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ひと言で評せば「キリスト教の社会学」と謂うが相応しい書だ。
自身の認識不足、不勉強を思い知らされつ、
キリスト教を軸に歴史の、とりわけ西欧史の勉強をさせていただきました。
「無神論-二千年の混沌と相克を超えて」の著者新刊の書。
まえがき冒頭においてー
日本人には「近代はキリスト教を根にもつ」ことがわかりにくい理由は、「非キリスト教国に住む日本人には、西洋近代のパラダイムを作ったキリスト教の要素が見えにくい」という単純なものではない。
より本質的な理由は、近代以降、西洋キリスト教諸国によって書かれた「世界史=西洋史」が、「反キリスト教」プロパガンダによってねじ曲げられているからなのである。
換言すれば、「日本人はキリスト教になじみがないからその本質がわからない」のではなく、「反キリスト教」のバイアスのかかった「西洋史」を学んできたからわからないのである。
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西洋の世界史はキリスト教を土台に据えつつも、それらを否定することで近代が生まれているとして論を展開している。
確かに面白い論だが、新書にしては堅い文面が多く、もう少し簡単に書けないものかと思ったので★3つ。
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キリスト教からヨーロッパを中心とした世界の歴史がなんとなくわかる本。
歴史の勉強として読んでみるととても面白く読める本でした。
ブログはこちら。
http://blog.livedoor.jp/oda1979/archives/4215671.html
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ユダヤ教と比較して普遍性を持ったキリスト教,西洋諸国に広がる過程でプロテスタントがカトリックから生まれてきた.欧州諸国のキリスト教に対するスタンス,資本主義に対するキリスト教の立場,平和に対するキリスト教の考え方... どの論点も難しいが,様々な事例を示して分かりやすく解説している.
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現代の市場主義自由経済の諸概念がプロテスタントの価値観で生み出されたものであり、その生みの親であるカトリック的なものが意図して隠蔽されていること。日本をはじめ非キリスト教国が本質を理解しないで西洋近代に相乗りしているため国際社会の中で相互理解を阻んだり、振り回されていることについて、よく整理されていて、わかりやすかった。
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フランス(プロテスタント)とアメリカ(カトリック)の違いを描いてくれているのは、なるほどと腑に落ちる部分もあれば、それは根拠になるのか?と思う部分もあった.(がただ単に自分が勉強不足だからなきもする)
本文の主旨とずれるかもしれないが、一番印象に残った言葉を以下に記したい。
「愛することと信じること以上に束縛を嫌うものはない」(アメロ・デ・ラ・ウーセ『ドサ枢機卿の書簡』)
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日本で教えられている近代史は反キリスト教的立場に立って論じられている。西洋を中心として発展した近代史・世界情勢について、キリスト教を無視して論じることはできない。日本の歴史教育で、この点はあまり重視されていないと思うが、それで果たして、自分自身の頭で本当に世界情勢を理解することができるのだろうか、と感じさせられた。
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[ 内容 ]
キリスト教は、出現した当時のギリシャ世界において、既存の宗教の枠を超える「型やぶり」な思想であった。
ユダヤ教から派生した「突然変異」ともいえるキリスト教が、ギリシャ思想の精髄を吸収しながら古代ローマ世界に浸透し、やがて近代ヨーロッパを覚醒させる。
本書では、教義に内在する普遍主義の歴史的連続性を読み解き、修道院がその伝承を担った中世の世界をさぐる。
近代主義者たちはキリスト教の歴史事実を意図的に否定するが、その歪曲がなぜ必要だったのかを考える。
キリスト教という合わせ鏡をとおして、現代世界の底流にある設計思想を解明する探究の書。
[ 目次 ]
第1章 ヘレニズム世界に近代の種をまいたキリスト教
第2章 「暗黒の中世」の嘘
第3章 「政教分離」と「市民社会」の二つの型
第4章 自由と民主主義の二つの型
第5章 資本主義と合理主義の二つの型
第6章 非キリスト教国の民主主義
第7章 平和主義とキリスト教
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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権利の章典には、カトリック教徒は国王になれない、と一文入っている。
ブレア元首相の奥さんは熱心なカトリックで、ブレアは首相中は聖公会だったが任期後にカトリックに。
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キリスト教、とくにローマ・カトリックの思想が、ヨーロッパ精神史の形成においてどのような役割を果たしてきたのかを論じ、現代のグローバリズムにもその影響が引き継がれていることを考察している本です。同じ「ちくま新書」から刊行されている土井健司の『キリスト教を問いなおす』が信仰内容に立ち入った考察を展開しているのに対して、本書はやはり新書版で刊行された橋爪大三郎と大澤真幸の『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)や、宗教という切り口から現代の国際政治を読み解く佐藤優の諸著作に近い内容だといえるように思います。
ヨーロッパ精神史のなかで少しずつ形成されてきた「政教分離」「民主主義」「資本主義」「非戦」などの理念が、キリスト教の「ユマニスム」という地下水脈を秘めていたことを明らかにするとともに、そうした事情が見えにくい非ヨーロッパ人である日本にとって、グローバリズムへの対応の死角となっていることが指摘されています。
キリスト教そのものについて知りたいと期待して本書を手にとったので、少し肩透かしにあったような気分にもなりましたが、それでもおおむね興味深く読むことができました。
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タイトルから想像するよりもずっと広く難しい考察が展開されている。10回くらい読んでようやく理解が追い付くかもしれないという気がする。あとがきを最初に読むのがおすすめ。また、5つあるコラムが面白い。
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・私たちは病気を治し、飢えと渇きを癒し、怪我を治療したいと思う時に、薬や治療法の「国籍」は問題にしない。個人のレベルでは、神仏に祈ろうと、エビデンスのない代替療法に走ろうと、その結果、奇跡的に治っても、悪化して命を失っても、「全体」の「進歩」に結びつく普遍性は持ち得ない。私たちのするべき最善のことは、今の時点でエビデンスがあるとされていることを、じっくり検討して、そのリスクとコストを自覚し、自分のミクロな特性との適合性を見極め、最終的に、生のサイクルにおける「生活の質」を最大限に引き上げる充実を図ることである。