投稿元:
レビューを見る
(No.12-52) ランサム・サーガ新訳。上・下巻をまとめて書きます。
内容紹介を、表紙裏から転載。
『老水夫ピーター・ダックと、帆船ヤマネコ号で船出したツバメ号、アマゾン号の乗組員たち。初めて味わう海での航海は、不安と喜びでいっぱい。ところが不気味な海賊、ブラック・ジェイクがつきまとい・・・。』
ランサム・サーガ3巻目なのに、他の巻に先を越されなかなか出版されなかったのですがやっと出ました。
でも実はそれほど待ち遠しくなかったの。あまり好きな巻ではなかったので。
何故かというと他の話に比べ、現実離れしてるんだもの。
シリーズのほとんどの話では、期間があって、行動できる範囲が限定されてて、子供たちだけで行動しているように見えて大人のバックアップがある、等がリアル感をかもし出しています。でもこの巻はちょっと違う。
だけど最近、これは冬休みの間に彼らが作ったお話ではないのか?という説を知り、あ~そうかも!とにわかに興味がわいてきました。
そしてそのことは今回の訳者あとがきではっきり書かれていました。以前はどこにもそういうことは書いてなかったのですが。
「子供たちを、キャプテン・フリントが借りた船に招待して、彼らを楽しませるために暖炉をかこんで話して聞かせた物語ということになっています。冬の夜話です。」だそうです。著者はこの作品を「純粋のロマンス」と呼んでいたとか。
ここでいうロマンスは、伝説や歴史や伝記をもとに、英雄の竜退治とか巨人の戦いとか、英雄の信じられない危険な旅のお話。
作中作だったんですね!だったら当時でもありえないだろう冒険が次々に展開するということに納得です。
それを前提にこの物語を読むと、以前読んだときとは違う感想になりました。
お話を聞いている子供たちと二重写しのような絵が浮かんできます。安全なところにいて、寒い冬暖炉の側でわくわくしながら自分たちの活躍を聞いている子供たち。話の途中で疑問や意見が飛び交い、船長はそれをうまく織り込んでいった。そう考えると話の中でのフリント船長がやけに子供っぽいことにも理由があったのかと思えます。
ティティやロジャの満足する顔を思い浮かべ、彼らも小説の登場人物なのに実際にいる子供たちのように思っている私。
やっぱりリアルな物語だったわ。
投稿元:
レビューを見る
ここまでの「ランサム・サーガ」の物語の Review の中で KiKi はある意味で手放しでキャプテン・フリントを褒めちぎってきたけれど、そんな KiKi の評価はこの「ヤマネコ号の冒険」で地に堕ちました。 ダメでしょう、こういう大人は!! この「ヤマネコ号の冒険」を読んだ後であればあの「長い冬休み」の最後の方でナンシィのお母さんが口にしたセリフ
「それから、たぶん、本当のことが分かったら、他の人と同じくらいジムおじさん(≒ キャプテン・フリント)の罪ってことになるんでしょうね・・・・・・。」
には文句なしで同意していたことでしょう。 子供達の「ごっこ遊び」にとことん付き合って、リアリティ演出にひと肌もふた肌も脱ぎ、それでいて目だたないところで安全確保要員として走り回る姿には「こうありたい大人の姿」と憧れさえ抱いたけれど、この「ヤマネコ号の冒険」のように大人が自分と老水夫ピーター・ダックと2人だけという状況で子供達にとっては初となる海への航海、しかも遠洋航海に出かけ(まあ、そこまではいいとして)、しかもふとしたことで耳にした「宝探し」に夢中になって他のことは冷静に考えられなくなり、しかもその同じ宝を本物のかなり物騒な海賊が狙っていることがわかっていながら、子供だらけの一行をその宝があるらしいカニ島に導くなんていうのは真っ当な大人のすることじゃありません。
もちろんこの物語が「ロビンソン・クルーソー」とか「宝島」に触発された「海洋冒険もの」として書かれた物語であることは百も承知です。 でも、KiKi の気分としては、この「ランサム・サーガ」がギリギリの境界線で保っていたある種の良心みたいなものがこの1作によって粉々に壊されてしまった・・・・・そんな気分なんですよね~。
しかも・・・・です。 もちろんこの物語の臨場感を煽るための演出の数々として・・・・であることはわかっていても、そのカニ島を信じられないような暴風が襲ったり、大地震が発生し山崩れが起きて地形が変わっちゃうほどの大惨事が起こったり(そんな状態でよく津波に襲われなかったもんだ!)、そんな中でいくら有能なサバイバリスト揃いのパーティとは言え子供たちが全員無傷で無事だったり、挙句、その地崩れのおかげであっさりと宝が見つかったりとなると、何だか派手な演出で観客を煙に巻く昨今のハリウッド映画を見せられているような気分です。
物騒な海賊が襲ってきた割にはピーター・ダックも赤毛のビル少年も軽症で(と言っても歯がなくなったり骨折したりはしているけど)済んでるし、その海賊襲来のときには子供たちを案じて船を離れたキャプテン・フリントが無事(彼の後を銃を持った男たちが追っていた)なのも、海賊が発砲した銃弾が壊したのがカンテラや帆柱だけというのも何だかご都合主義的でちょっぴりウンザリ・・・・・。
挙句、海上で竜巻に遭遇し、その竜巻が一行の乗る「ヤマネコ号」をかすめるように進んでいき、海賊どもを一掃してくれちゃった・・・・・に至っては正直呆れ返ってしまいました。 ここまでご都合主義の結果オーライ物語でいいんだろうか?ってね。
少なくともこの物語に至るまでの「ランサム・サーガ」は「ロビンソン・クルーソー」や「宝島」といったような物語に憧れていることを感じさせつつも、そこかしこに普通の子供たちの日常生活が滲み出ていて、子供らしい「想像力」がいわゆる平平凡凡な日常の中に冒険の要素を見出しているところに、更には分別ある大人がそれを遠巻きに見守っているところに魅力があったのになぁ・・・・・。
ただ1つだけ、この物語を読んでいて、そして KiKi にとっては決して褒められたものではないと感じる今作でのキャプテン・フリントの姿に、帝国主義を推進した大英帝国の原動力みたいなものはいやというほど感じました。 分別も理性もなく、ひたすら冒険と富を求める、一歩間違えば獰猛な海賊と大差なし・・・・・というような何かを。
まあ、この Review ではケチョンケチョンなキャプテン・フリントだけど、元は海賊船側のクルーだったのにふとしたことで「ヤマネコ号」に拾われることになった赤毛の少年、ビルに対する優しさみたいな評価できる部分もちゃんと描かれていたことは一応触れておきましょう。
そしてこのビルが物語に登場したことにより、どちらかというと「いい家の子供達だらけ」「恵まれた子供達のお話」だった物語に、同じ時期にビルのような貧しくて気の毒な子供もイギリスにはいたというある種の時代背景・深みみたいなものが垣間見えたところはいいなと感じました。 この格差と比較したら、「格差社会」と言われて久しい我が日本国の格差は小さなものです。 (あ、だからと言って今の「格差社会」が容認できると言いたいわけじゃありませんよ。)
さて、何はともあれ、ツバメ号のクルーもアマゾン号のクルーも、さらにはキャプテン・フリントもみんなが無事なので、サーガはまだまだ続きます。 可能なら、もう一度あの「ツバメ号とアマゾン号」、「ツバメの谷」、「長い冬休み」みたいな健全さを保った物語を読みたいものだけど、この先はどうなることやら・・・・・。 物語にしろ人生にしろ、エスカレートし始めるとあるレベルまでは際限なくなる傾向があるからちょっと怖い・・・・。
投稿元:
レビューを見る
下巻は、いよいよの発掘あり、嵐あり、地震あり、襲撃あり、とどめは大海の竜巻。まさしく「冒険」にふさわしい内容です。結構ハードボイルドなシーンもあって、読んでいて「いてっ!」と悲鳴を上げたくなったり…。
あ、それから、最後のほうでシー・シャンティ『スペインの淑女』の歌詞をピーター・ダックが解説するシーンがあったけど、「へえ〜、そうだったんだぁ」。地理と地学のお勉強になりました。
通しての感想は「キャプテン・フリントはだれより子ども」。ちょっと太めで髪の毛薄めのおじさん、かわいいというのか、困り者というのか。海軍士官らしいウォーカー家のお父さんとは、同じ海の男でも全然違うタイプらしい。
投稿元:
レビューを見る
いつもとは違い、
とびっきりのお宝の可能性(?)と
それをものにしようと躍起になっている敵の存在。
ついにその宿敵が
ジョンたちに牙をむくこととなります。
その結果、ピーター・ダックとビルが
負傷してしまいます。
ここから先が本当に面白いのです。
敵に見つかれば即絶体絶命の中
フリント船長を救出しなければならないという
難儀な任務。
そして、マムシ号の最後の追撃も
みどころです。
まあ、その先はお楽しみですよっと。