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風景をデザインする。ランドスケープアーキテクチャなどと称される分野だが、我々はなんとなくそれを「はこもの(ハード)」から想像しがち。
はこものも風景の一部ではあるけど、全てじゃない。
そこに集まる、ひとの活動(ソフト)があってはじめて「まち」ができる、「公園」になる。
(能動的な参加意識のある)ひとの循環が盛んな場所というのは、新しかろうが古かろうが魅力的な風景がある。
その逆もまたしかり。
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ランドスケープはハードの仕事と思われることもあるけれど、地理、民俗から地域経済までをつなぐ力を持っていなければいけない。
あったものをうまくもちいて「新しくつくらない」ことで、ほんとうの長い関係がつくられる。と。一方で、つくらなければならない仕事もある。いらないものをつくらないこと。そのやり方、考え方の対談集。
対談は既成概念を揺さぶってなかなか面白いのだけど、一人ひとりのページが短くて、盛り上がりきる前に終わってしまいます。
若い人の根拠の薄い「脱ハード」の話、デザインを思考すると、行き着く先は農業になると。興味深い。
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職場の本屋について学芸出版社の棚ができて、そこから購入。
長谷川さんと山崎さんというハードとソフトのデザイナーが、おもしろそうな人を呼んで、おもしろくお話している。都市計画とか建築設計の関係者にはなかなか刺激的だと思う。
自分でおもいつく点。
(1)都市計画や施設計画のクライアントという切り口。要は、利用する人のためを思って設計をすべき。これは、復興事業などを考えれば、被災地の住民や起業者の立場にたって設計すること。
簡単なようで、難しい。大規模な土地区画整理事業が本当に被災地の住民の期待することとあっているのか、といった課題にきめ細やかに対応する必要がある。
(2)都市公園というのも、公園緑地課長のような発注者ではなく、公園を利用する近所のおばさん、あかちゃんなどの立場で設計し、改造していく必要がある。そうしたら、今の建坪率制限なども、むしろ、地域の必要な機能を阻害しているかもしれない。
先日、建坪率制限が、条例で緩和できることになったことについて、運用基準でいいわけがましくあんまり緩和してほしくないと、ぐちゃぐちゃ書いてあったが、本当に必要なことは、地域の住民に役立つ、にぎわり、たちより、雑談の場として機能するために、どうしたらいいかということを、技術的に助言すべきだと思う。
(3)地域の将来像。都市計画の本を読むと、都市の将来像とか市街地像とかでてくるが、本当は、その時の住民の方々の意識、ニーズで柔軟に変更すべき事柄ではないか。そもそも、都市全体の将来像などを決めるというよりも、もう少し、単位を小さくして、地域住民の望む姿を地域の将来像としてどんどんつくり、どんどん変えていくといった発想が大事なのではないか。
今日は、年度初めにふさわしい、刺激的な本を読んだ。ついでに花粉症でゴミ箱もちり紙で一杯になってしまった。
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「つくること、つくらないこと」ランドスケープという切り口で、生き方、働き方、コミュニティ、まちづくりを魅力的なアクターが語り合う。予定調和を感じる嫌いがなくもないが、微妙な主張の相違が入り乱れて面白く読んだ。コミュニティに活かされる図書館にも大いに参考になる。
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思っていた通り、ワクワクする本だった。与条件を整理して、その中であれこれと考えていく思考を一般的にしていくけれど、その「与条件」が本当に前提とされるべきものなのかどうかについての議論はとても大切だと思う。世間的に「当たり前」の中で組み立てていくと、尻すぼみ的な発想になってしまう。本当に「当たり前」なのだろうか、「当たり前」と思っていることを変えていくためには何ができるのだろうか。そんなことを考えていると、自然とワクワクしてくるし、そうしないとまちが面白くなっていかない。
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ふたりのまちづくりのプロ、アプローチが真逆で面白い。
じっくり時間をかけて、「誰を相手に」デザインしていくか、きちんと噛み締めて、ものを作る長谷川さん。
ものは作らず、あるものをどう活用するか、それを考えるコミュニティをデザインしていく、山崎さん。
顔の見える土木を目指す上では、コミュニティデザインのスキルが大切で、自分の目指す方向は山崎さんに近いと思った。
一方でハード設計スキルもとっても重要で、ものを作る側の思いも伝えれるようになるには、まだまだ今の仕事から学ぶべき。
誰のために、まちをデザインしたいのか、常に自身に問いかけながら、作る、使う、のバランスをとれる仕事人になりたい。
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街・都市計画には、ハードとソフトの融合が必要だとよく分かる対談集。すでにあるハードを効果的に利用するためや、新しいハードを作るときに利用者が使いたくなるものにするために、利用者にあたる地元住民とともにワークショップなどを通じて作っていくことを説いている。私もぜひやってみたいと思っている。その土地にある何気ない田園や山林、旧跡にスポットを当て、うまく活かすことや再生することで、土地への愛着を高めて住みたいと思う街が増えることに貢献してみたいと感じた。
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つくる派の長谷川浩巳氏と、つくらない派の山崎亮氏が、建築家や哲学者らと対談したものをまとめた一冊。
・日本の都市空間は、建築物や施設の見た目はきれいだけど、「場所」としては貧しい。
・これまでの社会は本気でハードを作ってきた。これからはハードの蓄積を解釈するようなソフトを本気で育てていくべき
・新しい公共空間を作っていくためには、行政頼みよりもプライベートを開いていくほうが手っ取り早い。
といったフレーズが、すごく腑に落ちる。
また、最後の対談相手に鷲田清一氏を持ってきたのも良かった。
デザイナーに対する注文として紹介していた「人々を受け身にしないこと」「多義的なものを多義的なままにしておくこと」というフレーズは、なるほどなあと、気持ちの良い読後感を与えてくれた。
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つくること、つくらないこと。ハードとソフト。風景とはカタチであり同時に関係である。
ランドスケープデザイナー長谷川浩己(つくるひと)とコミュニティデザイナー山崎亮(つくらないひと)が様々な建築家や哲学者と鼎談してできあがった一冊。考えるヒントがいっぱい。
公共施設や町づくりを通していかに地域を良くしていくか。ハードの整備に走ってきた日本。これから必要なこととは。
まとめきれないけど、印象に残ったもの。
イギリスの公園とピクニック(社交)の話。日本の公園との違い。
縄を張って囲い込むようなイベントは面白くない。event = 偶発的に起こる出来事。企画して主催されるプログラムとは別物。
トレンドを出せば出すほど古いとか時代遅れなどの言葉がついてくる。
デザインとは、社会の課題を解決するために振りかざす美的な力。
デザインは、常に新しいモノの形を提示して人々の不足感を煽り続けることだけではない。
「招かれている」感覚。お招きにあずかっているという感じの方が日本の風土には合っている。所有者(主体)のあるプライベート空間の方が本当のパブリックになる可能性がある。
生命の進化から考えれば、進化の最前線にいる自分がどこに向かっていくかなんてわからない。オープンエンドという概念。計画が本来理想ではない。
…などなど。
これまでの町づくりは、ハードの整備と押し付け型の地域おこしが多かったのではないか。主体は誰か。カタチだけ整えるんじゃなくて、時間のゆるす限りちゃんと対話をするようなそんな働き方がしたい…と思った。
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太田浩史 →これからのつくりかた
廣瀬俊介 →つくるプロセス、つくったあとの関わり方
ナガオカケンメイ→ロングライフデザイン
鈴木毅 →「他者との関係」における場所の勾配
馬場正尊 →クライアントは誰か
西村佳哲 →つくることは人間性そのもの
芹沢高志 →仕掛けて、人を「喚起」させる・場所を「喚起」させる
想定外こそ、クリエイティブ
広井良典 →コミュニティを多層にする、つながりかたにグラデーションをもたせる
鷲田清一 →「能動的受身」な態度。多義的であること。批判的であること(提案があること)。
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長谷川浩己「星野リゾート」「ハルニレテラス」ランドスケープ
山崎亮
太田浩史
廣瀬俊介
ナガオカケンメイ
鈴木毅 大阪大学大学院准教授
「まちの居場所」
馬場正尊
芹沢高志 アートディレクター
P3 art&environment 別府「混浴温泉世界」、四谷東山長寺の記念事業
■ランドスケープアーキテクト
上山良子 長岡造形大学学長
ローレンスハルプリン
フレデリックローオルムステッド
バックミンスターフラー
■「居場所」がある建築
埼玉県宮代町立笠原小学校
象設計集団 高野ランドスケーププランニング
マルヤガーデンズ
ハルニレ
■イベント
Inprov Everywhere ニューヨークを拠点に公共空間に混沌と喜びのシーンを起こす活動集団
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この書籍を読んでて最も刺さった話。哲学者の鷲田清一さんの話。
「公園は上手にひとりきりになり匿名になれる場所。京都という場所は公園がない分、喫茶店やバーが機能している」公園で物思いにふける時間、散歩の時間って都市生活者には重要。
蛇足だけど、以前、私が住みたい都市という書籍で、建築家と社会学者が対談したものがあった以降、社会学者の人たちの凄さを感じた。彼らと30代を過ぎたあたりで話を聞いてみると、本当気づかされることあるように思う。
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京都駅の大階段のパブリック性
責任の所在が運営とかけ離れたことによる規制
→公共空間の窮屈さは民間施設でも同じ原理で生まれてくる。
早稲田大学大隈講堂前
かつては車座で酒が飲めたし、ばか騒ぎができた。
シビックプライド、帰属感
ハコモノ行政という批判は物語のないただのモノだから
賑わいだけではなく、思い思い、たたずむ、居合わせるなどの創出?
公共空間は役所の私有空間だと思っているのではないか。
所有と利用を分けるのではなくて、利用を重ねていくことである種の所有権が発生する。
民間のデパートも、タダて借りてほしいとなれば公共空間となる。
維持管理のため、デザインのために空間が「稼ぐ」ようにする。
再開発は大衆を相手に?モチベーションクライシス
効果的と効率的
複数のコミュニティに属する。逃げ場。
コントロールできなコト、モノをデザインする。
外の視点。視点の差し込み。
空間の最大化ではなく価値の最大化
クライアント=ユーザー
→再開発のクライアントとは?計画部が社内クライアント化することの是非
パブリックの居心地 Alone together
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公園のあり方で、講演に色が出ても良い、特定の人は使わない、特定の人が使うための公園設計でも良いという考えは新鮮だった。
ワークショップで何がほしいかをきくのではなく、何でそれがほしいと思ったのかを聞きたい。
地縁型コミュニティと農村型コミュニティ、都市型コミュニティとテーマ型コミュニティは似ているが違う。
農村型コミュニティは自分を中心とした同心円で広がるもの、都市型コミュニティは個人が確立した上で、言葉や理念でのつながりをイメージする。
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対談(鼎談)集という形態がはたしてどうかな(軽すぎるかも、とか、芯がないかも、とか)と思っていたが、読んでみると単純でなく、ちょっと奥深い本。
通底しているのが、ランドスケープデザインにおける「ハードとソフト」ということで、ハード派の長谷川氏とソフト派の山崎氏が「二人での葛藤」をする中、三人目を巻き込んでヒントを得よう、というスタイル。これが面白い。山本理顕の『つくりながら考える/考えながらつくる』にも似た魅力が放たれている。
つまり、(元々は)雑誌向けというやわらかい文章でありながり、ハードだけでなくていかに市民との関係なり状況(コト)なりをバランスさせていくか、というとても本質的なところがズバズバ話されていて、良いのだ。
山崎亮の仕事は本書のなかで「状況づくり」「物語づくり」等と表されているが、そんな山崎さえも、「アンチハード」という最近の学生の傾向には危惧を抱いていると話していて、ニヤッとさせられた。