるのと、心中というのだから心中の話なんだろうなぁというくらい。
とても読みやすいです。
主人公、初の心情が丁寧に書かれている。さすがは角田さん。
好きな人を無条件に信じる気持ちや、疑う心。守ってあげなきゃと思う気持ち。
他の女性も何人か出てくるが、すべて、初からの目線でかかれている。
男の人は、まぁぱっとしない。徳兵衛さんの情けなさといったら。でも、好きになったのだから仕方ない。この人ほんとに死ぬことができたのだろうか。
恋する初に、1年たったら笑い話、10年たったら覚えてないわ、とおかみさんはいう。
そうだろう。そうであってくれないと困る。みんなそうなることを信じて、別れたり、あきらめたりするのだろう。そうして成長して生きていくと思う。死んじゃいけない。
でも憧れる。一番その人を好きで周りが見えなくなっている瞬間で、時間をとめてしまうということに。勘違いだらけでも、一番幸せなとき。
幸せな話じゃない。幸せな女性は一人も出てこない。
でも、こんな風になりたいと思ってしまう、そんなお話でした。
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読みやすかった。
たぶん中学生でも読める。難しい言葉さえクリアできれば。
話の大筋がよくわかるから、人形浄瑠璃を見る前に予習として読むのもいいかもしれない。
ただ、偏りはあるのかも。
ちゃんと原作読みたいな。
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すごく読みやすく、あっという間に読み終わる。
あらすじは大体知っていたので、結末がわかるんだけど
お初の心情がとてもうまく伝わってきて、
どうにかハッピーエンドにならない
ものだろうかと願いながら読んでしまった。
表紙と裏表紙のお初の顔がすごい、裏表紙に女の情念が
表れている気がする。のほほんと現代を生きている身としては
どうもすみませんってあやまりたくなる顔。
内容的にこの量が最大限なんだろうけど、もっともっと
読んでいたかったので、★は3つ。
また読み返すかどうか、それもまた微妙かも。
遊女の物語を他にも読みたくなって色々探してみるも
探せなくて、とりあえず芸妓物の宮尾登美子の寒椿を
買って読んでみた。他にも探して読んでみたい。
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角田光代さんの手にかかると、曽根崎心中もとても読みやすいものになる。
なんとなく、頭の中に「さくらん」の映像が浮かびながら読み進んだ。
いつの時代も、恋する気持ちは変わらないのね。
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うーん。思ってたよりあっさりしていて面白くなかった。
内容紹介
著者初の時代小説
300年の時を超え、究極の恋物語がふたたび始まる。
愛し方も死に方も、自分で決める。
江戸時代、元禄期の大坂で実際に起きた、醤油屋の手代・徳兵衛と、堂島新地の遊女・初の心中事件をもとに書かれた、
人形浄瑠璃の古典演目『曾根崎心中』の小説化に、角田光代が挑みました。
原作の世界を踏襲しながら、初の心情に重きを置き、
運命の恋に出会う女の高揚、苦しみ、切迫、その他すべての感情を、細やかな心理描写で描ききり、新たな物語として昇華させました。
運命の恋をまっとうする男女の生きざまは、
時代を超えて、美しく残酷に、立ち上がる―
この物語は、いまふたたび、わたしたちの心を掻きたてます。
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これが恋か。初は思った。これが、恋か。
ほほえみながら、泣きながら、高笑いしながら、
物思いにふけりながら、不安に顔をゆがめながら、
嫉妬に胸を焦がしながら、記憶に指先まで浸りながら、
幾度も幾度も、思った。
これが、これが、これが、恋。
(本文より)
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近松門左右衛門の有名な作品。浄瑠璃から、現代では漫画にまで幅広くリメイクされてる。
角田光代氏のものは、初の心の描写がリアルで引き込まれていった。
「どう生きていこう。」周囲の先輩の姿を見て、自分はどう生きていきたいのか、悩み続けるが、徳兵衛との出会いが、自分の考え方を変え、決心をつかせた。その心の変化を、丁寧に紐解いていく。それがリアル。
女性は男性の影響を少なからず受けて、生きていくもの。
一度、運命だ!と思った女性は強いし、ぶれない。自分にとって、この存在は唯一無二だと気づいた瞬間、強くなれる。
竹を割ったようにスパッと判断していくのも、その決意があってのこと。
不安や疑問がよぎっても、女性の決意は揺るがない。
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話は知ってますがちゃんと読んだことがありません。
レビューで見た「これが、恋。」に心惹かれました。ぜひ読みたいな。
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本日(5/22)開催のヨモウカフェ課題本。この本読んで愛とはなんだろう?と考える。
僕は以前にも書いたけど、人を本気で愛したことはない。いや正確に言えば家族愛とか、郷土愛とかはあるかもしれないが、一人の女性を心底から愛したことは無い。だから初の気持ちがよくわからんわけだが、本当に好きな人が出来れば苦しいと思ってた。でもそれは愛ではなくて恋なんだと最近分かった。
愛とは相手のことを思いやって、自分の人生はあなたに捧げるくらいの気持ちが湧くもんやと思う。会えなくてもその人のことを思うだけで幸せになる、それが愛じゃないのかな。だから例えば遠距離恋愛してて、相手のことを思って苦しむのは恋をしているだけじゃないのかな?愛していれば会えなくてもその人のこと考えるだけで幸せになるんじゃないかな?相手のすること、そばにいてくれるだけで満たされる、それが究極の愛ではないか。
学生時代の頃Kinki Kidsの歌で「愛されるよりも、愛したいマジで」というのがいまいち理解できなかった。今も理解できないのだが・・・。でも色んな本を読んでいると愛することは努力すればできることだと思う。自分の意識を変えることで人は誰しも愛することができると思う。そういう意味で言うと、僕はまだ意思が弱い。
またこの本を読むと運命はありえるのかと思ってしまう。あなたにもし配偶者がいるとすると、その方はあなたの運命の人と言えますか?初と徳兵衛はお互い運命の相手であると認識しているが、こういう情熱的な愛は冷めてしまうんじゃないかと思う。統計では恋愛結婚した人の幸せ度が結婚初期にピークに達し、月日がたつに連れて徐々に落ちていっているからだ。一方取り決め婚は結婚初期よりも夫婦連れそう期間が長くても落ちるどころか、むしろあがる傾向にある。そんな取り決め婚で出会った夫婦は運命だといえば、運命だが。そんな女性が仮にいたとすると、それは自分で認識出るのか、お互い直感でわかるんかな?考えれば考えるほど、分からなくなる(苦笑)
愛する人のために、自分の人生を、生活を犠牲にすることは美しい。それだけは言える。そしてそういう人が僕の目の前に現れたとき、僕は気付けるように日々、センスを研ぎ澄ましておかないと。幸運の女神は一瞬で消えてしまうように。
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江戸時代中期の大阪で実際に起きた心中事件。
島原の太夫である初と、醤油屋の手代である徳兵衛は、現世で一緒になれない我が身を哀れみ、来世で一緒になろうと約束をして心中する。
この事件を基に近松門左衛門が描いた作品が曾根崎心中。
そして2012年、角田光代さんが「翻案」に挑戦したのがこの作品。
この作品は、近松の描いた物語を現代風にアレンジしているほかに、角田光代がオリジナルの物語を挿入することで構成されている。
18世紀初頭の遊郭の世界を読者に身近に感じさせるためには、読み手側の知識を補完させるために、いくつかのエピソードが必要だと考えたからだとは思います。
この考え方自体は読者に親切ですし、読み手に江戸時代の遊郭という特殊な世界を伝えるには大切なことだとは思います。
が、しかし。。。
このオリジナルエピソードが非常にテレビ的というか、紋切り型のエピソードで食傷気味ではあります。
遊郭の女達の悲劇が、アイコン的になりすぎており、深いドラマ性を感じないのです。
この小説では、遊郭の女達の「終わらない日常」こそが、心中に走らせる最大の理由として描かれるのですが、この「終わらない日常」を考えた時のゾッとするような恐怖という点が描ききれていない感じです。
若者を死へ向かわせる「終わらない日常」を描いてこそ、曾根崎心中を現代の作家が描く意味というものが明確になると思うのですが、そのへんが非常に残念ではあります。
また、遊郭の女(お初)と間男(徳兵衛)のが満たされぬ思いを、限られた一夜で燃えたぎらせる性描写についても、筆が足りない感じがしました。
自由に逢うことが叶わぬ二人が解放される性的瞬間は、濃厚で永遠を感じるものでなければ、来世に対する希求という世界観に結びつきにくいとは思いました。
それともうひとつは、恋愛小説においては、男女のキャラクターが最も重要だと思うのですが、徳兵衛のキャラクターが非常に薄いのもこの小説のマイナス点ではあります。
お初が死を供にしてもいいと思えるほどの男とは感じられませんし、そもそも徳兵衛を魅力的に描こうとする描写はあるものの、ひとつも共感できませんでした。
原作である近松門左衛門作のほうですが、こちらに関しては冒頭から物語に引き込まれました。
主人公のお初の心象風景と大阪の街を重ね合わせて表現しているのですが、男女の儚い恋を仏教的な無常観に溶けこませて深淵な世界を作り出しています。
また、笑い・怒り・悲しみといったエモーショナルな抑揚を、美しすぎる日本語のリズムで物語るため、読み手を酔わせる魔力があります。
近松作品という非常に高いハードルに正々堂々立ち向かった勇気には感服しますし、流行作家である角田光代が作品を出すことによって、幅広い世代が古典に対する新たな発見をするキッカケとなればいいと思います。
私もこの作品をきっかけとして近松作品に触れることができたこともあったので、個人的には感謝しています。
江戸文学の入門としては、オススメです。
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近松門左衛門原作の人形浄瑠璃の古典演目を翻案した小説。ストーリーは本書を読んではじめて知ったのだけれど、以前観た映画「最後の忠臣蔵」でしばしば人形浄瑠璃のシーンが挿入されていたのを思い出した。
情死という結末は分かっているものの読み進めるにしたがって、300年前の遊廓の世界に足を踏み入れたようなそんな錯覚に陥る。業というか彼女らの狂おしいほどの情念が迫ってくる!
ちなみに角田さんの作品はすべて読破してる訳ではないが、時代小説も素敵だ。
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心中とか…暗すぎ…多分苦手…
と思いながら読み始めたのに、図らずも号泣(笑)作家ってすごい。
近松版を読んだことあるわけではないから比較はできないけど、しっかり女流作家もの!という味わいだった。
恋に狂う人のさまの描写(小説でも映画でも)が、自分はけっこう好きな気がする。
といっても、初は初めての恋で浮かれて盲目になって短慮ゆえに心中した、というわけではないところがいい。今の自分の立場で理性的に考えれば、社会的にほぼ破滅になった徳兵衛はともかく、それにつきあって若いあなたが命を落とすことはないよと諭したくもなる。けれども、幼いころに遊郭に売られ、先輩女郎のさまざまな人生を見てきて、若いながらも人生を達観してしまっている初が、今の生をこうして終わることを選んだことには説得力があり、その自然さが哀しい。