紙の本
宮沢賢治入門として
2023/05/29 17:54
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:.ばっは - この投稿者のレビュー一覧を見る
「銀河鉄道の夜」は大人になって読み直して漫画やアニメで新たに触れて、
奥深さに感じ入った。
この本は題名から手に取ったのだが思いがけず宮沢賢治その人を
新たに知るための格好の入門と言えるのではないだろうか。
投稿元:
レビューを見る
「戦場のメリークリスマス」の助監督としても知られるパルバース・ロジャーが、ジョバンニとカムパネルラを語る。
Night on the Milky Way Train.
悲しみを、乗り越えよ
投稿元:
レビューを見る
銀河鉄道の夜、と言うよりも宮沢賢治とはどんな人だったか?を知るのにとても分かりやすい本でした。
童話作家としての一面が私としては印象深い人でしたが、宗教家、自然学者など色々な一面を持つ人だったようです。
投稿元:
レビューを見る
作家であり、自然科学者であり、宗教家であった宮沢賢治の生涯と代表作である「銀河鉄道の夜」をかなりわかりやすく解説した本でした。
芸術と科学と宗教というのは個人的にどれも興味のある対象なので、それらを一つに融合して作品を執筆していた宮沢賢治の思想に感動しました。
愛するのもの死をいかにして乗り越えるか。
と言う人間にとって、とても大きなテーマがある作品だけに不変的な素晴らしさがあるのだと感じました。
投稿元:
レビューを見る
おすすめ度:85点
作者は40年以上もかけて、何度も英訳を繰り返してきた。「宮沢賢治は19世紀に生まれた、21世紀の人だった」という。賢治の作品には、21世紀に生きる世界中のすべての人に向けてのメッセージが隠されていて、国籍や人種、時間をも超越した普遍的はメッセージがそこにはある。
『銀河鉄道の夜』は悲しい「死」を描きながらも、「いかに生きるべきか」という「生」を語る物語でもあるといえる。
さらに、『銀河鉄道の夜』には、死を受け入れる方法だけでなく、大切な人を失った悲しみをどう乗り越えればいいのかについてもちゃんと書かれている。
みんながお互いに相手を思いやれば、どんな大きな悲しみもやがては乗り越えられるはずだ━━。賢治が『銀河鉄道の夜』を通じて一番に伝えたかったことは「私とあなたは別々の存在ではなく、すべてのものはつながっている」という考え方なのだ。
投稿元:
レビューを見る
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
「ほんとうのさいわいを探し求めるための旅」だったと感じています。言い換えれば、死ぬと人間の「魂」はどこに行くのかを考える旅、死というものの本当の意味を探るための旅であったのではないか。
ジョバンニは賢治の分身であり、川で亡くなったカムパネルラは、トシの死のメタファー(隠喩)である、と僕は解釈しています。
「善い行ないとは何か」ということが話の主題に。自分のことだけでなく、他人の幸せを思うことが「善い行ない」であり、それを実践すれば、たとえ命を失ったとしても、今よりもっとよい場所に行けることが暗示されています。
僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない
自分がつらくて悲しいときにこそ、相手を思いやることが大切。それが悲しみを乗り越えることにつながっていく
「私はなぜこの世に生まれたのか。いったい何のために生まれたのか」という問題
すべて「私はあなたであり、あなたは私である」。私はあなたであり、あなたは私であり、すべての人はつながっている」。
賢治にとって、自然は「ライフブラッド」(生きるためには、なくてはならないもの)
賢治は、自分(人間)という存在は、自然界を形づくっている分子のひとつ
森羅万象のつながりを表現するものとして、仏教では「インドラの網」
人間はもともと先天的に「誰かを助けたい、救いたい」
私たちが今、賢治のメッセージから本当に学ぶべきことは、「自然と人間とのつながり」だと思います。
人間のために自然を守ろう」と言っているのではないということです。「人間も動物も、虫も山も、川も岩も、すべてのものが並列関係にある」というのが彼の考え方です。
宮沢賢治は二十一世紀の作家だといつも言っています。「十九世紀に生まれた、二十一世紀の人だった」
銀河鉄道の夜
宮沢賢治の作品の底辺にあるもの?
それは贖罪意識。そして罪を過剰に意識して、なにがなんでも身をすててでもやらねばとおもう実践の人。
実家が質屋だったことに由来する。
彼だけが贖罪するのではなく、みんなを救いたいと考えた。その表現方法が作品。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」(農民芸術概論綱要)
思い込みのはげしいおせっかいなやつだな、、、と思われていたかもしれない。
銀河鉄道の夜は最愛の人をうしなった人のお話。
トシの死後にかかれた。その死が題材だろう(永訣の朝よ同様)
最愛の人を失うという最大の不幸に対してどうすればいいのか?どうすればのりこえれるのか?のヒントがある。
死は人生の終焉ではなく輪廻の一段階にすぎない。
常に自分だけではなくみんなの幸を願っていれば、死んでも輪廻でまたうまれかわり今よりよいところにいける。
悲しいときこそみんなの幸せをおもいやることが善でありそれは悲しみを乗り越える力になる。
タイタニックの青年。さそり座のエピソード。
トシがなくなったあと1年、サハリンに旅にでる。そして気持ちの整理をつけて永訣の朝をかいた。その度のなかで自分自身の気持ちに整理をつけた。
ジョバンニは賢治の分身でカンパネルラはトシの死のメタファー。
トシはカンパネルラのメタファーなので、人を救うために自らの命を投げ出して死んだ。
その魂をジョバンニ(賢治)はうけとったところで目がさめる。「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん焼いても構わない」
喪失の悲しみをどうのりこえるのか?ジョバンニの父親のシーン。一番かなしいはずなのに、「もういいです、あきらめましょう」とかたり、ジョバンニに、お父さんがかえってくるよと言葉をかける。ほんとに辛いときこそ相手をおもいやること。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の最大の問いはなにか?「わたしはなぜこの世にうまれたのか?いったいなんのためにいきているのか?」
賢治はそういうことは考えない人ではないか?科学的な人だから。むしろ「なぜ私は私であり私はあなたではないのか?」。そして考えた最後の結論は、私はあなたでありあなたは私である。
他の人のことを他人事として考えるのではなく自分のこととして考えるという気持ちが大事。
わたしとあなたは別の存在ではなくつながっているという感覚。
そしてそれは人間だけではなく、すべての生命にたいしてかんじていた。山、川、風、空、土、動物、昆虫。人間も自然の一部である。自然を汚すとは人間をよごすことだ。
ディズニは動物や木を擬人化して愛すべきキャラにするけど、考えてることの中身は人間と同じに描かれる。人間は一段、高いところにいる存在。
宮沢は人間も動物も虫も同じれべるとして描く。
人間は因果交流電燈の青い照明です(ひかりはたもち、その電灯はうしなわれ)=肉体(電灯)がしんでも光はのこる
人間にとって善いおこないとはなにか?輪廻の世界でもっとよい場所にうまれかわるためには何をすべきなのか?が描かれてる。
インドラの網。森羅万象のつながりを表現する仏教用語。
インドラとは帝釈天。帝釈天の宮殿にかかってる網をインドラの網という。網の結び目に宝珠がある。その宝珠はほかの宝珠をうつしだし無限につづく。ひとつの宝珠がこわれるとすべてがこわれる。いかなるものも自分だけで存在せず他との関わりのなかで存在している。人、風、山、生き物・・すべてがインドラの網にくみこまれた宝珠。
人間は先天的に誰かを助けたい、すくいたいとおもって生まれてくる。
人間のために自然を守る、という思想から、人間も動物も樹木も同じ生命である。並列関係。岩もかわも。」という考えにかわるべき。すべての事象はめぐりめぐる。こわすものはいつかこわされると考えていきていく。
19世紀にうまれた21世紀の作家。宮沢賢治という星は消滅したけど光が120年たってやっととどいてきた。
イーハトーヴの思想。
動物にも幸せになる権利があるとかんがえていた。ブランドン農学校の豚。なめとこ山の熊(人と熊の苦しみ)
人は動物をあやめてはいけないというわけじゃない。(なめとこ山の熊)。接し方が大事だ。動物や植物と同じ生き物が人間。生き物を大切に扱わないと人そのものがあやうくなる。
アメニモマケズ・・・口先だけでなく悲しい人のところに足を運ぶ。実践の人。個人の苦しみに向き合う。
責任を果たすべき人たちが、表向きは社会のなかで犠牲になってる人々の救済について堅苦しい言葉で説明してもっともらしいことをいうが、彼らの窮状を改善しようという意志はあまりかんじとれない。足を運ぶこと。実践すること。
誰だってほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだね(銀河鉄道の夜)
賢治のようにストイックにやる必要はないけど、湯浅さんの1mmでも動かすのように自分のできることを小さくてもやること。
ほんとうのさいわいは、一生懸命、人に幸せにすること。自分を犠牲にしてでも一生懸命やる。そのプロセスが自分を幸せにする。
自分の内側に銀河を意識していいきていく。(すべてと一体化する)
STRONG IN THE RAIN (あめにもまけずの英語版、出版されてる)
人がいきていくにはその人なりの羅針盤が必要だ。
実践の前に、よくみききしわかり、をやること。そうしないと何をしていいかわからなくなる。
誰かを幸せにするとき何をすればいいか?お金をあげればいいか?無限に欲しがる。ザネリのケースでは、カンパネラは自らを犠牲にした。ザネリは衝撃を受け誰かを助けるだろう。おれはあんなに意地悪だったのに自らを犠牲にしてたすけてくれた、誰かを今度はたすけように。
続・銀河鉄道の旅があるとしたらその主人公はザネリになる。
賢治はものの名前にすごくこだわる。ものの名前をしることはその対象を自分の意識にとりこむことになる。動植物だけでなく石とかにも名前をこだわる。
「ぼくはきっとできるとおもうふ。なぜならぼくらがそれをいまかんがへているのだから」(ポラーの広場)
投稿元:
レビューを見る
銀河鉄道の夜を通して宮沢賢治を知る。興味深いの意味合いで面白かった!!
宮沢賢治のあなたはわたしであり、わたしはあなたである、それは、人も動物も植物も…みたいな感覚。全て宇宙を構成するただのエレメントみたい感覚。そういう感覚を持って描かれた世界観だからか、銀河鉄道の夜を読むと死ぬことが少し怖くなくなる気がする。それが当然のことと腑に落ちる感じ。
その上でまだ繋がってる感じが、私は結構癖になりつつある。多分、あー私も生き物だったわって思えるからかなぁ。当たり前なんだけどちゃんと生きて死なせてくれる。それは人も動物も植物も皆同じ。出来そうでできない世界観に触れてなんかふわっとなる。
投稿元:
レビューを見る
ロジャーパルバース 100分de名著 宮沢賢治 「 銀河鉄道の夜 」
オーソドックスな解釈で安心して読める
宮沢賢治作品は、人間中心の物語でなく、自然の中の、宇宙の中の人間がテーマであり、人間の死とはどういう意味を持つのかを伝えている
*自然の報告者〜自然こそ宮沢賢治の創造の源
*実家の生業が質屋であることの罪悪感
*浄土真宗の信徒である父と法華経(日蓮宗)に入信した賢治の宗教上の相違
自然の報告者
動物が言葉を話したり、風に命があったり〜賢治の目にはそう見えた、賢治は見たものをそのまま描いた
わたくしと言う現象
*人間も自然の一部である
*自分は、自然界を形づくる分子の一つであり〜宇宙を含めた森羅万象は、自分と一心同体である
*人間のために自然を守ろうではなく、人間も動物も川も並列である
アンデルセン、ディズニーの擬人化は、人間を動物に置き換えて、人間
の代わりに描いており、人間が高い位置から動物を見ている〜賢治の場合、人間も動物も木々もすべて同列であるとした上で擬人化している
「農民芸術概論綱要」の序論に賢治の思想が集約されている
*世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
*正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識して、これに応じて行くことである
「銀河鉄道の夜」
*賢治が最愛の妹トシが亡くなったことをきっかけに書いた作品
*死をテーマとし、それを乗り越える希望の物語
*ジョバンニ=賢治、カムパネルラ=トシ
*カムパネルラは自分を犠牲にして友達を助けたのだから、輪廻の世界でよりいい場所にいけるはず、ということが、ジョバンニに分かったから死を受け止めることができた
カムパネルラ「誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸いなんだね」自己犠牲がほんとうにいいことを意味している
私はあなたであり、あなたは私である
雨にも負けず 「行って看病してやり〜」の「行って」は、賢治の生涯を象徴する言葉〜他人の悲しみや苦しみを〜一人ひとりと向き合って、その人の悲しみを聞くという意味
「あとがき」もいいこと言っている
人が生きていくためには、その人なりの羅針盤が必要であることを、宮沢賢治は作品の中で暗示している
*羅針盤は、すべての人が持ち得るもの〜みんなが正しいと言っているから正しいとかではなく、自分の羅針盤が指し示す方角を定めることが必要
*「雨にも負けず」の「よく見聞きしわかり」がこの詩の軸
賢治がつくる物語は、他者をおとしめない、勧善懲悪の悪循環を断ち切ることにより、新たな幸せの意味を見出す
投稿元:
レビューを見る
数ページ読んだところで早くも収穫が。
賢治の作品の多くに見られる自己犠牲の精神。
どうしてここまで強く…と思っていたのだが、「これには彼の実家が「質屋」を生業としていたことに深い関係があると言われています。」
とあり、
「自分を犠牲にしてでも、誰かを救わなくてはならない」と、「罪悪感」を抱いていたと著者は言う。
そして質屋を営み、熱心な浄土真宗の信徒であった父との確執。(賢治は日蓮宗)
「彼の作品はすべて、こうした使命感をもとに書かれたものと考えていいでしょう。」
「賢治にとっては生きること自体が贖罪だったのです。」
とは著者の言葉だ。
賢治本人も農民たちを指導する際(農民芸術概論綱要にて)、
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
という文章を残しているそう。
『銀河鉄道の夜』は、"大切な人の死"という悲しみだけでなく、「悲しみの乗り越え方や、その先の明日へと歩みを進めるためのヒントが書かれている」と著者は述べている。
著者の、
「だから悲しみに飲み込まれてしまわないための舞台として、賢治が宇宙を選んだ気持ちが僕にはなんとなく分かるのです。」
との言葉が印象的だった。
ここで本書は『永訣の朝』にも触れているが、私が受けた印象とは違う考えが述べられていた。
「あめゆじゆとてちてけんじや」とは、トシが、「白くて美しい雪を見れば、別れを悲しむ兄の気持ちも少しは癒えるのでは…」と考えて賢治に頼んだというのだ。
う~ん。。。そうだろうか。
普通の兄妹以上に精神的な強い結び付きにあったと思われる二人だけれど、まさに命が尽きようとしているこの時に、そこまで美談のような余裕が生まれるだろうか。
私はトシが、心の底から、白く冷たい雪を手にしたかったのではないかと思えてならない。
雪や霙は手にすると溶けてしまうけれど、叶わぬ望みと知りながらも、溶けないまま手にしたかったのではないだろうか…と思えてならないのだ。
さて、『銀河鉄道の夜』。
今のところ私は、ジョバンニを通して賢治自身が妹トシの死を乗り越えようとしているように思える。
いや、逆かな?
本書の「賢治とトシの年表」によると、トシを失ってから約2年ほど経ったのちに執筆を開始しているので、
賢治がトシの死を乗り越えながら感じたことを、ジョバンニになぞらせているのだろう。
ジョバンニはある意味、賢治の分身だ。
パーソナルな悲しみであったトシの死は『銀河鉄道の夜』という作品に昇華され、大切な人を失った悲しみとして全人類が共有できる感情となった。
『銀河鉄道の夜』は、死をどのように受け入れたら良いか、どのように生きるべきか、宗教的な教えを含みながら説いている。
本書でも「善い行ないとは何か」という視点で、「…自分は助からずとも、預かった子供たちだけでもなんとか救いたい」という沈没事故に遭遇した青年の言葉や、少女が語る蠍座誕生のエピソードなどをあげている。
そしてジョバンニの台詞だ。
「どこまでもどこまでも���緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺんやいてもかまわない」
著者はこの台詞を、トシを失った賢治の言葉として捉えている。
"トシの魂と一緒に、どこまでも、自分が正しいと思う道を歩んでいこう"
そして著者は、カンパネルラが助けたのがジョバンニを苛めるザネリであったことにも触れている。
「好き嫌い、善悪に関係なく、すべての人に分け隔てなく愛と慈愛を注ぐことこそ、本当の正しい生き方であるーーー。…………賢治はそう言いたかったのでしょう。」
著者は、賢治の自然との関わり方についても触れている。
「……自ら野や山に分け入って能動的に自然と関わろうとしている。そして自分の目で見て、肌で感じた自然を、まるで手帳に書き留めるように作品に描き出しています。」
「賢治は、自分(人間)という存在は、自然界を形づくっている分子のひとつであり、宇宙をも含めたこの世の森羅万象は、自分と常に一心同体であると考えていました。」
ああ、その通りだと思った。
本書でも触れていたが、『春と修羅』の冒頭、
「わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)」
に如実に現れている。
そして、
「(ひかりはたもち その電燈は失はれ)」
この一文を著者は、
「電燈(肉体)は滅びても、ひかり(魂)は残ることを表しているといわれています。」
と解説する。
なるほど。
『春と修羅』に強く心惹かれてコピーして持ち歩いているが、ぼんやりと理解したつもりになっていた事柄を、改めてしっかり掴んだ気がした。
「人間は自然の分子のひとつであり、すべての分子は時間軸を超えて、永遠に互いにつながっている。だから、自分の行ないはすべてが巡りめぐって、いつか自分の身に降り掛かってくる」
著者は、賢治の真似はできないが、そこで「自分は無力だ」と諦めずに、世界を自分なりに捉え、自分にできることは何かと問い、行動に移していくことこそが、賢治からのメッセージではないかと結ぶ。
巻末には100分de名著の番組内での対話(著者のロジャー・パルバースさん✕京都大学こころの未来研究センター教授である鎌田東二さん)が収められていた。
鎌田さんのお話で印象的だった箇所は、
「「なにがしあわせかわからないです」という台詞がありますね。「ほんとうの幸い」というのは、宮沢賢治のほかの作品にもありますが、それを求めていく過程に答えがある、ということだと思います。」
「過程そのものが、幸せの答えでもある。だから、幸せとは何か、という「問いかけ」の先に「答え」があって、それをつかむのではなく、「問いかけ」ていくその行為自体の中に答えが存在している、「問いかけ」と「答え」の両方が同時に相互的・相関的に実現している、というのが宮沢賢治の実感なのだと思います。」
だとしたらこうして私が本書を読みながら「ほんとうの幸」について思い巡らせている行為も、上記における「過程そのもの」に他ならない訳で、本書を読みながら心が満たされていくのを感じた。
100分de名著ならではの資料が嬉しか���た。
①賢治が生きた時代の花巻
②宮沢家系図
③銀河鉄道の路線図
④賢治とトシの年表
⑤賢治のフィールドと題した地図
⑥『銀河鉄道の夜』の推敲過程
⑦『農民芸術概論綱要』序論
これらを読む(あるいは見る)ことが出来たことも収穫であり、作品をより深く味わうことが出来た。
今年の読み始めは100分de名著となりました。
ブクログを始めて皆さんのレビューを拝読し、自分なりにより深く掘り下げたい、沢山の作品と出会いたい、という気持ちは強まる一方です。
今年も、皆さんのレビューから色々な事を吸収していきたいと思います。
マイペースな私ですが、どうぞ宜しくお願いします♪