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かつて、「月曜夜9時は街からOLが消える」と言われる時代があった。トレンディドラマと呼ばれるものが全盛であった、つい20年ほど前のことである。
しかし、もっと時代を遡れば、街頭テレビに民衆が群がり、プロレスラーに声援を送っていた時代もあった。この時代は逆に、放映時間に家から人が消えたという時代であったことだろう。
今を起点に過去数十年を振り返るだけで、私たちが時間に感じる同時性というものが大きく変貌を遂げたということがよく分かる。その背景には、常に科学技術の進化というものが存在した。
本書で描かれているのは、さらに、そこからもう一歩奥へと踏み込んだ世界の話である。すなわち、科学技術の進化を生み出した背景に、どのような宇宙観の変化があったのかということだ。
ITが社会をどのように変えたか、その類の本を見かけることはよくあるのだが、宇宙科学ひいては宇宙観が我々の社会をどのように変えたか、そのような切り口で書かれた本は稀有なのではないかと思う。それを著者は、「時間」という補助線を巧みに使うことで見事に表現している。本書はそんな人間的時間と宇宙的時間、2つの時間をめぐる壮大な物語だ。
まず人間的時間、その歴史は「一瞬」というものが形成されるまでに、どれだけの時間を要したかということでもある。
はるか昔の原始共同体の時代、時間は共同体の内部に存在するものであった。同じ時間軸を共有し、儀式をとりおこない、共通の記憶とともに共同体の規範・伝統を継承する。それが、農耕を中心とした社会構造が作られるようになると、時間そのものが年ごとに再生されるようになっていく。
一日を明確に分割する単位がはじめて登場するのは、都市革命のころ。さらに産業革命の頃になると生産効率性を追求するために、分が時間的交換単位となり、時間は圧縮され抽象的なものになる。と同時に、かつて共同体の内側に埋め込まれていた時間は外側へと取り外され、客観的に計測可能な定規としての時間性を持つようになったのだ。
やがて地球の端から端までが電信線で結ばれるようになると、電気的に調整された新時代の時間は、1秒よりはるかに小さい区分へと変わっていく。
一方で宇宙的時間、その歴史は宇宙創造という「一瞬」をめぐる議論へと収斂されていく。
コペルニクス、ケプラー、ガリレオ。歴代の科学者たちは、先人の理論を覆しながら、一歩づつ時間を作りかえていった。決定的に大きな変化がおきるのは、ニュートンとアインシュタインの時代である。
ニュートンは絶対空間と絶対時間というものを定義することで、運動を定義するための枠組みを作ることに成功した。空間を絶対不変の箱のようなものだと考え、その中で起きる物理現象を考えたのである。それに対しアインシュタインは、空間そのものを研究対象とし、その歪みに着目することで新たな時間を生み出したのだ。
その後、アインシュタインの相対性理論から、量子力学や素粒子物理学の分野に至るまでの諸概念を総動員し、特異点としてのきわめて重要な「創造の瞬間」へと向かう。それが宇宙の始まり、創成だ。しかしそ��後、「創造の瞬間」という概念そのものも、揺らいでしまうことになってしまうのだ。
この人間的時間と宇宙的時間という二つの時間。この両者がお互いに影響を及ぼし合う様こそが、本書の見所の一つでもある。その触媒となったのは、両者における物質的な関わりというものである。
物質的関わりとは、古くは手で粘土をこねたり、火のなかに鉄鉱石をくべたり、羊毛を木の枠に張って引き伸ばしたりすることを指している。これらは徐々に進化しながら、人々は新たな方法で物質世界と関わるようになっていく。その過程で、時間は欠かせない要素であったのだ。
その代表的なものが、機械式時計の導入である。これによりヨーロッパは1日の秩序を変え、やがて天空の新たな比喩を生んだ。労働者が、タイムレコーダーに支配された、効率的な生産のための新たな生活に入っていくにつれ、彼らの世界は、重力と運動の簡潔な法則に支配された軌道を惑星が規則的に動いていくという、新たな時計仕掛けの宇宙像を忠実に写すものとなったのだ。
それから何世紀も経ち、今度は蒸気機関が導入される。この出来事が産業革命という新たな時代の幕を開け、タイムカードに基づいた労働者の生活リズムを促した。それだけでなく、蒸気機関で駆動する機械から生まれた熱力学の科学は、エネルギー、エントロピーという概念を生み出し、宇宙論的思考を作りかえる独自の比喩や道具をも生み出したのである。
また20世紀の幕開け直前に、列車と電信線が登場したことも、長距離における同時性の新たな経験を作り出す。これらはまさに、アインシュタインの相対論の基礎となるものであった。
本書に流れる半分の時間、すなわち人間的時間を理解するのは多くの人にとって容易なことであるだろう。しかし残り半分の宇宙的時間の世界は、ハードルが高いと感じる方も多いかもしれない。実際に僕も、何カ所か理解のあやしいところがあった。言葉尻は追えるのだが、具体的なイメージがわかないのである。
それでも僕がこの本をおススメしたいのは、本書がその深淵なる宇宙の世界へと誘う力が非常に強いということにある。
過去5万年の文化の変化を思い返せば、デジタル技術などを通じて実現する人間的時間の変化は、宇宙的時間の変化を反映するということが予想出来る。宇宙観なるものが、戦略や戦術に落とし込まれテクノロジーへと変化するまでには時間を要するからである。この実態が宇宙的時間と人間的時間の時間軸をずらすことで、非常に良く見えてくるのだ。
例えば相対論物理学の世界。この世界において、同時性の基準はすべて座標系に依存する。ある二人が正確に同じ瞬間、同じ「現在」に生まれたという主張は、実際には、その時間の測定をおこなった人の基準座標系によって変わってくる。相対論では、同時性もまた局所的になるのだ。
これを、現在のネットのつながりが可能にした疑似同期や選択的同期という概念と照らし合わせながら考えてみると、実に良くイメージができ、なんだか分かったような気にもなる。そこに宇宙的時間と人間的時間の100年近いタイムラグが垣間見えるのだ。
もっと愚直に述べると、相対性理論という宇宙的時間が技術��まで落とし込まれたGPS、これを携帯電話に搭載することにより、超高精度の空間が超高精度の時間と織り合わされ、新たな人間的時間の構築が可能になったということである。
つまるところ、宇宙的な時間とは人間的な時間の未来を指しているとも考えられるのである。宇宙論は決して科学者たちだけのものではなく、我々の未来でもあるということだ。であるならば、はたして、ビッグバン理論以降の代替宇宙論とされる、ひも理論やブレーン宇宙論、多宇宙モデルといった新しい宇宙観は、われわれの社会にどのような形で再現されることになるのだろうか?
本書で描かれているのは、人間的時間に関する「瞬間」のヒストリー、そして宇宙的時間が投げかける未来の社会へのミステリー。読んでみたけど、よく分からなくってヒステリーっていうのだけは、ご勘弁を!
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古代以来、時間の観念がどのように変遷してきたのか、そしてその陰に天体観測がどのように寄与してきたのかというところから書き起こし、それに繋がる流れから現代の最先端宇宙論にまでを網羅する一風変わった切り口の書。
昼と夜しか区別の無かった時代、季節を意識し出した時代、時間を発見した時代、そして分・秒に生きる時代と時間の歴史書といえば歴史書だし、時間は空間と共に伸び縮むものという新たな意味を発見した相対論から最先端のヒモ理論やマルチバース理論までを概観する宇宙論と言えば宇宙論とも読めるし、読む人によって捉え方は色々だと思うが、どちらにしても十二分に楽しめる内容だ。
だが、本書の最後の結論部分では一転して、我々の社会の時間と宇宙の時間を含めて改めて「時間」の意味を再構築して考えなければ今の宇宙論におけるブレークスルーは望めないのでは無いだろうか、と問いかけている。
即ち、ビッグバン理論を支えるインフレーション理論も必ずしも万能ではないものの、それを補完するためのヒモ理論・マルチバース理論などが現代では主流になっているが、それは時間というパラメーターの無い量子物理学に基づくもので、更に言えば宇宙には始まりも終わりもなく遂には時間の流れは無いという議論にも繋がることになる。
一方で、過去数10年もの間の宇宙論の主流を占めてきたヒモ理論から出てくる宇宙は無限大の数の宇宙の存在可能性をベースにしており、今我々の住むこの宇宙の創生を単純な確率論に矮小化してしまうし、本当の意味で宇宙の謎に迫ることを放棄している。だからこそ今一度時間についての思考を突き詰めるべきだというのだ。
読んでいて最後の結論のところ、「時間を捉えなおす」部分はちょっとばかり分かり難いのだが、個人的にも確かにヒモ理論やマルチバース理論には思考放棄的な部分が感じられるので新たな枠組みを積極的に構築すべきとの論には頷けるところ大である。
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読み終わったのではなく、途中で一旦放棄です。途中といっても最初のところで。
読みだしてもどうもノって読み続けることができませんでした。
内容が幅広くて、あちこちに振り回される感じがするのと、振り回されながらも芯が感じられなかったので疲れて読み続けることが苦痛になってきたというところです。
連続して読むのを諦めて、興味の湧きそうなところから読んでみたりもしたのですけど、やはり振り回される感じが拭えず、読むのは一旦放棄となりました。
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読了★3。生活上の「人間的時間」と、宇宙論に関わる「宇宙的時間」の交差という視点で、「時間」の歴史と意義を考察。神話からポスト・ビッグバンまでをカバーしており興味深いですが、やや読みづらい文章(翻訳)。
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石器時代から現代まで人間が時間をどう捉えて来たのかをわかりやすく解説してくれる本。
宗教、哲学、文化史、物理学、天文学など多くのジャンルにまたがりますが、
専門知識が必要なところまでは踏み込まないので読みやすいです。。
大学の一般教養の授業みたいな内容でしょうか。軽くノート取りながら読みました。
なかなかこれだけ知的で面白い講義もないと思うので、本で読めちゃうのはお得だと思います。
人間が宇宙をどう見てきたかを、古代から現代まで追っていくという点で、
サイモン・シンの『宇宙創成』とかぶる部分もありますが、
サイモン・シンが人間ドラマの面白さを描いたのに対し、
こちらは知的な思想哲学の面白さにページを割いていると思います。
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人々の宇宙に対する考え方、時間に対する捉え方が、
いかに人間の実生活や社会の仕組みの変化と分かち
がたく結びつきながら変わってきたか、ということに
ついて書かれた本。その意味で、単に宇宙論・時間論の
歴史を描いているのではなく、宇宙「観」時間「観」の
歴史について述べている本だと言えよう。世界観の歴史
と言ってもいいかもしれない。特にアインシュタインの
相対性理論の登場までの前半部は、社会の変革と世界観
の変化が上手に結びつけられており、とても面白い内容
だった。
話がビッグバン理論登場以降、現在のものになると、
宇宙論の変化の方にばかり焦点が当たっている感じが
あり、少々残念。ただ、その中で「ビッグバンに代わる
新しい宇宙論が様々登場していること=宇宙観の変化」
が、「新しい社会の到来」を示唆しているのではないか
という観点は興味をそそられるものがあった。
文章は決して易しいものではないが、それを補って余り
ある魅力に溢れた本だと思う。