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“日本語版は1962年『マルキ・ド・サド選集Ⅰ 美徳の不幸』(桃源社)の中に
「新ジェスチイヌ抄――ジェロオム神父の物語」として翻訳・発表された
(現在『美徳の不幸』河出文庫に収録)。
本書はその抄録版で、題名を「ジェローム神父」とした。
挿絵も本書のオリジナルである。”(p2)
◎澁澤龍彦=訳 会田誠=絵
【あとがきにかえて】
「異常と正常」澁澤龍彦
【会田誠をめぐって】
「現代文明の闇を見つめる確信犯」三潴末雄
【解題】
「澁澤龍彦航海記――船出まで」高丘卓
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なんだこの面子。原作・訳者・画師、凄まじいデカダンス臭。
眩暈がするほどの悪道。
現代の法律・道徳・我々の感覚に照らし合わせれば(もちろん当時も同じでしょうが)、クリソストム院長の弁論は紛うことなき詭弁ですが、
ならば彼を完全に調伏するための説明があるかと問われれば。
要は、理屈じゃないのだ。
人間の良心が、いかに脆く曖昧な認識のもとに成り立っているのか気付かされた。
巻末に引用されていた哲学者ヤスパースの言葉に感じ入る。
「正常であるということは、同時に精神の貧困を示すことでもある」
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澁澤龍彦=訳、会田誠=絵。サドは相変わらずサドであり、澁澤は相変わらず澁澤だ。
サド小説の特徴は、人間性・美徳・宗教的道徳的なるものへの徹底的な軽侮と、異常性・悪徳・瀆神への傾倒だ。神や人間性に対する信念を嘲笑唾棄する。登場する男たちは、他者(多くの場合は女)を己の快楽の手段として物化する。彼らにとって、女は男の欲望の赴くままに性的快楽を搾り取られる奴隷でしかなく、独立した人格とは看做されない。まして性的快楽への欲望に於ける女の主体性という観念は一切認められず、予め思考の埒外に排除されてしまっているかのようだ。 フェミニズムを通過した現代に於いて、「異端」の標本という以外に、如何なる読み直しが可能なのか。ところで、サドや澁澤に女の読者はいるのだろうか。彼女らは、彼らの作品中に於いて自らの性が男の専制によって性的快楽の為の手段に貶められていることに、何を感じているのか、前々からの疑問だ。
「女がおれといっしょに快楽を感じることくらい、おれにとって癪にさわることはない」
「おれの完頂の神聖な溢出と、おれの相手の女の断末魔の吐息とが混ざり合うことを思うと、ぞくぞくするような愉悦を覚えずにはいられなかった。彼女がこの世のもっとも残酷な瞬間を経験するであろうとき、おれはこの世のもっとも甘美な瞬間を味わうのだ、・・・」
「はっきり言うが、おれは道徳が人間に必要などと、一度だって考えたことはない」
欲望とは、予め乾涸び続ける以外にないところのものだ。無際限の砂漠。
「・・・、放蕩の領域を常に広げていかなければ、ある放蕩のなかで約束された幸福の一定量にたちまち到達してしまうだろう・・・」
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会田誠さんの『犬』は衝撃的だった。美少女が、性的妄想の俎上に乗せられながら、恰も無人格ゆえに無垢であるかの如き微笑を浮かべている。2012年11月から2013年3月まで六本木の森美術館で、表紙・挿絵等の全ての原画が展示されている。
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「今が楽しければいいじゃん」
となにが違うのだろうか。
悲しいほどに正しく、ひとつの食い違いもなく、ただ欲するまま行動し、死体がいくつも増えていく。
しかし、それを安心して眺めていられるのは、どこかでこれはまったく非常識な非日常だと決めてかかっているせいだ。
そして、主人公のジェローム神父自身もまた、それに似た安心をしているのではなかろうか。
彼の立場は、ひとつも揺らがないのだから。
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マルキ・ド・サド=原作、澁澤龍彦=訳、会田誠=絵という狂気のコラボレーション。この表紙の持つパワーを見てもわかります。作品自体は抄訳なので、ちょっと消化不良です。これでも十分にサドの世界観を垣間見ることが出来るとは思いますが。とはいうものの途中に挿入される美味ちゃんシリーズなどのイラストがその消化不良の不満を和らげてくれます。同時に収録されている会田誠についてのエッセイも興味深かったです。とりあえず、本作を読んでみて、どう感じるかで自分の性的な嗜好が異常かどうか確かめてみてはいかがですか?
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偶には変わりダネで…。
澁澤龍彦と言えばサドの翻訳や快楽論など、博覧強記、眉目秀麗だが、性的に怪しく、というイメージが強い。その変態性を突き詰めたのが本著で、少し気が散るが、かの会田誠の挿絵で飾られる。性的興奮を得たいような目的なら、やめておいた方が良い。一部にしか受け入れられない趣味の世界だ。
子供には見せられない一冊。
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終盤とうとうと語られる自らの非道な所業を肯定する様な論理は全ての悪に共通するものだ。創作の中で悪のキャラクターを創造するのには参考になるかもしれない。