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ぴあが広く受け入れられたのは、メジャーな情報もマイナーな情報も均一に扱い、思想性、批判性を排除していたから。ぴあならではの、主張しない発信。
1972年に創刊か。私が生まれるよりも長かったのか。2011年に休刊ということは39年か。
1955年生まれの岩田さんというアルバイト1号の方は豊多摩高校出身。
ぴあチケットの回線に電電公社の回線を利用していた。真藤さんが会長だったころで、NTTデータもドコモもなかった時代。
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1970年代に
そのころなかった情報誌を創刊した状況がかかれています
まだ月刊のころの ぴあ を毎月買って、
あちこちの名画座にかよった頃が
思いだされました
たしかに まるぴ(ぴあをもっていくと100円引きになりました)を
なんどもつかった覚えがあります
また名画座通いをしてもいいかな
とおもいました
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ぴあのムックは買っていたし、ぴあのチケットに僕の名前が印刷された時は嬉しかった。それにしても、創業当時の奮闘には胸が熱くなりました。
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今さらながらに1970年辺りに政治の季節とユースカルチャーの時代との境目があり、その変化を直感的に捉え本能的に行動していった若者たちのエネルギーの軌跡。その主人公たちがみんな揃って1950年生まれであることは、たまたまではなく、必然であったと思います。振り返ると、自分の高校・大学時代は「ぴあ」を追いかけることで成立してたのかもしれない…としみじみ。しかし、本書は懐かしい青春プレイバックではなく、今こそならではのベンチャー戦記だと思います。だからこそ矢内社長が今、見てる景色についても触れて欲しかった。「ぴあ」を離れた仲間が時代をどう見てるのかについても触れて欲しかった。
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39年間続いた情報誌『ぴあ』の創業(1972)から90年代までの変遷に焦点を当てて執筆された本。
政治闘争が終結した1972年という時代の節目に、「都内の映画の劇場と放映時間を網羅した冊子があれば」、「若者のニーズは大人には分からない。若者の自分たちだからこそ見える」という田舎者・若者らしい発想が、同じような境遇の若者に「東京歩きに必須のガイド」と呼ばれるほどに慕われる、大きな企業を創り上げることになると誰が想像しただろうか。
確かな志を持った若者の気持ちを受け止め、積極的に協力してくれた「大人」の存在は読んでいて心が熱くなった。素性も分からない学生に手を貸し、流通経路を確保するということをしてくれるなんて、そうある話ではない。
「一見意味のない名前でも、多くの人に受け入れられれば意味を持つようになる」という、なんだか変わった理由でぴあという名前が決まったというエピソードも面白い。
「メジャーな情報もマイナーな情報も均一に扱い、思想性・批評性は排除する」という編集方針も、どこまで厳密に行なえたのかは分からないが、安心して目を通すことが出来る一因になっただろう。
チケットぴあの始動に伴い組織も大きくなり、新社員と従来の社員の空気の違いに戸惑ったり、創業時代の「面白いことに体当たりしていくという熱気」が希薄になったという点も目立つようになったが、今後も躍進していくのだろう。
なお本書には、ぴあが取り扱っていた情報の性質から、音楽(アングラフォークなど)、映画というサブカルチャー好きにはたまらない情報も多く載っている。これも魅力的だと思う。
自分用キーワード
名画座 及川正通(ぴあの表紙のイラストを担当) 『キネマ旬報』 フランソワ・トリュフォー 唐十郎(アングラ四天王の一人) 日本アート・シアター・ギルド 反代々木系全学連 高須基仁 シネマテーク・フランセーズ カンヌ国際映画祭中止 ブント系(共産主義者同盟のこと) 原将人(映画監督) 福間健二(映画監督) ジャン・リュック・ゴダール アメリカンニューシネマ ロマン・ポルノ ミニコミ メセナ 三号雑誌(出版業界用語) パジャマ党 『シティロード』 ぴあフィルムフェスティバル 大林宣彦 ぴあテン・もあテン ビデオテックス FILMEX(ロサンゼルス国際映画博覧会) アメリカ学生映画祭 スタンリー・キューブリック 真藤恒(旧電電公社総裁) PEFスカラシップ ルイス・ブニュエル ホウ・シャオシェン(『非情城市』) ぴあシネマクラブ 二・二八事件