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「芸術の風土的性格」の章が印象深かったのでまとめる。
日本人≒ギリシャ人⇔ローマ人 という構造
ギリシャ人→舞台背景に自然の景色を使う。自然や風景への愛。これは自然のまま放っておいても美しい。
ローマ人→風景の美を顧みず、人工的なもののうちに享楽する。人工によって自然を支配する。
日本人→人口は自然を看護することで、却って自然を内から従わせることができる。人には、季節の移り変わりに従い、調和を保つ役割がある。庭園には注意・手入れが必要。苔や石などの間には「気」が合っている。
日本のことが出てきて身近に感じられるようになってからは読みやすかったが、冒頭部分は読みにくく、時間がかかってしまった。
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和辻哲郎が風土によって国民性が変わると説く本。
まず、世界を3つの気候区分に分ける。
ヨーロッパ型の牧場。
オリエントや中東を含む、砂漠。
アジアを含む、モンスーン。
ヨーロッパ型の牧場は、気候が穏やかで自然は統治しやすいため、技術で自然を押さえつけられるため、合理的な考え方に。
砂漠は、その気候に対抗しないと生きていけないため、攻撃的な性格に。また一神教も生み出す。
モンスーンは湿度が高いため、恵みも多いが天候が急変しやすく、旱魃や洪水で飢饉も起こるため、自然に対して忍従する性格になった。
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人間の性質は風土で決まるかどうか?を、「砂漠」「湿潤」「熱帯」の3種類の風土に分けて比較検討した本。ちょうどモロッコから帰国したてで読み、「砂漠」風土から生まれる人間の性質が、私が見て来たモロッコ人と多くの点で似ていたので、とても興味深く読めた。ちなみに日本人は、この本で言う「湿潤」に属するそう。独創的な文化人類学論。
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自然環境と人間活動の共通点や対立点が詳しく書かれている本です。人間はどうして自然と戦って、自然に服従しているのかを哲学的に分析しています。特に、日本について書かれている項がお薦めです!!
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文化や国民性を「風土」という視点から掘り下げたもの。モンスーン的風土の特殊形態だけを読んでも参考になる。日本人が公共性を持ち得ない理由を、「家」の概念から考察する。
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地誌学の目指すべき姿。既存タグに民俗学とあるが、せめて民族学なら理解できる。個人的には、四章が興味深い。庭園芸術の比較、日本庭園における釣り合いの連関および組織的統合と、五章で比喩された個々の文字と単語の関係、つまり意味を持つのは文字ではなく単語であるという表現は示唆的だ。外に現れた姿で内なるものを示す、文字の連結から意味を理解する方法が、本書の立場と言えば分かりやすいかもしれない。表音文字ではない表意文字である漢字を組合せている我々の仕方は、日本庭園の釣り合いの構造と連関すると言えるだろう。
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情報を読む力 学問する心などリファレンス多数。「寒さ」「冷たさ」などの言葉に人が反応する感覚は、単に気温が低いというのもあれば、風が強い、乾燥している、雪が冷たいなどそれぞれが在り得るわけで。
その他にも「神」や「芸術」など、こうした言葉と感覚のもつギャップを、主にシルクロードを遡る形で拾い集めていく本書を通じて著者が浮き彫りにしたかったのは、日本の四季が、我々にもたらすものが如何に多様かという点ではないだろうか。
発刊と同時に批判があったという点も、一般化という観点から言えば頷ける部分も多いにあるが、それは本書を単なるフィールドワークと履き違えているが故であろう。
本書が指すのは、文化風俗の形成プロセスに対する仮説という、科学的アプローチと言える。
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社会や文化を学ぶなら一度は通る本!
モンスーンがある、雨が多いなど風土の特色が社会文化の基本になっているという論について書かれています。
全てが正しい論理ではないと言われていますが、それでも考え方としては面白いですし、全く見当違いではないはずです。
うさぎや自治医大店 田崎
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非常に面白かったです。
風や雨がもたらす恵みや災い、その土地の環境そのものが人類に多様な影響を与えてきた。
砂漠やジャングルや温暖な地域、寒冷地など環境に応じて生活様式や思考方法が培われ、更に発展して宗教や芸術を生み出していく。
ローマの繁栄やギリシャの芸術性、アラブなど砂漠地帯の思考方法などを紹介してくれています。年代的に硬い文章ではありますが、豊潤で濃厚な表現で綴られていて読み進めるほどに興味をそそるいい本でした。
やはり日本の章には驚きと発見が多く、とても面白かったです。さすがに書かれた年代が古いので読み進めるのは苦労しましたが「こんな年代にこういう考察をしていた人がいたんだなぁ」って、そんな印象が自分にはとても面白かったです。
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[ところの視点]人間は特殊な「風土的過去」を背負っていると主張し、モンスーン地帯、砂漠、牧場の三形態を基に、その影響を考察した一冊。優れた直感に基づいた諸文化との比較から、今日においても読み継がれる日本文化論の代表的作品です(初版の刊行は1931年)。著者は、『古寺巡礼』でも知られる和辻哲郎。
解説で述べられているとおり、数々の観点からの批判が可能な作品ではあるのですが、その着眼点の新鮮さ、そしてすっと胸に落ちてくる説得力は今日的魅力を多分に有しているかと。抽象的故に理解が難しい箇所が散見されたのですが、上記の風土の三形態をシンプルに読み比べるだけでも、本書の主要なエッセンスは十分に吸収できるのではないかと思います。
和辻氏の世界観として、「いくつかの小世界が存在する」という根底が存在していることが本作からは読み取れます(風土を「比較」するという点においてそうなることは必然でもあるように思えますが......)。その小世界の区切り方として世界の風土をどのように和辻氏が切り取ったか、また切り取っていないかを知ることができるのも本書の魅力の一つだと感じました。
〜人間が己れの存在の深い根を自覚してそれを客体的に表現するとき、その仕方はただに歴史的のみならず風土的に限定されている。〜
考えるヒントを与えてくれる良作☆5つ
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「…さらにまたこの種の政治家によって統制される社会が、その経済的の病弊のために刻々として危機に近づいていくのを見ても、それは「家の外」のことであり、また何人かがおそらく責めを負うであろうこととして、それに対する明白な態度決定をさえも示さぬ。すなわち社会のことは自分のことではないのである」
第1章からいきなりむずかしくてつまづきそうになるが、第2章までいけば個別具体的な議論になってわかりやすい。有名なモンスーン・沙漠・牧場の3類型などはなるほどと思わせる(現代の水準でどの程度の妥当性があるかは疑問だが)。
日本人の政治に対する無関心についての箇所(3章の最後)は、ごく短い記述ながら現代に日本においてもがっつり適合してしまうのが興味深い。
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1979年刊行(初出1930~1948年)。
環境考古学的観点から見て、ギリシャが著者の言うほど木材の乏しき乾燥地域ではなかった可能性が議論されている中、そもそも本論の前提としての環境に関する事実に誤謬が混在する可能性は高い。この点は、シリアや肥沃な三日月地帯、あるいはナイル流域も同様の問題を孕んでいる。
また、古代文明が発生した中南米、環境的に特異なシベリア・オホーツクが抜けているのも、本書の論の正当性を欠く事情だろう。
しかし、初出年を考えると止むを得ない面はあるし、そこを割り引くならばなかなか面白い書だ。殊に芸術面への言及が多いのが特徴と言えそう。
とはいえ、やはり読む時は注意が要るのだろうな、というのは間違いなさそうだ。すなわち、
① 本書はいわゆる西欧優勢の時代=近代、に対するアンチテーゼを意図した書である点。
② 日本固有の文化的価値を称揚すべきとされた戦前昭和期という時代背景の中で生まれた所産。
③ 大半が印象論で、大掴みでしかない点。
④ 同じ地域でも時代により環境は変遷し、それは地球規模での変動の場合もあるが、この点は全く等閑視されている。
⑤ 人的交流など風土以外の要素に触れない。そもそも風土は重要ではあるが、数多ある多原因の中の一つにすぎない。
⑥ ここで使われる用語、特殊用語を定義づけしない。例えば、個人的には「超越」が不明である。
というように、一歩引いて読むと気づきがあるかもしれない。
なお、先の「超越」とは、主観と客観の境を超えるという意味か?。ならば越境という言葉にならないか。超越は、何か他のものを圧倒するというイメージが付されないか…。もちろん「超越」以外にもこういうのが多々ある。ここが問題なのは確かだ。
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題名からは想像できない(小タイトルにはなっているが)、深い文化人類学的な哲学書。昔の日本人の知識と文章力には脱帽させられる。ただ、内容については諸説あるようだ。特にまだ世界と交わりが少ない時代に書かれたものなので、各人種の類型化が現代の目で見るとかなり偏狭。ただ、日本人の考察については戦前に書かれた本であるのに、まるで太平洋戦争、その後の復興を予言しているようなところがあり、やはり考察が深い。
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和辻哲郎 「 風土 」風土(気候)が 人間の気質に影響し 文化を形成するとした本。日本人論としても読める。特に面白いのは 「日本人の家(ウチと外の関係)」「気合いの日本芸術」「日本人のモンスーン的な受容性と忍従性」
日本人の家について
*個人と社会の間に家がある
*家(うち)は 外に対して区別→家の内部で室の独立はない→門や垣根が外と区別し 玄関で脱ぐ
*社会のことは 自分(うち)のことではない
気合いの芸術(日本庭園、能楽、茶、歌舞伎)
*無秩序な自然に 自然の姿を見た→人工を自然に従わせる
*我々の感情のバランス(気合い)において 全体が統一→気を合わせるために 規則性は回避
*自然の不規則性、不合理性→自然は征服できないもの→自然とともに生きる
日本のモンスーン的受容性/感情は活発で敏感→疲れやすく持久力がない→疲労は 休養でなく 新しい刺激により癒される
日本のモンスーン的忍従性/あきらめつつ 反抗しながら 気短に辛抱する
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日本人がせこせこしているのに対してシナ人はゆったりしている。しかしそれは感情の細かなあるいは過敏な動きを超克して到達した境地、すなわち物事に動じなくなった腹の据わりなのではない。もともと彼らは動じないのである。